ここ数日、温かかったのでなおさら寒く感じました。
西の空には、黒い雲が流れてきて今にも降り出しそうでしたが、雨に降られずに歩けました。
こんな寒空の中、水仙が咲いていました(先日の水仙と違う場所です)。
ロウバイの花ももう間もなく開きそうでした。
帰省する人は
「西~北日本で暴風雪や大雪のおそれ 交通影響など警戒を」(NHK)子どもたちは昨日から冬休みだけど
大人たちは、明日から正月休みかな?
ご用納め
役所のご用納めが12月28日であるのには、昔から民俗的根拠があるといえるかどうか。
どうも積極的な理由はないようである。
12月8日の日が事納めとして、いわば庶民の用事納めであり、あとは新年を迎える準備にはいる期間だと考える向きはあったらしい。
しかし28日をそんなふうに言う言い方はなかった。
しいていうと、29日のもちつき、30日の松迎えとしての門松立てなどが非常にひろく習俗かしているから、それにあわせて28日を、日常の執務の区切りをつける日としたものだろう。
けれども、古くは正月の準備は、13日からとするふうが一般的だったのだから、28、29日の両日に境をつけるのは、とにかく新しいことだ。
ただ旧暦の正月を、15日の満月中心に、つまり小正月中心にして、これを重視してきたところでは、八丈島でのように、28日に柴迎えをする。
柴とは正月用の飾り木としての柴であり、当日餅つきもしている。
元日を重く見るに至っても、そのまま28日にピリオドをつけることになったのかもしれない。
これで私の本稿執筆もご用納めとする。
(『民俗歳時記』和歌森太郎 岩崎美術社 1970年)寒かったのに、公園で氷がはっているのをみかけませんでした。
先日、放送された、
NHKアカデミア「原田尚美(後編)南極観測から見える地球の未来」
地球上のほぼ9割の氷が南極大陸には存在しています。
このまま温暖化が進み南極の氷がすべて融解すると
現在の海面よりも海面水位を60m上昇させてしまう。
そうなると関東平野が埼玉まで含めて全て水没するという。
名古屋や大阪も…
その時期は「今世紀半ばにも“後戻りできない臨界点”」に達してしまう。
こんな記事もあります。
「グリーンランドや南極の氷は?氷床モデル研究者が解説する現在と未来」(JAMSTEC BASE 5月27日)今日で朝ドラ「ばけばけ」の前半が終わりました。
後半が始まるまでながいなぁ……
私が最初に読んだラフカディオ・ハーンの本は、
昭和51年に発行された58版の文庫本で黄ばんでしまっています。
その中から
蠅のはなし
いまから二百年ばかり前のこと、京都に飾屋(かざりや)久兵衛という商人が住んでいた。
店は、島原道からすこし南によった寺町通りという街にあった。
久兵衛は、若狭(わかさ)の国の生れの、たまという女中を使っていた。
たまは、久兵衛夫婦から、やさしく遇されていたので、主人夫婦には、心からなついているようだった。
ところが、たまは、ほかの娘たちのように、美しく着飾ろうという気持はまるでなく、幾枚もきれいな着物をもらっていながら、休みの日でも、いつも仕事着のままで出かけるのだった。
たまが久兵衛のところへ奉公にきてから、五年ばかり経ったころの、ある日のこと、久兵衛はたまにむかって、どうしておまえは、身なりを小ざっぱりするように気をつけなのか、と尋ねてみた。
(『怪談・奇談』ラフカディオ・ハーン著、田代三千稔訳 角川文庫 昭和31年) たまは、この小言がましい問いに、顔をあからめながら、いんぎんに答えた。
「ふた親が亡くなりましたとき、わたしはまだ小さな子供でございました。そして、ほかに子供がありませんでしたから、ふた親の法事をするのは、わたしの務めとなったのでございます。そのじぶんには、まだ法事などをするほどのお金を手にいれることはできませんでしたが、それだけのお金がいただけるようになりましたら、さっそく父母の位牌を常楽寺というお寺におさめ、法事をしていただこうと、心にきめたのでございます。そして、この決心をはたそうと思いまして、お金や着るものをつづめてまいったのでございます。自分のなりふりをかまわぬ女だと、旦那さまに気づかれたくらいですから、わたしも、あんまりつましくし過ぎたかもしれません。でも、ただいま申しましたように目あてのお金を、銀百匁ほども、貯めることができましたので、これからは身なりもすこしはきれいにして、旦那さまのまえに出るようにいたしましょう。そういうわけでございますので、これまでのだらしなさや、ぶざまなところは、どうかおゆるしくださいませ」
久兵衛は、この率直な打明け話に、心をうたれた。私が最初に読んだラフカディオ・ハーンの本は、
昭和51年に発行された58版の文庫本で黄ばんでしまっています。
その中から
蠅のはなし
いまから二百年ばかり前のこと、京都に飾屋(かざりや)久兵衛という商人が住んでいた。
店は、島原道からすこし南によった寺町通りという街にあった。
久兵衛は、若狭(わかさ)の国の生れの、たまという女中を使っていた。
たまは、久兵衛夫婦から、やさしく遇されていたので、主人夫婦には、心からなついているようだった。
ところが、たまは、ほかの娘たちのように、美しく着飾ろうという気持はまるでなく、幾枚もきれいな着物をもらっていながら、休みの日でも、いつも仕事着のままで出かけるのだった。
たまが久兵衛のところへ奉公にきてから、五年ばかり経ったころの、ある日のこと、久兵衛はたまにむかって、どうしておまえは、身なりを小ざっぱりするように気をつけなのか、と尋ねてみた。
(『怪談・奇談』ラフカディオ・ハーン著、田代三千稔訳 角川文庫 昭和31年) たまは、この小言がましい問いに、顔をあからめながら、いんぎんに答えた。
「ふた親が亡くなりましたとき、わたしはまだ小さな子供でございました。そして、ほかに子供がありませんでしたから、ふた親の法事をするのは、わたしの務めとなったのでございます。そのじぶんには、まだ法事などをするほどのお金を手にいれることはできませんでしたが、それだけのお金がいただけるようになりましたら、さっそく父母の位牌を常楽寺というお寺におさめ、法事をしていただこうと、心にきめたのでございます。そして、この決心をはたそうと思いまして、お金や着るものをつづめてまいったのでございます。自分のなりふりをかまわぬ女だと、旦那さまに気づかれたくらいですから、わたしも、あんまりつましくし過ぎたかもしれません。でも、ただいま申しましたように目あてのお金を、銀百匁ほども、貯めることができましたので、これからは身なりもすこしはきれいにして、旦那さまのまえに出るようにいたしましょう。そういうわけでございますので、これまでのだらしなさや、ぶざまなところは、どうかおゆるしくださいませ」
それで、かれはこの女中に言葉やさしく話しかけ、これからはどんな身なりでも思いどおりにやるがよいと、よく言いふくめ、かつその親孝行をほめてやった。
二人がこんな話をしてから間もなく、たまは両親の位牌を常楽寺におさめて、それ相応の法事を営んでもらうことができた。
かねて蓄えておいた金のうちから、七十匁をこれに費やした。
そして、残りの三十匁を、たまは、おかみさんに預かってもらうように頼んだ。 ところが、その翌年の冬のはじめ、たまは急病になった。
そして、わずかな煩(わずら)いのあと、元祿(げんろく)十五年(1702年)一月十一日に、死んでしまった。
久兵衛夫婦は、たまが死んだので、ひどく心をいためた。 さて、それから十日ばかりしたころのこと、たいへん大きな蠅が一匹、家のなかへ飛んできて、久兵衛の頭のうえを、ぐるぐる舞いはじめた。
これを見ると、久兵衛はおどろいた。
なぜかというと、いったい蠅というものは、どんな類のものでも、ふつう大寒のじぶんに出てくるものではないうえに、こんな大きな蠅は、あたたかい季節ででもなければ、めったに見られるものではないからである。
久兵衛は、あんまりその蠅がしつこくつきまとって、うるさいので、わざわざそれをつかまえて、家のそとに出した。
なにぶん信心家なので、そのさい、蠅をすこしも損なわないように気をくばった。ところが、蠅はすぐまた、もどってきた。
それで、またつかまえて、追いだした。
しかし、またもや、はいってきた。
久兵衛の女房も、これは妙なことだと思った。
「もしかしたら、たまじゃないかしら」と女房は言った。
〔というのは、亡者――ことに餓鬼道におちる者は、どうかすると虫の姿になって、この世にかえってくることがあるからである。〕
久兵衛は笑って、「じゃ、目じるしをつけておいたら、わかるだろう」と答えた。
そして、蠅をつかまえて、羽の両端をすこしばかり鋏で切ってから、こんどは、家からずっと離れたところへ持っていって、放してやった。 次の日になると、その蠅は、またもどってきた。
久兵衛は、蠅がこうたびたびもどってくることに、なにか霊的な意味があるのかどうか、まだはっきり、納得がいかなかった。
またもや蠅をつかまえて、羽とからだに紅(べに)をぬりつけて、前よりもさらに、家からずっと遠いところへ持っていって、放してやった。
ところが、それから二日たつと、蠅はすっかり紅をつけたまま、もどってきた。
そこで久兵衛は、もう疑わなくなった。 「なるほど、これはたまにちがいない」と彼は言った。
「あの子は、なにか欲しいものがあるんだな。――だが、いったい何が欲しいんだろう?」
女房はこう答えた。
「わたしは、たまのためたお金を、まだ三十匁あずかっています。おおかた、あの子は、自分の霊魂の供養に、あの金をお寺に納めてもらいたいのでしょうよ。たまは、ふだんからいつも、後生のことばかり気にしていましたから」
こう言うと、蠅はとまっていた障子窓から、ぽたりと落ちた。
久兵衛が拾いあげてみると、その蠅は死んでいた。 そこで、夫婦はすぐ寺へ行って、たまの金を住職に納めることにした。
夫婦は、蠅の死骸を小さな箱にいれて、それをいっしょに持って行った。
寺の住職の自空上人(じくうしょうにん)は、蠅のはなしを聞くと、久兵衛夫婦に、よいことをなされましたと言った。
それから、自空上人は、たまの霊のために施餓鬼をおこない、蠅の遺骸に妙典八巻を読誦した。
そして、蠅の遺骸をおさめた箱は、寺の境内に埋められ、そのうえに、しかるべき銘をしるした卒塔婆(そとば)が建てられた。
――「骨董」より
(『怪談・奇談』ラフカディオ・ハーン著、田代三千稔訳 角川文庫 昭和31年)午後から心臓リハビリでした。
トレッドミルで30分間の歩行。
歩いた距離は、1.80km、消費カロリーは115kcaでした。
理学療法士の方と話しながら歩いていました。
10分間隔にパルスオキシメーターで酸素飽和度と脈拍数を測ってもらいます。
話をしながら歩いても息が苦しくならないレベルを目指しています。
今年の心臓リハビリは、今日で、ご用納め(?)。
リハビリ始めは来年第2週からになりますρ(^^)q












