雲
私の一つ身がいとしい
雲もいとしい
時は過ぎず
うつうつと空にある
(『定本原民喜全集Ⅲ』青土社 1978年)
一瞬だけモズ
たばしるや鵙叫喚す胸形変
手術は一時間半かゝつて終わつた。
個室にかへる廊下で私は傷ついた凱旋兵のやうな平安な満足を覚えてゐた。
担送車は看護婦に曳かれ,妻や岳父や療友達を従へて進んだ。
途中に二三の療友と共に水原秋桜子先生立つて私達を待つてゐられた。
私は何か言はうとしたが,言葉は出なかつた。
(『波郷句自解 無用のことながら』石田波郷 梁塵社 2003年)
みずからも悔いあたらしく唱え申すなもわあんだぶち・なもわみだぶち
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
木の上でなく石の上にカワセミがいたのは,
何回もゲップのような動作をしていたので
食べた魚を消化中だったのかな(・・?
古池や翡翠去つて魚浮ぶ
(『子規句集』高浜虚子選 岩波文庫 1941年)
コサギとマガモが一緒にいました。
サギという名の由来についてはいろいろな解釈があるが,
サギはしばしば集団繁殖をしてやかましく騒ぎたてることによるという説が当たっているように思う。
古くはやかましく騒がしいことを〝さやぎ〟といったので,
これが略されてサギになったものと思われる。
古語で〝サ〟という言葉は〝喧しく騒がしい〟ことをいい,
「古事記」にも〝日の神(天照大神)が天の岩屋戸に籠られたとき,
外はまっ暗闇となり万(よろず)神の声が<さはえ>(狭蠅)なす〟と記されており,
また天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が天の浮橋に立たれて,
豊葦原の瑞穂の国はいたく〝さやぎ(佐夜芸)〟ありといわれたとも記されている。
このサハエやサヤギは騒がしいということで,〝サ〟とは喧しく騒々しいことをいう。
(『動物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
カモ(鴨)は,カモドリ(鴨鳥)の略で,カモドリとは〝浮かぶ鳥〟が〝浮かむ鳥〟に転じ,
〝浮かむ〟が上略されてカムとなりカモに転じたものと思われる。
(『動物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
黒い雲の流れが速かったです…
(ノオトA)
深い人生よりもっといい人生
それは個に徹した人生だ
浅くもなく深くもなく
浅ければ浅いまゝに
深ければ深いまゝに
力をつくして残無い人生だ
(『八木重吉全詩集 2』ちくま文庫 1988年)
今週は平年並みの気温のようですが…
風が吹いていないと助かりますp(^-^)q
万葉集ではシメは「ひめ」の名で登場します(*^ー゜)
万葉集巻十三(雑歌)3229
近江の海 泊り八十(やそ)あり 八十島の 島の崎々 あり立てる
花橘(はなたちばな)を ほつ枝(え)に もち引き掛(か)け 中つ枝に いかるが掛け
下枝(しづえ)に ひめを掛け 汝(な)が母を 取らくを知らに
汝が父を 取らくを知らに いそばひ居(を)るよ いかるがとひめと
近江の海に湊は多数ある。数多くの島の,
島の崎ごとに昔からずっと立っている花橘よ,
上の枝には鳥もちを引きかけ,中の枝にはイカルガを繋ぎ,
下の枝にはヒメを繋いで,おまえの母を取るとも知らず,
おまえの父を取るとも知らず,遊び戯れているよ,イカルガとヒメとは。
▽自分たちの両親を捕らえるとめの囮(おとり)となっているとも知らずに,
繋がれながら遊び戯れる小鳥の子の哀れを詠う。
「いかるが」はイカル,「ひめ」はシメ。ともにスズメ目アトリ科の小鳥。
(『万葉集(四)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年)
薄の毛逆立つことのあはれなり何におそるるおくの草山
(『与謝野晶子歌集』与謝野晶子自選 岩波文庫 1985年)
キジバトが木の上にいたのですが…
地に降りて朝ご飯を探しているのかな(・・?
なんかウキウキした嬉しそうな顔で探しているみたい(*゜∀゜*)
首をなが~くして…
朝ご飯でなくて木の枝をくわえていきました。
巣の材料を集めているのかな(・・?
私の一つ身がいとしい
雲もいとしい
時は過ぎず
うつうつと空にある
(『定本原民喜全集Ⅲ』青土社 1978年)
一瞬だけモズ
たばしるや鵙叫喚す胸形変
手術は一時間半かゝつて終わつた。
個室にかへる廊下で私は傷ついた凱旋兵のやうな平安な満足を覚えてゐた。
担送車は看護婦に曳かれ,妻や岳父や療友達を従へて進んだ。
途中に二三の療友と共に水原秋桜子先生立つて私達を待つてゐられた。
私は何か言はうとしたが,言葉は出なかつた。
(『波郷句自解 無用のことながら』石田波郷 梁塵社 2003年)
みずからも悔いあたらしく唱え申すなもわあんだぶち・なもわみだぶち
(『青じその花』山崎方代 かまくら春秋社 平成3年)
木の上でなく石の上にカワセミがいたのは,
何回もゲップのような動作をしていたので
食べた魚を消化中だったのかな(・・?
古池や翡翠去つて魚浮ぶ
(『子規句集』高浜虚子選 岩波文庫 1941年)
コサギとマガモが一緒にいました。
サギという名の由来についてはいろいろな解釈があるが,
サギはしばしば集団繁殖をしてやかましく騒ぎたてることによるという説が当たっているように思う。
古くはやかましく騒がしいことを〝さやぎ〟といったので,
これが略されてサギになったものと思われる。
古語で〝サ〟という言葉は〝喧しく騒がしい〟ことをいい,
「古事記」にも〝日の神(天照大神)が天の岩屋戸に籠られたとき,
外はまっ暗闇となり万(よろず)神の声が<さはえ>(狭蠅)なす〟と記されており,
また天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が天の浮橋に立たれて,
豊葦原の瑞穂の国はいたく〝さやぎ(佐夜芸)〟ありといわれたとも記されている。
このサハエやサヤギは騒がしいということで,〝サ〟とは喧しく騒々しいことをいう。
(『動物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
カモ(鴨)は,カモドリ(鴨鳥)の略で,カモドリとは〝浮かぶ鳥〟が〝浮かむ鳥〟に転じ,
〝浮かむ〟が上略されてカムとなりカモに転じたものと思われる。
(『動物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
黒い雲の流れが速かったです…
(ノオトA)
深い人生よりもっといい人生
それは個に徹した人生だ
浅くもなく深くもなく
浅ければ浅いまゝに
深ければ深いまゝに
力をつくして残無い人生だ
(『八木重吉全詩集 2』ちくま文庫 1988年)
今週は平年並みの気温のようですが…
風が吹いていないと助かりますp(^-^)q
万葉集ではシメは「ひめ」の名で登場します(*^ー゜)
万葉集巻十三(雑歌)3229
近江の海 泊り八十(やそ)あり 八十島の 島の崎々 あり立てる
花橘(はなたちばな)を ほつ枝(え)に もち引き掛(か)け 中つ枝に いかるが掛け
下枝(しづえ)に ひめを掛け 汝(な)が母を 取らくを知らに
汝が父を 取らくを知らに いそばひ居(を)るよ いかるがとひめと
近江の海に湊は多数ある。数多くの島の,
島の崎ごとに昔からずっと立っている花橘よ,
上の枝には鳥もちを引きかけ,中の枝にはイカルガを繋ぎ,
下の枝にはヒメを繋いで,おまえの母を取るとも知らず,
おまえの父を取るとも知らず,遊び戯れているよ,イカルガとヒメとは。
▽自分たちの両親を捕らえるとめの囮(おとり)となっているとも知らずに,
繋がれながら遊び戯れる小鳥の子の哀れを詠う。
「いかるが」はイカル,「ひめ」はシメ。ともにスズメ目アトリ科の小鳥。
(『万葉集(四)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年)
薄の毛逆立つことのあはれなり何におそるるおくの草山
(『与謝野晶子歌集』与謝野晶子自選 岩波文庫 1985年)
キジバトが木の上にいたのですが…
地に降りて朝ご飯を探しているのかな(・・?
なんかウキウキした嬉しそうな顔で探しているみたい(*゜∀゜*)
首をなが~くして…
朝ご飯でなくて木の枝をくわえていきました。
巣の材料を集めているのかな(・・?