2025年12月5日金曜日

二度寝しそうだ…

今朝は、風が冷たいこと…
イチョウの木も丸裸になっているみたい
布団の中から出たくないのだけど
夜中にトイレで起きることになる(^_^;
一方、この子たちは冬眠をする時期なのに

冬眠のはずが…雪の中で相次ぐクマ目撃 いったい何が」(NHK 12月4日)
もう冬眠していて出会えないのだけど
トノサマガエルはスズメバチに刺されても捕食できる」(神戸大学 12月4日)
どのような仕組みで毒性や痛みに耐えられるのかは未解明」なんですが
今後の研究に期待したいです。

朝ドラ「ばけばけ」第10週「トオリ、スガリ。」で
蛇と蛙は冬眠して土の中から見守っているそうです(^_-)
寒さに震えるヘブンにリヨが陶製湯たんぽをプレゼントしました。
当時は、庶民に手が届かなかったようです。
時代が進みブリキ製の湯たんぽが大正時代に登場したようです。
そして陶製湯たんぽは戦時中に代用品として復活しています。

冬に使う道具」(金沢くらしの博物館)

博物館収蔵資料紹介~湯たんぽと行火(あんか)」(相模原市立博物館の職員ブログ 2022年8月3日)
ヘブンが松江の寒さに風邪をひいてしまったのですが

八雲会The Hearn Socityの投稿に

西田千太郎の紹介でハーン(#小泉八雲)を診察した田野俊貞の医院……12月2日


明治41(1908)年、田野医院で勤務医の子が誕生。
後に長崎で放射線医となる永井隆です。
放射線の影響で白血病を患い、原爆により重傷を負いながらも被爆地で救護活動に当たり、『長崎の鐘』などの著書で平和の尊さを訴えました。
12月2日
 出雲は面白くてヘルンの気に行つたのですが、西印度のやうな熱い処に慣れたものですから、出雲の冬の寒さには随分困りました。
その頃の松江には、未だストーヴと申すものがありませんでした。
学校では冬になりましても、大きい火鉢が一つ教場に出る位のものです。
寒がりのヘルンは西田さんに授業中、寒さに困ることを話しますと、それならば外套を着けて居て、授業をなさいとの事でした。
この時一着のオヴアーコートを持つて居ましたが、それは船頭の着るのだと云つて居ましたが、それは着て居たのです。
好みはあつたのですが、服装などはその通り無雑作でかまいませんでした。
(『思ひ出の記』小泉節子著 一絛裕子絵 ヒヨコ舎 2003年)

ハーベスト出版から復刊しています。
この松江の寒さの体験が

 パパさん、お化けたちの声を聴く

 雪女との約束

 ハーンの怪談には「裏切り」をテーマとしたものが多い。
日本でも世界でも民話には「見るなのタブー」があるが、ハーンはこの「見てはならない」「正体も知られてはならない」に心を動かされた。
 それは、「見てはならない」自体に対してではなく、「見てはならないという約束を破った」という「裏切り」に対する興味ではなかっただろうか。
 特に、男女の間で交された約束を、男が破ったときの恐ろしい出来事が起こるという話が多い。
中でも名作と名高い怪談に「雪女」がある。
(『ラフカディオハーンが愛した妻 小泉セツの生涯』櫻庭由紀子 内外出版社 2025年)
 ***

…中略…

 セツが語ったかどうかははっきりしないが、吹雪の様子、戸口から雪が吹き込む冷たさはリアルで、寒さに凍えていた松江での体験が、存分に活かされている怪談だ。

 …中略…

 去る時にお雪が言う「子供たちの面倒をよくよく見ておくれ」とは、命に代えてでも子らを守るようにと託す、巳之吉がお雪と交わす最後の約束だ。
 それは、ハーン自身への約束でもあっただろう。
この時、ハーンは三児の父であり、この後に女の子が生まれる。
命ある限り、父親として子供たちを守ろうと誓うのだ。
(『ラフカディオハーンが愛した妻 小泉セツの生涯』櫻庭由紀子 内外出版社 2025年)
歴史探偵「ばけばけ」コラボ 小泉八雲とセツ
番組の最後にトミー・バストウさんが

撮影する前 ハーンのオーディションを受けたあと お墓に行きました。
ハーンさんを演じさせてほしいと頼みました
蚊に刺された。
数日後、ハーンさんの本を読んだ
『私は亡くなるときは蚊になりたい
墓に訪ねる友達を刺したい』
それは 多分 彼の 生まれ変わり。
(一部省略しています)

この「蚊」の話は2024年10月11日に転記していますのでよかったらお読みください(^_-)
先日、訪ねた六角堂について

 下京と上京
 六角堂・京都御苑


 へそ石の謎・六角堂

 京都の街の中心部、中京区(なかぎょうく)の烏丸六角(からすまろっかく)に「へそ石」と呼ばれる石がある。
六角型の本堂なので六角堂(ろっかくどう)と通称され、正式の名を頂法寺(ちょうほうじ)という寺の境内になって、本堂の横に愛らしくひっそりと鎮座している。
この寺は西国三十三所観音霊場(さいこくさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)第十八番札所だからたくさんの人が訪れるが、この石に目を留める人は少ない。
(『歴史でめぐる洛中洛外(上)上京・下京を中心に』井上満郞 淡光社 2017年)
 ここはまた、華道最大流派の池坊(いけのぼう)発祥地としてもよく知られ、流派の名称はもとはこの寺の子院(しいん)である池坊の僧侶専慶(せんけい<池坊専慶>)が始めたことに由来し、今もその子孫が家元である。
遠く室町時代中期、15世紀後半のことであった。
 寺はまた聖徳太子の創建と伝える。
むろん太子は京都が都となるはるか前の人物であって、とすると平安京以前からあった京内で唯一の飛鳥時代の寺ということになる。
今の段階では史実としての当否は確定しがたいが、いずれにしても聖徳太子伝承を色濃く持つこの寺から華道は発祥した。
そして、この寺は京都のど真ん中にあり、それ故に身体の中心にあるへそになぞらえ、へそ石と呼ばれるのである。
 このへそ石は奇妙な伝説を持つ。
千二百年と少し前、京都に桓武(かんむ)天皇が平安京を造ろうとして都市計画を立て、道路などの街割りをしてみると、平安京の中心部にこの寺が位置してしまうことになった。
移転させねばならず、困った天皇は、もしこのままに寺でいたいと思うなら少し移動されたい、と祈願した。
すると空がにわかに暗くなって、たちまちにして五丈(約15メートル)ばかり北へ移動し、ようやくに六角小路(ろっかくこうじ<現在の六角通>)を通すことができたという(『続古事談(ぞくこじだん)』)。
へそ石は移動したもとの伽藍の礎石ということになるが、もとより伝説の世界の話だとしても、このあたりが平安京の中心部であったことの名残であり、むげにできない史跡だ。
(『歴史でめぐる洛中洛外(上)上京・下京を中心に』井上満郞 淡光社 2017年)
今朝の父の一枚です(^^)/
風車前は冬眠中のようです(^_-)

 「巻の四 鵼(ぬえ)」つづき 

御衣(ぎょい)をば下賜なされたが、それをとりついだ大炊御門(おおいのみかど)の右大臣公能(きみよし)公は、頼政にわたす際、
「もろこしの養由(ようゆう)は、雲外の雁(かり)を射落とした。というが、これは雨の中に鵼を射た」
とほめそやして
  五月(さつき)やみ名をあらはせる今宵(こよい)かな
と言われると、頼政は、
  たそかれ時もすぎぬと思ふに
 いや、まだたそがれ過ぎの宵のうちでした。
と軽く応じながら、御衣を肩にかけて退出した。
その後伊豆国を賜って、子息仲綱に伊豆守(いずのかみ)を名のらせ、自分は三位となり、丹波国船井郡(たんばのくにふないごおり)の五箇の庄(ごかのしょう)や若狭国東宮川(わかさのくにとうみやがわ)を領有して、ともかくも余世を無事におくることができた身の上であるにもかかわらず、甲斐ない謀反をおこして高倉宮を死なせ、わが身もともにほろんでしまったのは惜しいことであった。
(『日本文学全集4 平家物語』中山義秀訳 河出書房 昭和42年)
午後から心臓リハビリでした。
病院に入ると、いつもに比べ患者さんが多く子どもの姿も多かったです。
昨日、妹の通院の送迎をしていましたが
いつもと違って若い人も多かったそうです。
月初めは自転車(エルゴメーター)を漕ぎながら心電図などを撮ってもらっています。
軽めの負荷でリハビリをしましたので消費カロリーは42kcalでした。