2015年2月26日木曜日

崇禅寺~十三

 改札口で駅員さんにお聞きするとにこやかに
「交番の裏道をまっすぐに行くと着きますよ」と教えてくださった(*^-^*)
凌雲山 崇禅寺(りょううんざん そうぜんじ)
作業員の方にお聞きすると,仕事中なのに…
「案内しましょう」と一緒に目的地まで同行してくださった(*^-^*)
遠城兄弟の墓(剣樹心英居士・刀山天雄居士)

「崇禅寺馬場の返り討ち」(東淀川区
ここが今日の一番の目的地です(^_^)v
 中央の墓が
 1441(嘉吉(かきつ)元)年,室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)が赤松満祐(あかまつみつすけ)に殺され(嘉吉の変),
赤松の一党が逃げ落ちる途中に,その首級を当寺に葬ったことから,
翌42年に管領(かんれい)細川持賢(もちかた)が,義教ならびに細川家の菩提寺として建立した。

(『大阪府の歴史散歩 上 』大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版 2007年)
一番,お参りしたかったのは「細川ガラシャ(玉子)のお墓」

細川ガラシャが1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際して,
夫細川忠興(ただおき)の意を汲み,命を落とした話は有名である。
このとき,宣教師オルガンチノが,細川家の焼け跡からガラシャと殉死者の遺骨を拾い,
細川家ゆかりの当寺に埋葬したものという。

(『大阪府の歴史散歩 上』より)
足利義教の墓(左)と並んで
右の墓は「當山開山塔 徳叟亨隣大和尚の墓」(和尚の名前の読み方は?)
作業員の方に「ここは,空襲の被害にあったのですよね」とお聞きすると
この慰霊碑を教えてくださった。
作業員の方にお聞きしなかったら知らずに帰っていた。
総務省「一般戦災ホームページ」に記事があります。
碑文
 太平洋戦争の戦火この地にも波及し,
昭和二十年六月七日には当墓地を中心とし,
一帯二キロメートルにわたり爆撃,
焼夷弾による被害甚大周囲一望灰陣と化し,
戦災死者五百数十余名此の地に埋葬せらる。
昭和二十八年九月有志の切望に依り改葬墓碑を建立し,
過去帳を当山木堂内陣に安置して各霊位の冥福を祈願す
こヽに終戦二十五周年記念事業として,
改修工事を竣工し,永久に残さんとするものである。
これにより戦災死者,
無縁死者の霊位の追憶思慕を忘れず,
冥福安住を共々お祈り下さるよう切望するものであります。
合掌
昭和四十五年十一月
戦災死者遺族会

崇禅観音尊
足立(あしだて)地蔵尊は,「寛政(かんせい)十一(1799)年」の銘
本堂は,空襲で全焼しました。
現在は鉄筋コンクリート造です。
教えてくださった作業員さんにお礼を言って崇禅寺をあとにしました。
まだここは,復興途中です
法善寺横丁のように復興してほしいですねp(^-^)q
 お昼ごはん
・本日のメイン料理(お肉料理or魚料理)
・惣菜盛り合わせ
・お豆腐料理
・古代米(黒米・赤米)
・お汁物
・麦味噌漬け
 ・ほっとするコーヒー付(*^▽^*)
お気に入りの映画館「第七芸術劇場」の近くの「cocotte(ココット)」(映画館のスタッフに教えてもらったお店です(^_^)v
テレビを見ていた両親からのリクエスト(*^ー゜)
喜八洲」のみたらし団子をお土産に買って帰りました(^_^)v