2025年12月7日日曜日

日向で

昨日、今日、日向を歩いているとポカポカ気持ちがいい(^_^)v
前回、寒くて二度寝しそうだと書きましたが
今日は、日向のベンチに座ったりしたら
そのまま居眠りしそうなほど…

おとな時間研究所「絶品!ご当地の味」を見ていて
世田谷でクラフトビールをつくっている!
画像は、ハナミズキの実なんですが
ハナミズキの花からの酵母造りにもチャレンジしているそうです。
桜の木の凹みに落葉が溜まっていたので見ると
カマキリが落葉の布団で日向ぼっこをしていました。
朝ドラ「ばけばけ」でヘブンが布団を巻いて
ノリ巻きならぬヘブン巻き状態でしたね(^_-)
トキが清光院(松風の怪談の舞台)でハイテンションになっていましたが
トキのお気に入りは「小豆洗い」(公式Instagram10月13日
10 しだいだか、せこ、小豆とぎ

 小豆とぎ(小豆撒き・小豆洗い)

 小豆とぎという化け物は、竹のそうき―ざるというのは小さいの、そうきというのは直径が七十センチもあってこっぽりしたもの―それへ小豆を入れて、川のほとりに行って研(と)ぐ。
これも人をおどす。
 形でなしに、音の化けもので、これも夜出る化け物だ。
そうすると自分が逃げ出すか、音の原因を確かめにゃあ。
音探すわな、何処か。
そうするとその音が移動するらしい。
次第に大きくなりながら移動するというんだがな。

ざる 笊。細く薄くそいだ竹で編んだ容器
そうき 笊器。「ざる」よりやや大きくて深い
  (語り手=島根県江津市桜町川戸・船津重信氏、1921年生、1990年3月22日収録)
(『伝承怪異譚―語りのなかの妖怪たち』田中瑩一 三弥井民俗選書 平成22年)
 日和(ひわ)のえんさこ峠ちゅうところ、ちょっと、あっこは離れたとこだけえな、あっこを晩に通りゃあ小豆撒(ま)きがおるげなけえ、晩げに遅うまで遊ぶじゃないで、たやらいうようなことは聞きよっただがな。

たやらいうような とかいうような 
  (語り手=島根県邑智郡邑南町日和・寺本春子氏、1905年生、1984年3月27日収録)

 川に、上がったところにね、赤い石があってね、川の中にあるんですね、ちゃらちゃら言いよったんです。
そこを小豆洗いだとか言って。
小豆を洗う音がする言うて。
ここから旭町へ、今は道が変わりましたがね、前は悪い道を通って行きよりまして、そこを通ればいっつも小豆洗いだ言うて、その、音がするとか言うて。

旭町 浜田市旭町
  (語り手=島根県江津市桜江町勝地・山下ハマヨ氏、1913年生、1990年8月20日収録)
 怪異の語り方

 「しょろしょろ」、「せこ」、「小豆とぎ」

 …前略…

江津市桜江町川戸の船津氏は「小豆とぎ」の場合は語り手がはっきりと「形でなしに、音の化けもの」だ、と言っています。
 信州では「小豆とぎ」の音は、
  〽お米とぎやしょか人取って食いやしょか ショキショキ
と聞こえると言います(柳田国男『妖怪談義』講談社学術文庫、198頁)。
「人取って食いやしょか」と言うのですから恐怖は迫真的です。
この他柳田国男が「妖恠名彙」にあげている「音」の妖怪の一部を記しておきましょう。
カフキボウ(法螺貝を吹くような音)、テングナメシ(木を伐る斧の音)、フルソマ(木が折れる音)、オクリスズメ(夜道のあとさきをチチチチと啼いて飛ぶ)、ベトベトサン(夜道の後をついてくる)などです。
(『伝承怪異譚―語りのなかの妖怪たち』田中瑩一 三弥井民俗選書 平成22年)
小豆洗い〔あずきあらい〕 

 川や井戸などの水辺で小豆を洗うような音をたてる妖怪。
ほぼ全国に分布しており、アズイ洗い(岡山県久米郡)、小豆洗い狐(岡山県赤磐<あかいわ>郡)、小豆あらいど(東京都西多摩郡檜原<ひのはら>村)、小豆こし(鳥取県因幡地方)、小豆ごしゃごしゃ(長野県長野市)、小豆さらさら(岡山県阿哲郡)、小豆摺り(岡山県都窪<つくぼ>郡)、小豆そぎ(山梨県北巨摩<きたこま>郡)、小豆とぎ(広島県世良郡、山口県宇部市・美祢<みね>郡)、小豆とげ(岩手県岩手郡)、小豆やら(神奈川県坂出市)などと、その呼称もさまざまにある。
 水辺であればどこでも出るというわけでなく、出るとされる場所は決まっている。
ただし例外もあり、島根県出雲地方では、寂しい町外れの森から現れて人を取るといわれる。
(『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』編著 村上健司 画 水木しげる 角川文庫 2015年)
 また、小豆の音だけでなく、歌を歌うという地方もある。
長野県南佐久郡では小豆磨(と)ぎとよび、「小豆磨ぎやしょか人取って食いやしょか、しょきしょき」などと歌う。
 新潟県三条市本成寺では、雨の降る日などに「小豆磨ごうか人とって嚙もうか」と歌うといわれ、広島県東部地方の農山村では川獺(かわうそ)が「いっしょう、にしょう、ごしょうごしゃう」といって人を惑わすという。
 狐狸などの動物が小豆洗いの正体だとする地方も多く、広島県の川獺の他、長野県東筑摩郡では狢(むじな)が、秋田県雄勝郡では蝦蟇(がま)が化けるものとし、福島では蝦蟇が背中を擦り合わせてそのような音を立てるのだといわれる。
 この妖怪は江戸時代の随筆にもよく取り上げられている。
根岸鎮衛の『耳嚢』には小豆洗いの正体は蝦蟇だとあり、津村淙庵の『譚海』に狢のしわざだと記されている。
さらに『絵本百物語 桃山人夜話』には、小豆洗いの絵とともにその物語も記されている。
 昔、越後国高田(新潟県上越市)に法華宗の寺があり、そこの日顕という和尚が身体に障害のある小僧を弟子として育てていた。
小僧は物の数を数えることに優れ、小豆の数を一合でも一升でもピタリといい当てた。
和尚は、いずれこの小僧に住職の座を譲ろうと可愛がっていたが、これを妬(ねた)んだ円海という悪僧により、小僧は井戸の中に投げ込まれて殺されてしまった。
以来、夜な夜な小僧の霊が出ては雨戸に小豆を投げつけ、夕暮れ時には流れの近くで小豆を洗ってその数を数えていた。
その後、円海は死罪となったが、今度は井戸の中で円海と小僧が一晩中争うようになって、ついに寺は廃寺となったという。
 小豆洗いの怪の由来を物語として伝える地方も少なくなく、東京都西多摩郡檜原村には、姑(しゅうとめ)が小豆のことで嫁をいじめ、嫁が川に身を投げると、その場所から小豆を磨ぐ音が聞こえるようになったという話が伝わっている。
 民俗学の解釈によれば、小豆は祝祭日、神祭用の特別な食品であり、祭礼の直前に守られる厳粛な物忌(ものい)みの趣旨が忘れ去られて、恐ろしものが出る期間と思われるようになったための産物が小豆洗いの怪である、というようなことが『日本民俗事典』にあり、共同幻聴のようなものだとしている。
 また、柳田国男は、水辺に集まる動物がせわしく土砂を搔(か)く音がその正体かもしれないとした。
他の地方では、米を磨ぐ音、洗濯の音ともいっているため、必ずしもこのような音の妖怪に小豆が関わるわけではない。
小豆を磨ぐような音、つまり聞く者にとり、それが米を磨いでいるようにも、洗濯の音にも聞こえるというように、もともとはそういう正体不明の音が実際に聞こえたのではなかろうか。
(参)小豆婆、米かし、洗濯狐

 …文献等略…

(『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』編著 村上健司 画 水木しげる 角川文庫 2015年)
小谷春夫がトキの「(妖怪が)大好きだけん」という言葉を
自分のことを大好きだと勘違いして去っていきました。
小谷は中学生(現在の高校生)の年齢なのでトキの家族のすさまじい圧や
トキが妖怪にハイテンションになる姿を見て
引いてしまったのは分かるような気がします(^_-)

松江歴史館の投稿(10月11日)

怪談の舞台をめぐる“松江ゴーストツアー” セツが八雲に語った? あの寺、あの石、あの話。」(ステラnet 10月15日)

 第五章 西洋との出会い――近代 
 一、迷信の否定と根強い人気を誇る怪談


 荒唐無稽の談話をなすべからず

 迷信や俗信、怪談を否定したのは、明治政府ばかりではない。
俳人の正岡子規(まさおかしき<1867~1902>)も、明治18年(1885)、「妖怪談」と題して次のように述べている。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)
  子を養う者は成(な)るべく子に向って妖怪変化の如き荒唐無稽の談話をなすべからず。何となれば此等(これら)の聞きなれし上ハ所謂(いわゆる)先入主となりてその子が成長して後、妖怪なきの理を知るといえども、燐火(りんか)を見て恐怖し暗夜独行して震慄(しんりつ)するが如きこと少なからず。即(すなわ)ち感情は理屈によりて全く支配せられぬが為(ため)なり。
 正岡子規は、「妖怪変化」のような荒唐無稽な話を子どもにしてはならない、としている。
なぜならば、このような話を聞き慣れると、成長したのちに「妖怪」が存在しないと知っても、様々なことを恐れるようになってしまうからだ、と説明する。
成長後も、理屈よりも感情が勝ってしまう弊害が出るようになるという。
後述する井上円了(いのうええんりょう)も、子どもへの影響に関しては危惧していた。
この点に関しては、現代でもしばしば議論されるところである。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)

先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)水木しげる “鬼太郎”と“戦記漫画”の間に
では、みなさん正岡子規と反対の立場でしたね(^_-)
荒俣宏さんが
小さいころに怖い体験をしないと、生きる術・生き延びる術がなくなる
明日12月8日は

 岩波俳句 選・文 池田澄子 

【特選】

 …前略…

 千羽鶴を海へ放って慰霊になるか 東京都 ○○○葉子

◆コレが俳句?と思う人もいらっしゃるでしょう。季語もありません。どうしても季節を区切ることを拒む俳句もあります。季節にかかわらず消えないこの思いの重さ。
(『世界 2025年12月号』岩波書店)

(お名前を○○○にしています)
 ◆十二月と言えば
 一年、という観念は、人類の歴史の中のどの辺りからあったのか。
地球に季節の変化がなかったら随分と退屈。
季節の変化によっての一年の区切りに、扨(さ)てと生き直すことで人は人生に飽きないでいられるのかもしれない。

 故人皆心に生きて偲ぶ冬  稲畑汀子

 生きるものは必ずいつか死ぬから、生きていられるのだと思う。
永遠の命ではないから、生きようと思うし生きるための努力もする。
死ななかったら大変。
平均寿命が二百年だったら……、ま、そうじゃないんだから考える必要はないけれど、それは面倒。
自分の寿命は、成り行きでよいのだけれど、問題は親しい人の寿命。
病気にせよ、事故にせよ災害にせよ、成り行きに納得できれば。
 納得できないのは戦争で死ぬことだ。
下手したら心ならずも自分が、自分の判断ではなく成り行きで人を殺し、或いは誰でもよい一人として、人に殺されるとしたら。
 十二月と言えば真珠湾攻撃、一九四一年十二月八日の太平洋戦争開戦である。
かの治安維持法が制定百年を迎えた。
最早、殆どの日本人が戦後生まれだからピンとこないかもしれない。
でも、分かったときには遅いのですよ。

  死に神は美男なるべし荻の声  澄子

(『世界 2025年12月号』岩波書店)