午後から空が曇ってきて風もふいてきた。
昨日、奄美地方の地震、父が心配して電話をすると
かなり揺れたのでビックリしたそうです。
「鹿児島 奄美地方で震度4 津波の心配なし」(鹿児島NHK 12月30日)今日の画像には、ブログの更新をしなかったときに撮影した画像も含んでいます。
年々、野鳥の数が減っているように思います。
1時間ほどのリハビリ散歩なので、野鳥と出会わないことが多くなりました。
前回、紹介した『枕草子』の現代語訳を転記しますφ(.. )
なお、前回は、「三巻本系統」を使用していましたが
今回紹介する本は「能因本(のういんぼん)系統」を使用しているので本文や章段などに違いがあります。 【第二三一段】
訳
騒々しいものと言えば、ぱちぱちと爆(は)ぜる炭火の走り火。
いつも走り火には、びっくりさせられる。
お坊さんが、食事の残りを鬼神・餓鬼・鳥獣へのお布施(ふせ)として、屋根に播(ま)いておいたのに、烏が飛んできて、がーがー鳴きながらついばんでいるのは、それが板葺きの屋根の上であった時には、ひどく騒々しい。
十八日の観音様の日に、清水寺に参籠しようものなら、その大混雑には辟易(へきえき)する。
夕方になってあたりが暗くなってきたのだけれども、まだ燈火を灯(とも)さないでいるうちに、いろいろな所から、人々が一杯集まってくると、騒々しい。
まして、遠方や地方から、受領(ずりょう)になって赴任していた家主が久しぶりに上京してきた時などは、大勢の来客がひしめいて、てんやわんやである。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)また、「すぐ近所から、火が出たぞーっ」などという叫び声が聞こえた時は、本当にびっくりするが、自分の家に類焼しなかったようなので、人騒がせだなあ、などと思う。
祭見物などをすっかり終えて、何台もの牛車が、我(われ)がちに、大騒ぎして帰途に就(つ)くのは、騒々しい。
評
ここで書かれている騒がしい物とは、思いがけない突発的な出来事や、予想以上の状況が列挙されている。
びっくりさせられたり、不快に思ったりして、それらに対する拒否感が、落ち着きを破って、心をざわつかせるのだ。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年) 大歳(おおどし)の火
大歳、つまり大みそかの夜に起きた出来事を物語る一連の昔話がありますが、その中に「大歳の火」という話があります。
昔、あるところに、ばあさんと息子とその嫁の三人の家族が住んでいる家がありました。
その家では、毎朝ばあさんが朝早く起きて囲炉裏の火をたきつけてきました。
しかしばあさんも年を取ったので、大みそかの晩に嫁に「明日からおまえが火をつけろ」と言いつけます。
嫁は「はい」と言って、その夜は囲炉裏のおきを灰の中へ埋めて寝ます。
ところがばあさんは嫁が寝てから、囲炉裏の中へ水を入れて火の種を消してしまいます。
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)そんなことは知らない嫁は暗いうちから起き、火をたきつけようとしますが、火の種は消えていました。
嫁は困って外へ出て立っていますと、向こうから提燈(ちょうちん)を下げた人がきます。
嫁はやれよかったと思って「火の種をおくれ」と言うと、その人は「死体を預かってくれれば火の種をやる」と言いました。
その人は棺桶(かんおけ)をしょっていたのです。
嫁はしかたがないのでその棺桶を預かって火の種をもらいます。
次の朝その棺桶を片付けようとしたら、桶がこわれて金が出てきたということです。 この話は下水内郡に伝えられているのですが、県下では北安曇郡小谷村でも同じような昔話が採集されています。
全国の分布を見ると、青森から沖縄まで各地で採集されています。
近県では新潟、山梨、岐阜で採集されていますが、長野県のものと同型ですので何か交流があったのかも知れません。
一年の境目、つまり12月31日から1月1日になるまでの何時間かの間、昔の人々は歳神様を迎えるために身をつつしんで、厳重な物忌(ものいみ)をし、眠らずに起きていたといいます。
大歳の火という昔話はこういった信仰が背景にあるのです。 それから、昔は囲炉裏の火をその家の主婦が管理しました。
火を起こすことがなかなか大変だったので、火種を絶やすことは女性の恥(はじ)と考えていたようです。
大歳の火という昔話にはこういった習俗も背景にあるように思われます。
(浅川欽一 民俗研究家)
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)
いつも思うのは、姑の嫁いびりの話はあるけれどと思っていたら
朝ドラ「ばけばけ」で婿イジメの話がありましたね…「師走」は師匠でさえ走るといわれるのですが、なんと平安時代からいわれているとか
学校の先生は、年がら年中走っていますが(^_-)
第三章 秋から冬への行事
6 十二月の行事―新しい年へ
3 煤払い 借金の返済、清算
12月といえば、師走(しわす)といって、師匠が走るくらいに忙しい月だというのは、すでに平安時代末期の辞書『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』にもみえるくらいに古くからのことです。
でも、年末に12月はなぜ忙しいのでしょうか。
それは、むかしから年内に済ませておかねばならないことが多かったからです。
一つは、借金の返済、清算でした。
もう一つは、煤(すす)払い、大掃除でした。
そして、もう一つは、正月を迎えるための準備がいろいろと多かったためでした。
(『春夏秋冬の年中行事 日本の暮らしと伝統』新谷尚紀 吉川弘文館 2025年)
第一の、借金の返済や清算が歳末の一大事だったというのは、むかしの商売のしきたりでは毎日の品物の売り買いや飲み屋の代金など、現金払いではなく、ツケで払うのがふつうだったからです。
現金でその場で支払いを済ませてしまうということはあまりありませんでした。
しばらくの猶予期間をおくというかたちで、売り主と買い主との人間関係をだいじにしようという気持ちがあったのです。
日本最初のスーパーマーケットの紀ノ国屋が東京の青山に開店したのは、昭和28年(1953)のことでした。
その10年後の昭和38年(1963)には、スーパーマケットは全国で5000店舗へと急増していました。現在では、どんな品物も揃えているスーパーは、なくてはならにものとなっていますが、むかしの小売店のような商品の量り売りの方法や、ツケという支払いの方法は消えていっています。
パック売りで、レジでの現金払いというのがふつうになってきて、それが現在ではクレジットカード払いやスマホ払いのキャッシュレスへと大きく変化してきています。
便利なようにみえますが、歴史的には料金の後納から前納へという変化であり、その間の金利の上で企業にとって断然有利な決済の方法だということに気づいている人が賢い消費者、ということになるのかもしれません。
しかし、キャッシュレスの便利さに慣れてしまっていると、そんなことも言っていられないのが現状です。
(『春夏秋冬の年中行事 日本の暮らしと伝統』新谷尚紀 吉川弘文館 2025年)
第三章 宮中の歳時記、茶の湯の四季
京菓子の歳時記 一月―十二月
…前略…
もともと宮中では、十二月の二十日より後に煤払というものがあったわけですが、それを十二月十三日の日に設定するようになるのは、だいたい徳川四代将軍のときからだろうと思うんです。
わが家に残っている十二月の宮中行事にちなんだ袴腰の木型に、元禄十(1697)年十二月十三日と書いてあるところをみると、京の御所の煤払も江戸城と同じ日に変わっているという一つの証拠になるわけです。
東福門院(とうふくもんいん)以降、明正(めいしょう)天皇(在位 1629―43年)・後光明(ごこうみょう)天皇(同 1643―54年)・後西(ごさい)天皇(同 1654―63年)のころに、徳川家のしきたりというものが色濃く御所に根づいたという一つの証左だろうと思います。
(『和菓子の京都 増補版』川端道喜 岩波新書 2025年) 常御殿の中は男禁制ですけれども、煤払の当日は、大掃除ですから、六丁衆(ろくちょうしゅう)それから公家の若い衆がみな総出で手伝う。
天皇は朝から修学院なり桂なりどこかへ行幸(ぎょうこう)します。
その間に掃除をすまそうとして、ほの暗い常御殿のなかで、緋の袴をはいた女官、黄色い袴の公家、白袴の六丁衆、その袴の腰板が華やいで右往左往するのです。
そういう様を一つの餅の形にして残したのでしょう。
御所の歳事の中ではいちばん粋(すい)なというか、粋(いき)なというか、そういう名前をつけた菓子が袴腰として残っているわけです。
現在の茶道のうえでも、もう赤、黄という餅は淘汰されて白い餅だけが残っているのですが、十二月の夜話の席なりで使われる餅になっているわけです。
(『和菓子の京都 増補版』川端道喜 岩波新書 2025年)
「茶の湯の菓子 袴腰」(表千家不審菴)
「御常御殿(おつねごてん)」(京都御所)折々のことば 鷲田清一 3552
憲法は……様々な失敗を繰り返してきた死者たちからの「戒め」であり、
現在・未来の国民を拘束する「重し」である。
中島岳志
少数者の権利を擁護しつつ最終的には多数決で諸々(もろもろ)の決定をなす民主主義と、国の最高法規である憲法はしばしば衝突する。
その差違(さい)は、前者が生者を、後者が死者を主語とするところにあると政治学者は言う。
憲法は死者の経験知によって国民と政府の「一時の熱狂や暴走を阻止する」装置なのだと。
中島編「死者とテクノロジー」から。
2025・12・30Kazeの散歩道に訪問してくださったみなさまありがとうございました。
誤字脱字ばかりでなく思い違いが多々ありました(^_^;
来年も早とちりで勘違いをすることが多いと思います……
こんなブログですが、懲りずに来年もよろしくお願いします。
なお、以前、書きましたが伯父・伯母が相次いで旅立ちました。
三等親なので喪中でなくてもいいようですが
なにかとお世話になった伯父と伯母です。
しばらく記事の更新を休みたいと思います。
皆様にとって実り多い一年でありますように願っています。
今朝の父の一枚です(^^)/ 中島岳志
少数者の権利を擁護しつつ最終的には多数決で諸々(もろもろ)の決定をなす民主主義と、国の最高法規である憲法はしばしば衝突する。
その差違(さい)は、前者が生者を、後者が死者を主語とするところにあると政治学者は言う。
憲法は死者の経験知によって国民と政府の「一時の熱狂や暴走を阻止する」装置なのだと。
中島編「死者とテクノロジー」から。
2025・12・30Kazeの散歩道に訪問してくださったみなさまありがとうございました。
誤字脱字ばかりでなく思い違いが多々ありました(^_^;
来年も早とちりで勘違いをすることが多いと思います……
こんなブログですが、懲りずに来年もよろしくお願いします。
なお、以前、書きましたが伯父・伯母が相次いで旅立ちました。
三等親なので喪中でなくてもいいようですが
なにかとお世話になった伯父と伯母です。
しばらく記事の更新を休みたいと思います。
皆様にとって実り多い一年でありますように願っています。
白い鳥はアヒルですが…
除夜(じょや)の妻白鳥のごと湯浴(ゆあ)みをり 森澄雄(もりすみお)
『雪櫟(ゆきくぬぎ)』(昭29)所収。
大正8年兵庫県生まれの俳人。
加藤楸邨に師事した。
ボルネオ戦線に従軍、辛うじて生還し、療養生活ののち教職についた。
句は昭和29年の作。
作者は当時武蔵野の片隅で板敷きの六畳一間に親子五人で暮らしていたという。
土間にすえた風呂で妻が湯を浴びているのだ。
生活環境は貧しくとも人の命は輝き出る。
そしてその夜が「除夜」である所に、格別の感動がある。
…後略…
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)
















こんばんは~
返信削除もう「ゆく年くる年」が始まってしまっています~
清水寺の大舞台が映っています。
Kazeさん~
いつも丁寧に調べられたお話をきちんと書いておられるのことに
凄いなぁ~と感心ばかりです。
今回は、囲炉裏の焚きつけのお話に。。
そういう時代を経て。。いまはいとも簡単にガス火や電磁調理器があります。
小売店でのつけ払いも、子供の頃に経験しています。
今やクレジットやなんとかpayなどのキャッシュレス。。
ほんとうに時代の移り変わりを想う近頃です。
Kazeさん~いつもお越しくださり、嬉しいコメントまで頂き有難うございました。
🍀どうぞ令和8年良いお年をおむかえくださ~い🍀
カイさんいつもコメントありがとうございます(^^)/
削除今、父と二人で公園を歩いてきました。
新年ですが日々変わらずです(^_-)
よく「日本の伝統」という言葉を使う方がおられますが
時代をもっと辿ると日本人の知恵に感心するばかりです!
>小売店でのつけ払いも、子供の頃に経験しています。
私の子どもの頃もつけ払いというかそん時代でした。
キャッシュレスの時代ですが、目の前で現金を払わないでいると幾らでも買い物をしそうなので
唯一使っているのは、事前にチャージするプリペイドカード一枚だけです。
カードの枚数が増えると訳が分からなくなるので一枚だけです(^_^;
カイさんの記事は、お孫さんや姉妹の話題などでホッコリしています。
今年もよろしくお願いします。