朝は、青空が広がり
歩いているうちに汗が出そうになったので一枚脱ぎました
でも、明日は全国的に風雨が強まり荒れた天気になるそうです。散歩を終えて車のドアーを開けようとノブを引くと違和感…
なんとノブの内側にカメムシがいた…
断末魔のガスを出したのか、匂いが手に…
とりあえず消毒用のティッシュで拭いて、帰宅後、何度か石けんで洗いました。
Q: カメムシのにおいがついたらどうしたらいいの?
A: カメムシのにおいはアルデヒド類を主成分とした化学物質の混合物で出来ています。
におい物質は揮発・分解するので、基本的には時間が解決してくれます。
衣服についた時は普通に洗濯すれば消えます。
手についたら、何度も洗えば消えます。
におい物質にはアルコールに溶けやすい成分があるので、消毒用アルコールをつけてもみもみしてから、石鹸で水洗いすると、いくぶん早くにおいを落とすことができるかもしれません。
におい物質は刺激性があるので、痛みを感じたり、目に入るなどしたら病院へいくことをおすすめします。
(いたみ文化・スポーツ財団blog)昨日、11月15日は「七五三」
七+五+三=15日なのかな?
(ネットで検索するといろいろな説があっておもしろいですよ)
浮世絵EDO-LIFE「子は宝!豊国“七五三の宮参り”」
に、江戸時代の風俗が描かれています。
「帯解きは男を尻にしきはじめ」
という歌も残されているそうです(^_-) 七五三
年々、七五三の祝いは派手になってきている。
神社で着飾った女の子や男の子が、カメラの前におさまっている。
そのあと、親類縁者や知人の家へ、千歳飴と祝いを配って歩く。
子どもたちは、くたくたになってしまい、しまいには眠ったまま連れて行かれる。
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年) 三歳という年は、子どもが成長して行く山の一つである。
中世の公家では「袴着(はかまぎ)」といい、武家では「髪置(かみおき)」といって、綿を頭にいただかえて白髪になぞらえた。
民間では、「紐落(ひもおとし)」とか「帯祝(おびいわい)」などともいい、四つ身の着物を着せ替えて成長を祝った。
また、七歳は幼児期の終わりで、明治以来の国民教育の開始年齢も、この七歳(満六歳)を選ばれてきたのは、日本の国ぶりを考慮に入れた意義深い配慮であった。
この七歳は、「三つ子の魂、百まで」とともに重要な年齢である。 通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちいっと通してくだしゃんせ
御用のない者とおしゃせぬ
この子の七つのお祝いに
おふだを納めにまいります
行きはよいよい
帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ (東京) 七五三参りのことが、「この子の七つのお祝いに、おふだを納めにまります」とうたいこまれた関所遊びのうたである。
こうして、子ども組にはいり、こどもとしての規律を守る社会に一歩踏みいれるのである。
ふたりの親のつくるアーチの下を、子どもたちはうたいながら回る。
この唄の最後に、アーチの下へ来た子がとらえられる。 親 地獄極楽
閻魔(えんま)さんの前で
お経よまれて
親に何食わす
子 芋(いも)食わす
親 この子は悪い子
針の山へ飛んでいけ
×
子 鯛(たい)食わす
親 この子はよい子
極楽へ飛んでいけ (大阪)
ふたりの親が向かい合って両手の指を組み合わせ、一方を低くして子どもに掛けさせ、一方を高くして首をもたらせる。
そして、揺りながら、リズムをつけて飛ばす。 七五三は、11月15日に決まっているが、昔は定めた日というものはなかったようである。
農村においては、稲の収穫感謝祭をかねていたので、11月15日なっていたものであるらしい。
田畑の仕事がすみ、氏神に子どもの成長を祈願し、社会の成員として子どもを認めてもらうのが七五三である。 ねんねなさいませ
今日は二十五日
あすはこの子の誕生日(たんじょうにち) 誕生日
誕生日には
小豆(まめ)の飯(まま)たいて
まめの飯には魚(とと)そえて魚そえて
赤い着物(べべ)きて
赤い草履(じょじょ)はいて
連れて参ろか神(のの)さまへ神さまへ
連れて参ったら
何と言(ゆ)て拝む
一生(いっしょ)この子の健康(まめ)なよに健康なよに (京都) 二十五日は、天神さんである菅原道真の誕生日である。
その学問の神である天神さんの翌日が、子ども誕生日だとうたう母の心は、あまりにもやさしい。
子守唄をうたいだすとき、京都ではこの唄からはじまる。
それは、七五三のこころにかよう母の願いである。
きょうは霜月十五日
七五三のとうれいれい
菊の酒盛りとうれいれい
汁粉のお祝い
とうれいれい (千葉) 子どもの成長を願う親の心で、子どもは、すくすくと育っていく。
子守唄には、母親の愛にみたされた心のことばであふれている。
北原白秋も、その母の愛にうたれ、名作『赤い鳥小鳥』の童謡をつくった。
そのもと唄は、次の子守唄であった。
母の愛、それは詩人の心をもゆさぶるものを持っている。
ねんねの寝た間に
何しょいの
小豆餅(あずきもち)に橡餅(とちもち)や
赤い山へ持っていけば
赤い鳥がつつく
青い山へ持っていけば
青い鳥がつつく
白い山へ持っていけば
白い鳥がつつく (北海道)
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年)今朝の父の一枚です(^^)/
ジョウビタキの雄を写していました。
✤さまざまな地方名
ジョウビタキは、モズと同じように人里で生活しながら、人に対してあまり関心を示さない鳥である。
しかし、人の方は、昔からこの鳥の形態や習性に興味をもち、注意深く観察してきたとみえ、さまざまな地方名が残されている。
翼に白斑があることから、〝モンツキドリ〟、嘴をたたく音から〝クラタタキ〟、雪が降る季節に渡来することから〝ユキビタキ〟などである。
また、人を恐れないことから〝バカッチョ〟の名などもあり、合計60種以上もの地方名が知られている。
それだけ多くに人に注目され、親しまれてきた鳥といえよう。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)