2026年4月24日金曜日

時々小雨

昨日の雨は、本降りでしたが
今朝は、時々、小雨がパラパラっと降る程度でした。
日本は、温暖で湿潤な気候なのでアメリカのように大規模な山火事は起りにくいと思っていました。
でも、この頃、大規模な山火事が起きていますね…
これも温暖化の影響なのでしょうか?

大槌町山林火災 沢山地区で火が住宅地に迫り 避難呼びかけ」(NHK)

日本の気候」(気象庁)
ネットの記事を見ていると「史実と違う」と書かれているのがありますが
朝ドラ「風、薫る」は、原案が田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語
脚本家は、史実に基づいて忠実に書かないといけないのでしょうかね…
創作の余地はないのかな?
そんなアホナァって思うのですが。
そのような記事は、タイトルをみただけでスルーしていますが…
司馬遼太郎さんの歴史小説、例えば『竜馬が行く』などは、司馬史観が盛り込まれていると思います。
また澤田瞳子さんの『若冲』は、史実と違うと批判されたようですが
若冲のあの凄まじい創作へのエネルギーがどこから生れてくるのか
澤田さんが提示した答えだと思いました。
来週の第5週「集いし者たち」では、看護学校に入学しています。
その看護学校を設立するために大山捨松などが力を貸すのですが
世間の人たちから「御転婆」だと思われていたそうですよ(^_-)

 貴婦人の慈善会と看護婦
 男小使が病人看護


 慈善病院の嚆矢(はじめ)は、東京慈恵病院の前身で、高木兼寛(たかぎけんかん)さんがお始めになったものと考えます。
明治18年に、大日本婦人教育会というものが設立されたのが、貴婦人の活動のこれも嚆矢(はじめ)と考えています。
その前にあったかも知れませんが、微々たるものでしょう。
この大日本婦人教育会には、伊藤(博文)井上(馨)大山(巌)渡辺(千秋)の諸夫人が発起人で、慈善病院を御一同が参観なさいますと、病人の看護が男でした。
男の小使が病人の看護をしているのです。
(『幕末明治 女百話(下)』篠田鉱造 岩波文庫 1997年)
 大山捨松(おおやますてまつ)夫人はさすがに、外国を踏んだ婦人ですから、高木病院長に向って、『先生は外国の事情をよく御存知でありながら、何故看護婦をお使いになりませんのです』と問い詰められました。
高木兼寛先生は、これに対して『御道理(ごもっとも)の御詰問です。看護婦を使いたいのでありますが、経費が許しませんので、やむを得ず、男子を使っております。病人もサゾぎごちないだろうと存じますが、費用がありません』と申して、看護婦養成をしたくても、『ソコまで手が届きません』と述べられたので、各貴婦人が協議をなされ『ソレでは教育会で、経費を差出しましょう。是非看護婦を御養成なさいまし』と、大きな味方を得られて、先生も大喜びで、早速看護婦養成を始められました、渡りに船ですから。
 この経費の基本金を調達するため、各貴婦人は、大日本婦人教育会の名義の下(もと)に、鹿鳴館(ろくめいかん)でバザーを開かれました。
これがそもそも慈善会の嚆矢(はじめ)と考えます。
名流貴婦人が一堂に集って商品を売るんですから、新聞の記事に掲げますと、世間の人々は驚きました『ヘエ貴婦人の商売なんて御転婆なことになったのだろう、誰が買物をする人だね、ナニ大臣方や華族さんがお客様だって、大変な世の中になったものだね』と旧弊の老婦人たちは、吃驚(びっくり)したと申します。
このまたバザーの売子に、お嬢様を出さないで、捫着(もんちゃく)のあった御屋敷もあったといいます。
 西郷候と井上令嬢

 当日は鹿鳴館に、馬車人力車がひっきりなしに出入し、総裁有栖川宮(ありすがわのみや)妃殿下を初め、皇族方が御詰め遊ばされて、お手許金も出しました。
入場料を二十銭取ったものです、今なら五十銭か一円でしょう。
ソレばかりか、来観者は何かしら買わせられる、否応なしですから、旧藩主の奥方につかまって、ハハアとお辞儀をして、何かしら買い、五円札を出して、おつりを待っていると『慈善会(ばざあ)はおつりなしよ』といわれ、ハハアとまたお辞儀をして、コソコソ逃出して行く官員さんがありました。
 西郷従道(さいごうじゅうどう)候が来観せられると、井上さんの令嬢が通せん棒をして『何か慈善ですから、お買い遊ばせ。素通りはさせません』と、立塞(たちふさが)ったので『おいどんも何か買いますか』と驚いて、四円の買物、釣銭なしの五円を召上げられそうそう帰って行かれました。
 こうした慈善金で、慈善病院の看護婦養成所が出来る。
男の小使は女の看護婦と代りました。
施療の患者も、この方がよほど慰安になったでしょう。
柔かい手で介抱されることは、患者の心のなごみです。
こんな風に慈善病院が看護婦を養成し、看護婦も漸次世間に認められて来ました。
ただ看護婦に対する心持が、まだその頃は荒く、とかく軽侮する風があって困りました。
前申した鹿鳴館のバザーの時、アイスクリームというものを初めて喰べました。
(『幕末明治 女百話(下)』篠田鉱造 岩波文庫 1997年)

「武士の商法」や「士族の商法」は失敗することが多かったのですが
貴婦人や令嬢のセールスは、大成功だったみたいです(^_-)
高木兼寛について
本学の源流」(慈恵大学)

歴史探偵「西郷隆盛 3つのミステリー」(4月22日)
西郷の肖像画は、死後、弟の西郷従道と、従弟の大山巌の顔をモンタージュして描いたと紹介されていました。

西郷隆盛(たかもり)」(国立国会図書館)

西郷従道(つぐみち)」(国立国会図書館)

大山巌(おおやまいわお)」(国立国会図書館)
先日、町歩きで読んでいた本から

 第四章 関東で猛威をふるう平将門
 現代に生きる将門


 現在でも将門に関する遺跡・遺物は関東を中心に広範囲に広がり、さまざまな伝説を有している。
また、祭でも将門が題材として取り上げられ、栃木県那須烏山(なすからすやま)市の山あげ祭で奉納される「将門」など、民衆の間に深く浸透していると言える。
 こうした伝説がいつどのような経緯で語られるようになったのかという点については、本書の考察の範囲外であるが、その多くは江戸時代に数多く制作された読本・黄表紙(きびょうし)・合巻(ごうかん)・錦絵・浄瑠璃・歌舞伎・狂言などの影響を受けて作られたと考えてよいだろう。
(『怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院』山田雄司 中公新書 2014年)
 なぜこのような多種多様な作品に将門が登場し、伝説が作られたのかといえば、体制に抵抗して反旗を翻したものの、最終的に追討されてしまったという悲劇的側面に人々が共感をおぼえたからではないだろうか。
 神田明神は江戸っ子の氏神として信仰を集め、氏子は今でも将門調伏をになった成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)には参詣してはいけないとされる。
将門伝説は今でも人々の心の中に行き続けているのである。
(『怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院』山田雄司 中公新書 2014年)
レバノンやパレスチナで起きていることは、どのように語られるのでしょうか
ロイターの投稿(4月21日)
映像:イスラエル兵がキリスト像を斧で破壊、外相が謝罪「恥ずべき行為」 支配下のレバノン南部で

シオニストは、キリスト像だけではない
武器を持たないパレスチナの子どもや女性を殺戮している。
それは「恥ずべき行為」ではないといっているのと同じ。

Will Christouの投稿(4月23日)
レバノンのジャーナリスト、アマル・ハリルは、何時間もの捜索の末、瓦礫の下から遺体で発見されました。彼女は、イスラエル軍が救急車に発砲し、彼女の救出を遅らせた後、イスラエルの攻撃で殺害されました。

 …後略…

BladeoftheSunの投稿(4月23日)
2009年の議会におけるユダヤ系国会議員ジェラルド・カウフマンの発言。
「私の祖母は、ナチスが彼女の町に来たとき、ベッドで病気でした。
ドイツ兵が彼女を撃ち殺しました。」

「私の祖母は、イスラエルがガザでパレスチナ人の祖母たちを殺害するための隠れ蓑を提供するために死んだのではありません。」
今朝の父の一枚です(^^)/
ちょっと分かりにくいかも知れませんがツバメに会えて喜んでいました。

 ツバメ 
 スズメ目ツバメ科、全長17cm
つばさや尾が長いスマートな鳥です。
濃い紺色の背に白い腹、赤いのどの、だれもが知っている渡り鳥です。
3月ごろ日本に渡ってきて、巣づくり、子育てをし、秋には再び東南アジアに渡って行きます。
ツバメは人家の軒下などに泥と枯草でおわん型の巣をつくります。
春から夏にかけて1、2回、多いもので3回ひなをかえします。
巣立ったひなは、川原や水田に集まり、集団で生活します。
鳴き声は、「チュビッ、チュビッ」という地鳴きと、「チュビチュチュチュビーチュクチュク」というさえずりがあります。
さえずり声は「虫食って、泥くって口渋ーい」というように聞こえます。
このように野鳥のさえずりに人の言葉を当てはめることを、‘聞きなし’といいます。
(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)