2015年2月5日木曜日

高野山名宝展~生国魂神社

外が見えるエレベーターは苦手だな…
今日は「あべのハルカス美術館」にやって来ました。
先日,東寺を訪れたのですが
 「高野山の名宝」展を見に来ました(*^-^*)
館内は撮影禁止(T^T)
吉野蔵王三鈷杵
1200年の昔,唐(中国)長安の都,青龍寺(しょうりゅうじ)において
密教のすべてを伝授されたお大師さまは,
師である恵果和尚(けいかかしょう)の
「早く郷国(きょうこく)に帰りて,以て国家に奉り蒼正(そうせい)の福を増せ」との
遺言を受けて,日本の国に帰ることを決意されます。
はるかに日本を望む明州(みんしゅう)の浜に立たれたお大師さまは,
「密教を広めるのに最適の地を示したまえ」との祈りを込め,
所持の三鈷杵を加持(かじ)され空中に投げました。
三鈷杵は紫雲(しうん)に乗り,日本へと飛び去ったと伝えられます。
この三鈷杵が,高野山の御影堂(みえどう)前の松の枝にかかっていたので,
これを「三鈷の松」とあがめ,この時の三鈷杵を
「飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょ)」と称し,大切に伝えられてきました。
『吉野蔵王三鈷杵』は,このお大師さまの思いを現代に伝えるために,
高野山開創のシンボルとして「飛行三鈷杵」から型を起こし,
桜の霊木にて調製,<撫(なで)で三鈷杵>として再現いたしました。
ぜひ,実際に触れていただき,お大師さまの思いと加持力を感じていただければ幸いです。

パンフレットにあった「四天王立像」(快慶作)なんですが,
Kazeは踏みつけられている邪鬼が好きなんです(@^▽^@)
「八大童子像」は,おなかがプックリ膨らんでいて
子どもの体型で可愛かったですよ(^_-)
外に出ると通天閣が見えます(*^-^*)
いつも通過ばかりしている…
谷町九丁目で降りて…「いくたまさん」にやって来ました(^-^)

三枚の立て看板?に(立て看板には○はついていません)
生国魂神社の表参道(生玉表門通り)は
谷町筋をまっすぐに渡り現在の新歌舞伎座へと続いていた。
その両側には多数の店舗が立ち並び縁日(祭日)には
提灯や紅白幕で飾りつけ諸国よりの参詣者で
大いに賑わった商都大阪を代表する門前町であった。

参道の両側には蓮池があり芝居小屋や見世物小屋が
軒を連ね上方文化芸能の発祥の地として有名である。
いまも〝上方落語の祖〟の米澤彦八(よねざわひこはち)を
顕彰して上方落語家総出での「彦八まつり」が盛大に催され往時の賑わいが再現される。
また近松門左衛門の〝生玉社前の段〟から始まる「曽根崎心中」,

井原西鶴の矢数俳諧(やかずはいかい),谷崎潤一郎の「春琴抄」の舞台でもある。
また,この参道での「流鏑馬(やぶさめ)」(五月五日の端午の節句)は殊に有名である。
境内〝生玉の杜〟には「夫婦善哉」の織田作之助の銅像が建立され(一昨年)話題になっている。
「陸のいくたま」と称えられ大阪三大夏祭の魁(かい/さきがけ)『生國魂祭』は
昨年七十年ぶりに復興を成遂げた渡御(とぎょ)であるが今年は更により充実した陸渡御をめざしている。
皆様方,多数のご支援をお願い申し上げたい。

生国魂神社(いくたまじんじゃ)
社伝によれば,神武天皇東征の際,現在の大阪城付近に,生島大神(いくしまのおおかみ)・足島(たるしま)大神をまつったのが始まりで,大阪最古の総鎮守(そうちんじゅ)とされた。
その後,大物主(おおものぬし)大神もまつられた。
『日本書紀』にも「生国魂社」と記されており,国家の祭祀(さいし)(八十島祭(やそしままつり))の社(やしろ)として知られている。
(『大阪府の歴史散歩 上 』大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版 2007年)
生国魂神社のパンフレットから
『いくたま参り ―境内案内―』より
 生國魂造(いくたまづくり)
本殿の建築は他に類を見ない特殊な様式で,本殿・幣殿の屋根が一つの流造り,
しかも千鳥破風,すがり唐破風・千鳥破風の三破風を据えた「生國魂造」と呼ばれ,
豪壮な桃山文化の遺構を伝えたものとされています。
本殿が見えないので
生国魂神社のパンフレットの画像です。
(『図説 歴史散歩事典』井上光貞監修 山川出版 1979年)

記念に(*゜∀゜*)

米澤彦八(よねざわひこはち)の碑
京都で露五郎兵衛によって始められた上方落語は,
大阪では当社境内を舞台に米澤彦八が広めたと言われています。
その彦八をたたえ,毎年九月の第一土・日曜日には
上方落語協会の主催により「彦八まつり」が盛大に開かれます。

住吉神社と天満宮を写し忘れている(^^ゞ

皇大神宮(こうたいじんぐう)
伊勢神宮(内宮)の天照皇大御神の御分霊をお祀りしています。
菊に出て
  奈良と難波は
    宵月夜
         後藤西香 書

松尾芭蕉が元禄7年9月9日(重陽の節句)の例祭日に奈良より難波に入り,当社にて詠んだ句である。
この来坂は,芭蕉最後の旅であり
10月12日 南御堂花屋仁左衛門宅にて客死する。
精鎮社(せいちんしゃ)
表参道蓮池(今の生玉公園)に祀られていた弁財天社(明治初年に精鎮社と改称)で,
漁師や釣人,鮮魚を扱う商人から崇敬を集めています。


 稲荷神社
佐賀県の祐徳稲荷の御分霊で,鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が篤く崇敬しました。
源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)
奈良県吉野郡の源九郎稲荷神社の御分祀で,歯痛封じの神としても知られています。
尚,道頓堀中座に祀られていた八兵衛大明神が合祀されており,歌舞伎役者や松竹新喜劇の人達から崇められています。
鴫野神社(しぎのじんじゃ)
女性の守護神として崇められ縁結・悪縁切など心願成就の霊験あらたかです。
太閤秀吉夫人の淀君が篤く崇敬したと伝えられています。
御神木
神の使いとされる「巳さん」の住む御神木は,鴫野神社と併せて崇められています。
尚,西側を望むと上町台地の急崖になっており,古くは六甲・淡路が眺望できました。

城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)
大坂城鬼門の守護神として鎮祭されたことから城方向(きたむき)と称します。
 鞴神社(ふいごじんじゃ)
「鞴」とは火起こしの道具で,製鉄・製鋼・鍛冶の守護神として,
また火の用心のカマド神として崇敬されています。
家造祖神社(やづくりみおやじんじゃ)
家造の祖神である手置帆負神・彦狭知神を土木建築の守護神としてお祀りしています。
浄瑠璃神社
近松門左衛門ほか人形浄瑠璃(文楽)の成立に功のあった「浄瑠璃七功神」をはじめ
文楽および女義太夫の物故者を祭神としてお祀りしています。
ちなみに近松門左衛門の『曽根崎心中』の発端は,この生国魂神社境内が舞台です。
義太夫人形浄瑠璃 二百五十年記念燈(左)

二つの緒の八雲の琴に神の世の
しらべを移し伝え来にけり

中山琴主は愛媛の人,文政年間出雲大社に参籠し,神託を得て完成したと伝えられる。
琴は二絃で「八雲琴」と称する。
(右)
織田作之助
   大正二年(1913)十月二十六日生

大阪を愛し,三十三年の生涯は太くて短かかった。
有名な「夫婦善哉」など多くの小説は,庶民の生活を題材にした。
井原西鶴を師と仰ぎ,ジュリアン・ソレルを友として,上方文化の発展に大いに寄与された。
生誕百年を祝して顕彰する。

「…生國魂神社の境内の巳さんの棲んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟の老木があったり…」  
            『木の都』より
 
 平成二十五年(2013)十月二十六日
    寄贈 オダサク倶楽部
     会員 
(会員の名を省略しています)

井原西鶴(いはらさいかく)座像
『好色一代女』や『世間胸算用』を著した井原西鶴は俳人としても有名で,
延宝八(1680)年に当社境内の南坊にて一昼夜四千句の独吟矢数俳諧の新記録を達成しました。
しののめや
 涼しき綿の
  花ざかり

松木淡々は,大阪商家の出で半時庵とも称し
上方享保俳壇の中心として長く活躍した人である。
生玉真言坂(いくたましんごんざか)
天王寺七坂のひとつで,この坂の周辺に真言宗の生玉十坊があったことからこう呼ばれました。
小さな子には急坂ですね…
生国魂神社が『日本書紀』に書かれているというので

巻第二十五
 孝徳天皇(こうとくてんのう) 天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと)

天万豊日天皇は皇極(こうぎょく)天皇の同母弟である。
仏法(ほとけのみのり)を尊んで神々の祭りを軽んじられた。
――生国魂社(いくにたまのやしろ)の木をきられたことなどがこれである。
(『全現代語訳 日本書紀(下)』宇治谷孟/講談社学術文庫より)


伐採のこと他所に見えず。難波宮造営のためか。
(『日本書紀(四)』坂本太郎他校注 校注 岩波文庫 1995年)
お昼は,京橋に出て構内でカツカレー
実は,腸の出血以来,揚げ物やコッテリしたのが食べられなくなっていた…
やっと好きだったカツカレーを食べても大丈夫になりました\(^_^)/
注)急いで記事にしているので間違いがあると思います(o_ _)o