2023年11月8日水曜日

立冬

 季節が進んでいるはずなのに
今日も歩いていると日ざしがきつかったです…
例年にない暑さでかぶらが育たずどうなるかと心配したそうです。

立冬 大きなかぶを使った「千枚漬」漬け込み作業本格化 京都〟(京都 NHK)
今日の朝日新聞「天声人語」

…前略…

▼都心では今年、これで143日目の夏日だという。
ここから急速に秋が深まるとの予報だが、一年のうち夏が4割を占めるというのはさすがに尋常ではない。
地球温暖化の表れだろう。
▼亜熱帯の沖縄には、小春日ならぬ「小夏日」という季語があるそうだ。
初冬にかけての強い陽光で、春というよりも夏がぶり返したような暑さに見舞われる日がある。
先週訪れた時も、多くが半袖姿だった。
<小夏日の最前列にさんぴん茶>玉城幸子。
▼ゴーヤーや泡盛など、沖縄から本土に広まってうれしいものはたくさんある。
でもこの季語だけは、ごめんこうむりたい。
2023・11・8

沖縄県の気候(季節ごとの解説)」(沖縄気象台)
 立冬(りっとう) 11月7日~21日ころ

 立冬は冬の始まりである。
西高東低の冬型の気圧配置となり、木枯らし一号が吹き荒れ、初霜が降りる。
山々からは初冠雪の便りが届き、日本庭園では冬の風物詩である雪吊りや松のこも巻きが行われる。
チャノキの花にメジロが飛来する。

 海に出て木枯らし帰るところなし  山口誓子

(『季節の生きもの観察手帖』NPO法人自然観察大学企画・編集 全国農村教育協会 2017年)
ツバキ・サザンカの花と鳥や虫との関係

 ツバキとサザンカとは見かけがよく似ていて、しばしば混同されている。
花の盛りはツバキでは早春、サザンカは初冬だが、ツバキの花期は11月から4月までと非常に長く、立冬のころには両者の花が見られる。
野生種であるヤブツバキは日本で数少ない鳥媒花で、花には鳥に花粉媒介を託すのに適したさまざまな特徴が見られる。
一方、サザンカは鳥だけでなく昆虫も花粉媒介者として利用する道を選んだ。
花には訪れた昆虫が蜜や花粉を採取しやすい特徴が備わっている。
花粉媒介者との関係という視点から花の特徴を見直してみると、なるほどと納得のいくさまざまな事実に気づき、興味深い。
花の少ないこの時期に、ツバキやサザンカは格好の観察対象となる。(中安均)
(『季節の生きもの観察手帖』NPO法人自然観察大学企画・編集 全国農村教育協会 2017年)
宗教革命が起きるまでの歴史をみると現在と重なるなと思いました。

第4章 近代への胎動
 中世末期の光と影


 まず、近代への道筋を語る前に、どのような姿で中世が終わり、近世が始まったのか、中世末のヨーロッパの様子を一瞥(いちべつ)してみましょう。
 1300年頃、ヨーロッパの大半の地域において、何世紀にもわたる繁栄と成長は止まりました。
自然現象による影響も大きく、気候の悪化、いわゆる「小氷期(しょうひょうき)」が始まります。
寒冷多雨の冬が何年もつづいて1315~22年の大飢饉をもたらし、ついで1347~51年のペスト(いわゆる黒死病<こくしびょう>)などの一連の疫病(えきびょう)によりおびただしい人々が死亡して、ところによっては人口が半減しました。
(『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』池上俊一 岩波ジュニア新書 2021年)
 黒死病は生活のあらゆる側面に影響をおよぼし、すでに進行中の社会的、経済的、文化的変革のプロセスを早めました。
畑は放棄され、労働意欲は失(う)せ、国際貿易は中断しました。
親族は近隣の人間関係、さらにはキリスト教の伝統的な絆は、恐怖とエゴイズムのなかで、もろくも壊れてしまいます。
イタリアの年代記には「いかなる惨害があっても、もう鐘(かね)さえ鳴らされなかったし、誰も涙を流すこともなくなった。ほとんど皆死を覚悟していた。(中略)人々は世界の終わりだ、と言い合っていた」とありますし、「人々は私たちが死んだヤギの世話をする以上には死んだ人間の世話をしなかった」とある生存者は書いています。
 この時期、社会騒乱も噴出しました。
フランスとイギリスは、ジャックリーの乱やワット・タイラーの乱など農民の反乱に見まわれましたし、都市においても、たとえばイタリアでは、1371~78年にかけて、チョンピの乱がフィレンツェ、シエナ、ペルージャなどで発生しました。
チョンピとは、毛織物工業に準備工程の梳毛工(そもうこう)のことですが、彼らはギルドの正式メンバーになれないのはもちろん、なんらの政治的権利も与えられず、それが不満で政権に反旗をひるがえしたのです。
 長続きはしなかったといえ、貧しい下層階級の人々が市庁舎をおそい、政権に食いこみ、自分たちを代表するギルドを創った意義は小さくありませんでした。
フランスにおいても、王が戦費捻出のため都市に課税したことに反発した闘争が、ルーアンやパリで発生しました。
 ほぼ同時期、それまで保たれていたカトリック教会の統一は、教皇のバビロン捕囚(ほしゅう<1309~77年>)につづく、教会大分裂(1378~1417年)によって打ち砕かれました。
 これについては前章でも述べましたが、教皇がフランス王フィリップ4世の圧力に抗しきれずにローマから南仏(なんふつ)のアヴィニョンに移され、約70年間フランス王のコントロール下におかれた後、教皇庁がやっとローマに帰還したと思いきや、フランス人枢機卿(すうききょう)が擁立した対立教皇が立って両派に分裂、そこから約40年間、2教皇の並立がつづいたのです。
それぞれを支持する各国の利害が複雑にからみ合い、なかなか解決しませんでしたが、1414~18年のコンスタンツ公会議でようやく決着しました。
 この大分裂は、カトリック教会の政治的な力の減衰のみならず、信仰世界における弱体化をまざまざと示し、ヨーロッパ人たちのキリスト教離れを促進して異教の再発をもたらしました。
コンスタンツとバーゼルの公会議で教皇庁を頂点とする組織の改革が求められたように、「教皇よりも公会議が優越する」とする公会議主義も現れました。
 教皇はいったん立ち直りますが、全ヨーロッパにおよぶ威光はすでになく、都市ローマ内部に萎縮し、そのうえカトリックの聖職者の目に余る無知、悪癖(あくへき)、不在が、心ある信徒たちから非難を浴びます。
前章でも述べたように、コンスタンツ公会議でヤン・フスを異端(いたん)として火刑に処しましたが、それがきっかけになり、フス戦争(1419~36年)も勃発してしまいました。
 さらに英仏百年戦争(1337~1452年)が断続的にくり返され、一般民衆に長い苦しみを強いるとともに、領主たちの没落の原因となりました。
加えて、東方(とうほう)でも大激動がありました。
バルカン半島でオスマン人の勢力が拡張し(1389年のコソボの戦い)、1453年にはコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落させて、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)が滅亡したのです。
こうして、直接ローマ帝国の流れをくむ国家はついに途絶えました。
 しかしこうした災厄や動乱・戦争は、新たな時代を切りひらく働きもしました。
ペストは都市でも農村でも人口を激減させましたが、農民不足におちいった農村では、領主たちはその直営地経営が難しくなり、対策として彼らは賦役(ふえき)を課すことをやめて、農民に土地を貸与して地代を受け取ることにしました。
農奴だった者たちも有利な立場に立って解放され、領主の支配や諸税負担から免(まぬが)れた自由農民になりました。
そしてイタリアでは小作人に領主が農具・耕牛・種子・肥料などを提供する代わりに、収穫量に応じて地代を折半(せっぱん)する「折半小作制」が普及する機縁にもなりました。
 ただし、エルベ川以東のプロイセンやポーランドなどでは、土地と農民に対して領主権を強化し農民を土地に緊縛(きんばく)し、世襲隷農(せしゅうれいのう)に引きずり下ろして、西欧の市場向け穀物生産を大規模の行うグーツヘルシャフト(農場領主制)の体制になりました。
 交易ルートという点では、14世紀の大陸の戦乱で陸路での交易に支障がでたため、イタリア商人は海路を通って直接北西ヨーロッパに赴(おもむ)くようになりました。
それにより12、13世紀には繁栄を謳歌(おうか)していたシャンパーニュの大市(おおいち)が衰退し、また毛織物工業や中継貿易で栄えていたフランドル諸都市(ブリュージュやヘントなど)も、イングランド産毛織物の進出に押されて力を失います。
大発展する大西洋貿易の裏で、広汎な商業ネットワークを梃子(てこ)にバルト海貿易を牛耳っていたハンザ同盟も弱体化を余儀(よぎ)なくされます。
代わりに発展したのが、イングランド毛織物取引の中心地で金融センターとして比類のない地位を確立した都市アントウェルペン(アントワープ)でした。
 上述の英仏百年戦争も、フランスおよびイングランド双方において諸侯・領主の没落をうながして、中央集権的な国民国家形成の撥条(ばね)になりました。
カトリック教会の危機が、宗教改革の呼び水となったことはもちろんです。
 また、イタリアでは、ルネサンス(くわしくは後述)が14世紀にすでに花開き始めていましたし、おなじ頃、フランスやブルゴーニュの宮廷人は、パリやアラスで製造されるタペストリーやビロード・金糸織(きんしおり)、そしてあらゆる種類の美しい珍品や宝石に囲まれて、狩猟(しゅりょう)や騎馬槍試合(きばやりじあい)、松明(たいまつ)をつけた舞踏会(ぶとうかい)・朗読会・音楽会に興じていました。
音楽の分野で、多声ミサ曲や、ヴィルレ、ロンドー、バラードといった新たな詩の形式がしあげられたのも中世末でした。
 中世末は、光と影が混在し、相手を際立て合っている、そんな時代でした。
(『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』池上俊一 岩波ジュニア新書 2021年)

異常気象、新型コロナのパンデミック、ロシアのウクライナ侵略、パレスチナとイスラエルの紛争、そして格差社会…