2026年4月8日水曜日

4月になって

公園に向かっていると中学・高校生たちの姿を見ました。
今日から学校が始まるようです。
久しぶりの公園。
一気に季節が進んでいました。

帰り道、小学校の入学式があったのかなぁ?
両親に連れられてランドセル姿の小学生を見ました(新1年生?)。
地域によって違いがあるようですが
入学式に合わせ 新小学1年生に交通安全呼びかけ 兵庫 尼崎」(関西NHK)
前から気になっていたウコンザクラが花を無事咲かせていました。
 と言うのも枝が折れて垂れ下がっていたのです。
こんなになっても花を咲かせるのを見ると元気をもらえますρ(^^)q
先日訪ねた大悲閣千光寺は、日本人の観光客や参拝者が少ないのに
外国からの観光客は、どうしてこのお寺を知ったのだろうと不思議に思っていました。
という私もこのお寺を知ったきっかけは
何だったのかと思い出せずにいたのですが
昨日、京都の本を本棚から引き出すと
新聞の切り抜きがポトンと落ちました。
朝日新聞(2022年7月23日)、関西版に掲載された記事です。
サイトの記事と新聞の記事では、見出しや内容に少し違いがあります。
新聞記事からの転記ですφ(.. )

 まだまだ勝手に関西遺産
 京都・大悲閣 小説に「貧乏寺」紡いだにぎわい


 寺の言い伝えでは、かつて「金閣」「銀閣」と並び称せられた、という。
しかし、平成のミステリー小説には、「京都屈指の貧乏寺」として、実名で登場する。
 謎深きその寺は、京都・嵐山の中腹にある。
名は大悲閣千光寺(だいひかくせんこうじ)
 渡月橋から、保津川沿いの細道を上流へ。
歩くこと約1キロ、20分かけて寺の参道にたどり着く。
さらに石段を7、8分程上る。
山肌にせり出すように立つ寺で、18代目住職の大林道忠(どうちゅう)さん(65)が迎えてくれた。
 大林さんが住職となったのは1990年代半ば、境内は木々が生い茂り、参道も荒れ放題。
伊勢湾台風(59年)などの被害を受けた本堂は既に解体され、客殿もワイヤによる補強で保たれている状態だった。
檀家(だんか)はなく、観光ルートからは外れている。
京都の人にも知られておらず、外国人客が日に数人訪れる程度。
まさに「朽ち果てる寸前」だった。
 寺の中興の祖は、江戸時代初期に保津川を開削した豪商・角倉了以。
難工事で犠牲となった人々を弔うため、嵯峨にあった名跡を移設し、晩年は自身も暮らしたという。
 歴史のある寺を守ろうと奮闘する大林さんに、友人が声をかけた。
「寺に人が来るような小説を書くよ」
 作家の北森鴻(こう)さん。
大林さんが20代のころ、仲間の下宿を時折訪ねてきたのが、5歳年下の北森さんだった。
当時は編集プロダクションに勤めながら、作家修業中の身。
友人の友人として親交が深まっていった。
 北森さんは93年に作家デビュー。
連載を複数抱えるようになっても、京都、そして大悲閣に足を運んだ。
 かくて誕生したのが、「支那(しな)そば館の謎 裏(マイナー)京都ミステリー」(2003年、光文社)。
裏家業から足を洗った、〝由緒正しき貧乏寺〟の寺男、有馬次郎が数々の難事件を解決する。
京都の料理や風物がエッセンスとなった、味わい深いミステリー連作だ。
寺には、北森ファンが訪れるようになった。
 しかし、10年1月、北森さんは48歳で急逝した。
その数カ月前、「ちょっとしんどいんだ」と言って、境内の灯籠(とうろう)の横にじっと立っていた姿が最後になった。
 いまでも、客殿に置かれたノートには「作品のファンです」「もっと続きが読みたかった」という書き込みがある。
大林さんも同じ思いだ。
 住職となってから25年余り。
客殿の改修、手書きの看板設置、毎日のブログ……。
大林さんの試みは実を結び、ネットやテレビ番組で知った拝観客のほか、コロナ禍前にはアメリカの旅行会社のツアー客が年間1千人以上訪れるほどになった。
 静寂に包まれる客殿で、縁台に腰かける。
眼下には一面の緑と青深い川面、向こうに古都のまち。
絶景と呼ぶにふさわしい眺めが、そこにはある。 (尾崎千裕)
一周忌に40人が集まる
 北森鴻さんのファンサイト「酔鴻思考」運営橋爪一彦さん(56)


 京都・先斗町でバーをやっていた03年、ファンメールを送ったのがきっかけで、北森鴻さんが店を訪ねてきてくれるようになりました。
「裏京都」の構想を練りながらお酒をのんだり、ファンのオフ会を大悲閣で開催したり。
当時、客殿の畳床はふかふかで、少し傾いていた。
北森さんの一周忌に、縁の深い大悲閣で追悼をと思い、急きょサイトで告知したら40人ほどが集まりました。
その後も「酔鴻(すいこう)忌」として、ファン同士の交流が続いています。

 … ◆ … ◆ … ◆ …

残念ながら大悲閣千光寺を舞台にしたミステリー小説は、
品切れになっていたので図書館で借りました。

支那そば館の謎 裏(マイナー)京都ミステリー

ぶぶ漬け伝説の謎 裏(マイナー)京都ミステリー

以下のアンソロジーで一編だけ読むことができます
傑作ミステリーアンソロジー 京都迷宮小路』(朝日文庫 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)/
天気予報を見ていると明日、夜には雨が降り出すようです。

 ヒヨドリの食べもの 

 さて、それではヒヨドリの食べものを、季節を季節をおってさぐってみましょう。
きっとヒヨドリが都会で繁殖できるようになった理由がわかるかもしれません。
 冬、顔を黄色に染めたヒヨドリを見かけることがあります。
これはツバキの蜜を吸おうとして花の中に顔を入れたため花粉がついたのです。
アオキやナンテンの木の下に落ちている実をよく見ると、上下に二本ずつ線がついていることに気がつきます。
これはヒヨドリが鋭いくちばしでもぎとり、落としてしまったのです。
 春になって、梅の花が咲きはじめると、蜜を吸いにくるヒヨドリをよく見かけます。
つぼみを食べてしまうこともありました。
サクラの蜜を吸ったり、つぼみを食べることもあります。
白いコブシの花びらを、むしりとっては食べているのを観察したこともあります。
 夏には、飛んでいるセミやアゲハをつかまえるところをよく見かけます。
つかまえると、枝にとまり、くちばしでくわえたまま枝にうちつけ、翅をむしり取って食べます。
 夏の間もヒヨドリがすむようになり、都会のセミが減ったという昆虫学者もいるくらいです。
 巣のひなに運んでくるえさを見ると、ヤモリ、アマガエル、クビキリギリス、青虫、木の実などさまざまです。
 秋になると、カキ、ナシなどの果実や、ハゼノキ、コブシ、イイギリ、ムクノキ、エノキ、グミ、ピラカンサ、ヘクソカズラなどの実を食べているところを観察したことがあります。
 また秋から冬にかけて、食べものが欠乏するころに、ハクサイやキャベツの葉を食べていたこともありました。
 このように、花の蜜、つぼみ、花びら、木の実、野菜,果物、昆虫、は虫類、両生類、など、手当たりしだいなんでも食べてしまうのです。
 これが都会で繁殖するようになったヒヨドリの秘密なのではないでしょうか。
(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)