2026年4月18日土曜日

寒暖差が大きいなぁ……

出かけるときは曇り空で少し寒さを感じたのに
歩いていると次第に暑くなってきました。
昨日、気象庁が40℃以上の日の名称を「酷暑日」に決定の報道がありました。
今年は、猛暑日や酷暑日が多くなりそうですね(@@;)

最高気温が 40℃以上の日の名称を「酷暑日」に決定〟(気象庁 4月17日)
 ロバート キャンベルさんの投稿(4月17日)

アクセスしてみてください(^_-)
投稿を読むとヘグゼス長官がペンタゴンの集会で
旧約聖書のエゼキエル書25章17節」を引用したそうです。
私には、引用された動画が大統領の好きな
AIによるフェイク動画なのかわかりませんので
ご覧になって判断してください。
動画を見る限り
聖書に新たな「●●●●」書を追加しようとしているのかな?

トランプ大統領は「キリストの再臨も同然」 共和党議員が主張〟(Mary Whitfill Roeloffs | Forbes Staff)
記事の中に〝ヘグセス国防長官も問題発言、「殺し屋の台詞」引用〟と書かれています。

大統領の支持者は、「信者」と言えるかも知れませんね。

旧約聖書 章・節対照表」(日本聖書協会)

VATICANのニュースはAIによるフェイク動画ではないと思いますよ(^_-)
風、薫る(15)第3週「春一番のきざし」
大山捨松が幼少の時に体験した、「会津の戦い(戊辰戦争)」を大家直美に話していました。
会津 なよ竹の心 誇り高く戦いぬいた女性たち」(NHKアーカイブス 2018年)

ラフカディオ・ハーンと小泉セツの間では、「ヘルンさん言葉」で言葉の壁を乗り越えていましたが
捨松と巌もお互いの「母語(お国のことば)」が通じませんでした。
捨松と巌の会話は……
(ネタバレになるかも)
 第二章 鹿鳴館
 大山捨松からの誘い


 翌日も鹿鳴館へ行き、一日がかりでバザーの片付けを終えた和は、舞踏室のベランダに出てみた。
以前、家族で見物した広い庭が一望できる。
そこへ捨松がやってきた。
「あなたが手伝ってくれて、とても助かりました。お名前を教えてください」
「大関和と申します」
「オオゼキチカさん」
 捨松は一音ずつ確認するように発音した。
「英語はどこで習ったのですか」
「この近くの植村英語塾です」
「女性の生徒もいるのですね」
「私一人です」
「そうですか」
 捨松が曖昧な表情を浮べたので、和は「素敵なお庭ですね。以前、家族と来たことがあります」と話題を変えた。
(『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる 中央公論新社 2023年)
「ずいぶんおかしな庭です。日本のものと西洋のもの、それ以外のものがごたまぜです。でも、それこそが文明開化なのかもしれません」
 和は、西洋文化を象徴しているような捨松が、「ごたまぜ」を悪く思っていないことが意外であった。
「建物もおかしなところばかりです。でも、入れ物は関係ありません。そこで何ができるかです」
 多忙な捨松が、ゆっくりとたたずんでいるので、和はふと浮んだ疑問を口にした。
「捨松様は、アメリカで看護学校へ通われたとうかがっています。なぜ看護を学ぼうと思われたのですか」
「傷ついている人が目の前にいたら、必ず助けたいからです」
 捨松は迷わずそう答えると、話を続けた。
「私は八歳のときに、戊辰戦争を経験しています」
 和はもちろん知っているが、その話題にはあまり踏み込みたくない。
自分が黒羽藩(くろばねはん)出身だと知ったら、捨松はどんな顔をするだろう。
「私たち会津藩士の家族は、ひと月の間鶴ヶ城に籠り、敵と戦いました。毎日引っ切りなしに砲弾が飛んできて、親しい人たちが次々に亡くなりました」
 和は胸が痛む。
「和さんは新島八重さんをご存知ですか?」
「鶴ヶ城の籠城戦で、銃を構えて応戦した勇ましい方ですね。私の国元でも語り草になっています」
 新島(旧姓山本)八重は会津藩の砲術師範の娘で、スペンサー銃で新政府軍を迎撃し、敵のみならず味方も驚かせたという逸話の持主である。
「八重さんほど強くはないけれど、女も子どももみんな命懸(が)けで戦いました。鉄砲の玉を鋳造したり、飛んできた砲弾に濡れ布団をかぶせて爆発を防いだりして、城を守ろうとしたのです。兄嫁は、濡れ布団をかけた砲弾が爆発してしまい、苦しみながら息を引き取りました。男も女も子どもも、本当に大勢の人が怪我を負い、ろくな手当ても受けないまま亡くなったのです」
 捨松は日本語で話すことがまどろっこしくなったのか、途中から英語に替えた。
「アメリカへ渡ってからも、ふとしたきっかけで、傷つき横たわる故郷の人々の姿が脳裏によみがえりました。あの時、自分が大人で、怪我の手当をする術を持っていれば、何人かは救うことができたのではないかと今でも思います。ですから、アメリカで看護を専門的に学べる学校があると知ったとき、矢も盾もたまらず、入学させてもらったのです」
 捨松は、名門ヴァッサー大学を卒業生代表に選ばれるほどの優秀な成績で卒業したあと、帰国までの二ヵ月間、ニューヘイブン病院付属コネチカット看護学校に学び、病院実習も行った。
寄宿していたベーコン家の親類が同校の創立者であったため、特別に入学を許可されたのである。
「短い間でしたが、得るものは多かったです。日本にもトレインド・ナースが必要だと痛感しました」
 捨松が看護学校設立に意欲を燃やす理由が、戊辰戦争の鶴ヶ城籠城戦にあったとは。
和は捨松の横顔をじっと見つめる。
長い留学期間を経て、洋装の似合う陸軍卿夫人となっても、捨松は会津を忘れていなかった。
「和さん、ご出身はどちらですか」
「黒羽です」
 捨松が質問に丁寧に答えてくれたので、和も正直に答えた。
「父は家老でした。面目もございません」と続ける。
 申し訳なさそうに言う和を見て。捨松が吹き出した。
そして日本語に戻り、こう言った。
「会津と黒羽が敵対したことと、私とあなたのことは、まったく関係ありません。そんなことを気にしていたら、新しい人間関係は築けません。例えば私たち夫婦はどうなるでしょう。夫の巌は鶴ヶ城攻撃のとき、新政府軍の砲兵隊長を務めていたのですよ。私は、飛んできた砲弾を拾い集める役目をしていました。だから、巌から結婚の申し込みがあったとき、家族は大反対しました。特に陸軍に勤めている長兄は巌の部下なので、周りから『出世のために敵(かたき)に妹を差し出した』と言われるのがいやだったようです。でも、私は巌と会ってみて、結婚するならこの人しかいないと思いました」
 捨松はいたずらっぽく肩をすくめてから、「だって私、日本語が苦手でしょう。彼とならフランス語で会話ができるのです。初対面のときは、私が会津弁、彼は薩摩弁なので、まったく話が通じませんでした」と言って愉快そうに笑う。
 大山巌はヨーロッパ留学の経験があり、フランス語が話せた。
もちろん、捨松は会話の可否で巌を選んだわけではない。
和は、激戦の会津から出立し、アメリカへ渡り、最終的に巌に出会えた捨松の奇跡のような人生を羨ましく思った。

 …後略…

(『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる 中央公論新社 2023年)

先日、本屋さんに行くと文庫本が出ていました。
明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる 中央公論新社 2025年)

鶴ヶ城天守閣再建60周年記念事業」(会津若松市)
  【対談】 ハンサム・ウーマンの内に潜む在野精神
                  
保坂正康・大谷實(同志社総長)
 「日本のナイチンゲール」
 

 …前略…

保坂 第三ステージは新島の死後、昭和7年(1932)に86歳で死去するまでの42年間、一人で生きた時代ですね。

大谷 その中で一番有名なのは、日清・日露戦争で従軍看護婦を務め、皇族以外で初めて女性で叙勲を受けたことです。「日本のナイチンゲール」と呼ばれたほどでした。従軍看護婦も相当の決意がないとできない仕事。また、それ以前から日本赤十字の正社員として活躍していました。

 …後略…

(『八重と新島襄』保阪正康 毎日新聞社 2012年)
今朝の父の一枚です(^^)/
キジバトを撮していました。

 「タンポポの観察」つづき 

 株のつけ根から頭を出したつぼみは、1週間ほどで背がのび、花を咲かせます。
花は二日ほど咲くと、しぼんで横にたおれてしまいます。
そして1週間ぐらいで再び立ち上がります。
 立ち上がった茎はどんどんのびて、2倍以上の長さになり、白いみごとな綿毛帽子を開くのです。
それから、遠くへ遠くへ種子を飛ばすために背をのばし、風を受けやすくするのです。
 一面黄色のタンポポ畑などみたことがないという人がいるかもしれません。
でも綿毛になっているタンポポ畑なら知っている、そういう人は、きっと朝早く学校へ行き、夕方おそく学校から帰る人です。
なぜって、タンポポは夕方から朝までは花を閉じてしまうからです。
 タンポポの花は明るさによって花を開いたり閉じたりします。
ためしに、咲いているタンポポにボール箱をかぶせてみてください。
1時間か2時間後に箱をとってみると、花が閉じてしまっているのを見ることができます。
(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)