2025年5月18日日曜日

出町柳~法然寺~出町柳

出町柳からバスに乗ると「銀閣寺道」で乗客の皆さんは下車。
私一人だけになって「浄土寺」バス停で下車しました。
トボトボ歩いていると学生時代にまだ走っていた市電が並んでいました。
(個人の私有物かな?)

記事を更新しました。
バスを降りて日向を歩いている時は、
歩き続けられるかなと思うほど蒸し暑かったけど
ちょっと道を上がっただけでもなんか涼しい!
お参りに来たのは法然院

参道
 

  …前略…
 
「不許葷辛酒肉入山門(葷辛〔くんしん、ニラ・ニンニクなどの臭気のある蔬菜と、ショウガ・タデのような辛味のある蔬菜〕酒肉、山門に入るを許さず)」と記された石碑が建ち、当院が忍澂(にんちょう)和尚によって浄土宗捨世派の修行道場として中興された歴史が偲ばれる。
(『新版 古寺巡礼 京都 第35巻 法然院』梅原猛監修他 淡光社 平成21年)
松尾いはほ句碑 
 句碑「椿落ちて林泉の春動きけり」
春には多くの藪椿が落ち、椿の道となる。
(『新版 古寺巡礼 京都 第35巻 法然院』梅原猛監修他 淡光社 平成21年)
相聞歌の歌碑が新たに建てられていました。
歌碑については後ほど(^_-)
 阿育王塔 Aiku ōt ō 
 江戸時代
 釈尊入滅の後、紀元前3世紀、インドの阿育(アショカ)王は佛舎利を崇敬して84,000の宝塔を造立した。
日本では滋賀県東近江市の阿育王石塔寺の宝塔がその一つを写したものと伝えられている。
沙門真亮深く石塔寺の塔を敬慕し模倣して、この塔を建立した。
塔中には鑑真和上請来の佛舎利、石塔寺の阿育王塔片石などが納められている。
(『新版 古寺巡礼 京都 第35巻 法然院』梅原猛監修他 淡光社 平成21年)
 谷崎潤一郎の愛した桜 

 法然院境内にある谷崎潤一郎の墓域には一本の桜が植えられている。
 谷崎は京都の桜、殊に平安神宮の桜を愛し、春には松子夫人らとともに京都の花見に出かけるのが慣わしとなっていた。
平安神宮神苑の花見は、谷崎の代表作『細雪』にも登場する。
 生前から墓所を法然院と決め、墓石脇には平安神宮と同じ八重の紅枝垂れ桜が植えられた。
二つの自然石にそれぞれ自筆の文字を彫らせ、「寂」と刻まれた墓には谷崎夫婦、「空」には渡辺重子(松子の妹)とその家族が眠る。
 毎年春になると、法然院の墓地では一際明るく一本の枝垂れ桜が咲き誇っている。
(『新版 古寺巡礼 京都 第35巻 法然院』梅原猛監修他 淡光社 平成21年)
 墓地 

 文学者、芸術家、学者、経済人などがこの浄域を愛し、御縁が整い、多くの墓が建てられた。
故人は墓の下に眠っておられるのだろうか。
故人は全て極楽の菩薩となり、やがて成佛し、一切衆生の成佛を願って活き活きと活動中であろう。
墓は故人の住まいというよりも、墓参者が自身にとっての故人の意味、故人にとっての自身の意味を問い続けてゆく所であると思う。
故人に有縁の人々が生きる意味を持って少しでも安らかに生きてほしい、一切衆生がいずれ安らぎの境地に達してほしいとの故人の悲願を確かめ、伝えゆくのが墓地である。
(『新版 古寺巡礼 京都 第35巻 法然院』梅原猛監修他 淡光社 平成21年)
参考にしている本(2009年初版)には、九鬼周造の墓の隣に川田順の墓があったのですが……
まるで、ある方のために墓じまいをしてくださったみたいだと思いました。
事前に本を読んでいた時は、ここに眠っておられるのを知りませんでした。
13回忌に建立されたそうです(2022年9月)。

そして先ほどの歌碑の相聞歌

われを呼ぶうら若きこゑよ喉ぼとけ桃の核ほどひかりてゐたる 裕子

きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり 和宏

私の京都(1) 法然院」に経緯が載っています。
白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
(「法然院の境内」より)
講堂では、
 「第7回 雅法会 作品展 好きです それぞれの夢風景」が開催されていました。
姪と妹へのお土産を購入しました(^_^)b
『徒然草』に、何故、多くの人々が法然上人を慕って集まったかが窺えるエピソードが記されています。

 【第三十九段】 
 或(あ)る人、法然上人(ほふねんしやうにん)に、「念仏の時、眠(ねぶ)りに侵(をか)されて、行(ぎやう)を怠(おこた)り侍(はべ)る事、いかがして、この障(さは)りを止(や)め侍(はべ)らん」と申しければ、「目の醒(さ)めたらん程(ほど)、念仏し給(たま)へ」と答へられたりける、いと尊(たふと)かりけり。
また、「往生(わうじやう)は、一定(いちぢやう)と思へば一定(いちぢやう)、不定(ふぢやう)と思へば不定(ふぢやう)なり」と言はれけり。
これも、尊(たふと)し。
また、「疑ひながらも念仏すれば、往生(わうじやう)す」とも言はれけり。
これもまた、尊(たふと)し。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
  ある人が、法然上人(ほうねんしょうにん)に、「念仏の時に眠くなって、念仏の行(ぎょう)を怠ってしまうことがあります。このことは、どのようにしたら、乗り越えることができますでしょうか」と尋ねたところ、「目が覚めている間に、念仏しなさい」とお答えになったのは、たいそう尊いことだった。
また、「極楽往生は、必ず出来ると思えば出来るし、出来ないと思うと出来ない」とおっしゃった。
この言葉もまた尊い。
さらにまた、「疑いながらでも念仏すれば、極楽往生が出来る」ともおっしゃった。
この言葉もまた尊い言葉である。
 評 理詰めな書き方の第三十八段に対して、融通無碍(ゆうずうむげ)な法然上人の言葉を書き、好対照である。
兼好はこのような自在な境地があることに深く感動して、三度も尊いことだ、と共感している。
このような共感が、新たな扉を開くことになる。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

法然を批判した明恵上人の純粋無垢な人柄を記した段もあります。
冷泉天皇櫻本陵 
後一条天皇皇后 威子火葬塚
宮内庁

藤原威子(ふじわらのいし)の墓所は宇治陵のようです。
近くまで寄ることができませんでしたが 「冷泉天皇火葬塚

 第63代 冷泉天皇 [950-1011]
 平安時代中期の天皇。
在位967~969年。
村上天皇の皇子。
政務には関白の藤原実頼があたり、外戚の藤原氏が勢力を伸張した。
安和の変が起こった。
(『岩波 天皇・皇室辞典』原武史・吉田裕編集 岩波書店 2005年)
なが~い行列が…
ここは、鴨さんのblogに紹介されていたお店。

2011年9月8日(木)

京都のお菓子というと「八つ橋」でしょうか???
い~え。これからいろいろご紹介します。
そこには京都人の魂?が息づいているのです。
まずは「出町ふたば」。
豆餅で有名ですね。ほかにもいろいろ売っています。
でもdemo「豆餅」はやっぱりうーん、と納得させられる味です。
なんというのでしょうか
餡と餅と豆の取り合わせが絶妙でなのです。
不思議ですねぇ~そんな高級素材を使っているわけではないのに。
いつかその秘密を探ってみたい京都の謎です。
でも食べるときは何も考えず、鴨川まで持ていって座って食べましょう!!!
並ぶ前に腹ごしらえという事できつねうどんです(^_^)b
四人掛けの席を指定されたのでいいのですか?とお聞きすると
「お店では、相席をしないのでゆっくり座ってください」と
外で順番を待っている人がおられるので申し訳ないなと思いながらも…
大変申し訳ございません 相席はご遠慮いただいております
と断り書きがありました。
小皿に醤油が…
しばらくして鯖ずし
「満寿形屋(ますがたや)」については2016年6月13日の記事でも紹介しています。
この時は、次回は中華そばを食べようかなと呟いていましたが
やはり鯖ずしが食べたかったのできつねうどんとのセット(1300円)をいただきました。

さばずし 京都府」(「うちの郷土料理」農林水産省)
朝食を食べながら父が「M(姪)がお土産に買ってくれたお餅美味しかったなぁ!」と呟きました。
姪が大学生の時に買ってきてくれたのは「出町ふたば」の豆餅です。
もう20年近く前のことを思い出したのです。

2月に心不全にコロナを併発して入院する前、
味覚異常で何を食べても「アマイ、マズイ」と訴えていた父が
甘いものを欲しがっているので行列を覚悟で並びました。
夕食後、父と妹の三人で頂きました。
鴨さんのような食レポができないので……(^^ゞ
一言、父も妹も美味しかったと!
「辨戝天 出町妙音堂」
奥に鎮座しているは……

2019年12月23日の記事で紹介しましたφ(.. )
先ほど歩いたのが向こうに見える大文字山の麓、哲学の道の一部です。
病気をする前は、大文字山に何度か登っていました。
地下鉄「蹴上駅」から登っていましたので麓に降りてきた時はヘトヘトになっていました。
そのため銀閣寺はもちろん法然院など回る余裕がありませんでした。
鴨さんのblogで法然院を何度か紹介されていました。
例えば、

2012年12月30日(日)

哲学の道から鹿ケ谷の山ふところに入ったところにある名刹
「法然院」
茅葺の山門と白砂壇の砂盛などで有名です。
静かな空間と時を楽しめるお寺で、私の大好きな場所のひとつです。
学生時代からここには多くの思い出も・・・
哲学の道散策の折にはぜひお立ち寄りください。
大晦日は夜11時30分から除夜の鐘を突かせていただけるので
楽しみにしています。
ちなみに、山門の茅は年明けから春先にかけて葺き替えるとのこと。
今のうちに風情を楽しむのも良いかもね。
さて、今年は色々なことがありました。
私なりに漢字一文字で表わすと「苦」かな。
でも二文字では「感謝」です。
そして、明日天気になぁ~れ!
第30回鯖街道ウルトラマラソン大会」のゴール地点

コースマップ」を見てビックリ!

それ以上に鯖などを京へと運んだ昔の人はスゴイ!
鯖街道 若狭の恵みを運ぶ道」(NHKアーカイブス 2013年)
鴨さんのblogを知ったのは2011年9月13日に退院してから
鴨さんがblogで京都を紹介して下さっているのをたまたま見て
京都の町歩きの参考にしていました。
(2011年09月04日の「みたらし団子」の記事が最初だと思います)

でも、プロバイダのサービス終了で
当時の私のblogも鴨さんのblogも消えてしまったのです。
病気のために若くして亡くなった鴨さんの言葉を
これから時々紹介できたらなと思います。
なお、鴨さんが撮影した画像も載っていましたが省略します。

2014年5月2日(金曜日)

見事な青空が広がる京の街。
病院の帰りにぶらぶら散歩して鴨川へ。
川の瀬音が心地よく響いてきます(^'^)
岸辺に降りてみると水の中にシラサギ。
こちらも気持ちよさそうでした。
明日から連休後半。
京の街の観光地は大勢の人が入洛されます。
お昼ご飯は11時半までにはお目当てのお店を目指すのがいいと思います。
どうぞおこしやす。

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    法然院へ行かれたのですね。
    とても丁寧に法然院について調べられていて
    Kazeさんの丁寧さに敬服いたします。(#^.^#)

    法然上人の貴いお言葉、三つとも貴いと思いますが。。
    >「疑いながらでも念仏すれば、極楽往生が出来る」
    念仏すればに、より惹かれました。!(^^)!

    法然院も若い頃に行ったきりですが、
    白砂壇や山門を今もよく覚えています。

    私も先だっての京さんぽの折に、
    お昼を満寿形屋さんで鯖寿司を頂きました。
    美味しかったですね。
    フタバさんの行列には、いつも驚いています。
    豆餅のお土産をみなさんに喜ばれて良かったです。


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    1. カイさんおはようございます(^^)/
      >念仏すればに、より惹かれました。!(^^)!
      凡夫にはありがたいおことばですよね!

      若い頃は、ゆっくり見ずに次の目的地に向かっていました。
      歳をとるとそう簡単に次々と巡ることができなくなりました。
      そのかわり周りの景色を愉しみながら、雰囲気を愉しむ町歩きをしたいなぁと思うようになりました。
      そのために風土や歴史を知っていると楽しみ方も違ってくると思い少し調べるようにしています。
      それでも現地に行くと今回のように変化があり、帰ってから調べることがあります。
      また、それが楽しみでもあります。
      今回、参考にした本は、オススメですよ(^_^)b

      満寿形屋さんは、カイさんの投稿で知りました!
      中華そばも食べたいなと思いながらも鯖ずしに心が動きました(^_-)

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