穏やかな朝
暖かいというよりも歩いていると暑さを感じるほど
一気に桜が開花して、入学式の頃には散ってしまうのではないかと心配になりますね…
「サクラ開花 各地で 高知市と熊本市で発表 全国で最も早く」(NHK)春 三月(弥生)
彼岸
お線香を炷いたり、生前好きだった草花を供えて故人の心にそっと寄り添う
春と秋、年二回訪れる「彼岸」は、春分の日と秋分の日、それぞれを「中日(ちゅうにち)」とした、前後三日間、計七日間のことを指します。
暑さ寒さも彼岸まで」ということばどおり、春のお彼岸を過ぎる頃には、寒さのなごりもすっと引いていきます。
彼岸の頃には、仏教にまつわる言葉で極楽、「西方浄土(さいほうじょうど)」があると信じられている真西に太陽が沈む時期。
その方角に陽が沈む様を見て、極楽浄土へ旅立ったご先祖様に思いを馳せ、お花やお供え物を準備して先祖供養をするという風習が生まれました。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年) 彼岸の考え方は日本独自のもので、真東から昇る太陽を拝み、真西に沈む太陽をお見送りするという地域もあります。
また、仏教のことばで、欲や煩悩(ぼんのう)から離れた境地のことを指す「彼岸」は、同じ読みの「日願」に通じるという考え方もあります。
お日様に対して思いや信仰が仏教の考え方と溶けあい、さらにその土地や時代に合わせて、現在のような風習のかたちになっていったのではないかという説もあります。
現代は、暮らし方に伴い、故人へのご供養に仕方もさまざまに変化しています。
ご自宅でお線香を炷(た)いたり、故人が好きだったものや季節の草花などをお供えして、今は亡き人に気持ちを寄せて静かに過ごすのもひとつです。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年)
2014年11月25日に鳩居堂を訪ねました。
昨日紹介した本麦巻さとこが青葉乙女からとろろ定食を食べに行くのを誘われ
お店での会話
第9話
青葉)
私ね うっかりミスが多いの
……
こどもの頃から いくら気をつけても なおらないのよ
しょっちゅうの事だから 後輩に指摘されたり
皆の前で 怒られたりすると
もう 消えてなくなりたく なってしまって
だから この とろろの儀式は 癒しではなくて
もはや ネガティブ・ケイパビリティなのよ
麦巻)
ネが…?
何ですか? それ
(『しあわせは食べて寝て待て 第1巻』水凪トリ 秋田書店 2021年)青葉)
医療関係のライターさんが 教えてくれたの
自分では どうにもならない 状況を
持ちこたえる 能力のことを そういうのですって
「能力」って
普通 何かが できることを いうじゃない?
けれども 私みたいな 人間には…
40を超えて 先が見えてきた 人間には
できない自分を 受け止める 能力の方が 必要な気がするわ
……
(『しあわせは食べて寝て待て 第1巻』水凪トリ 秋田書店 2021年)
ドラマは、脚本を桑原亮子、ねじめ彩木のお二人が担当されるようなのでそれも楽しみです。「 ネガティブ・ケイパビリティ」は、帚木蓬生さんが以前、出演されていた番組の中でキーツの手紙の中に一度だけ出てきた言葉だと話しておられたと思います。
8 ジョージ及びトマス・キーツ宛 1817年12月21、27(?)日
…前略…
――ぼくは「消極的能力(ネガティヴ・ケイパビリティ)」のことを言ってるのだが、つまり人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態のことだ――
…後略…
(『詩人の手紙』ジョン・キーツ 田村英之介訳 冨山房百科文庫5 1977年)折々のことば:3363 鷲田清一
どの写真もその瞬間の私にしか撮れない。そういうところが好きだ。 山本美里
重度心身障害児の第三子が特別支援学校に入り、人工呼吸管理などの医療的ケアのため校内で待機を求められた女性。
復職も叶(かな)わず、ふと手にしたカメラ。
ファインダーを覗(のぞ)き、シャッターを切るまでの間はずっと「自発的」でいられる。
これまで内に貯(た)め込むだけだった感情を手放せるようにもなったと言う。
写真家の「あなたは私で、私はあなた」(「世界」3月号)から。
2025・3・20
山本美里さんの『透明人間 Invisible Mom』が紹介されているのが
記憶をもった鏡 戸田昌子
山本美里『透明人間 Invisible Mom』
重い障害のある「医療的ケア児」を育てる山本美里は、子どもを特別支援学校に通わせるために学内での待機を求められたのを機に、セルフポートレートを中心としたセットアップ写真を撮り始める。
自治体の定める医療的ケアに含まれない医療行為のために、保護者(多くの場合は母親などの女性)の長時間の学校待機が求められるにもかかわらず、その規定は自治体によって落差があり、必然性によって運営されているわけではないという制度的矛盾。
そこには、女性をケア提供者と決め込む社会の問題が透けてみえる。
そのようにして不可視化される「母親」を「透明人間( Invisible Man )にかけて、「 Invisible Mom 」とおどける山本の作品は、先生やスタッフも巻き込みながら、見えなくされているケア労働をユーモラスにあぶり出すのである。
(『世界 2025年3月号』岩波書店) 「あなたは私で、私はあなた」 山本美里
2008年に生まれた第三子の瑞樹(みずき)は重度心身障害児で、日常的に痰(たん)の吸引や経管栄養、人工呼吸器管理などの医療行為が必要な医療的ケア児だ。
瑞樹が生まれてから彼を受容するまでには様々な葛藤があったが、特別支援学校入学を機に突きつけられた現実が私には一番つらかった。
(『世界 2025年3月号』岩波書店) 特別支援学校の生徒には、皆なんらかの障害がある。
だから、そこへ行けば区別されることなく、一人ひとりにあった教育や支援が受けられると思っていた。
特別支援学校には子どもたちに医療的ケアを行うための看護師が配置されているが、瑞樹が必要としている「アンビューバッグでの呼吸介助」が東京都の特別支援学校では看護師が行う日常的な医療行為として定められていなかった。
技術的にできないのではない。
学校内ではそれを日常的な医療行為として行うことができない決まりなのだ。
就学相談の日に「もしも、お母さんが学校に付き添ってそれをやってくれるのであれば、お子さんが学校に通学することを許可できますよ」と担当教員から告げられた。 特別支援学校入学前は、3歳から療育施設内の「通園」に週四日通っていた。
障害のある子どもが通う幼稚園のような場所といったらイメージしやすいだろうか。
施設には医師が常駐し、看護師も配置されており、必要な医療の種類で区別されることはなかった。
障害のある子どもが通うための特別支援学校に保護者の付き添いがなかれば通うことができない我が子。
数多くのマイノリティの世界にもマイノリティが存在することを知った。
全国の特別支援学校には様々な事情で私のように付き添いをしている保護者が351人いる(2022年文部科学省発表)
…後略…
(『世界 2025年3月号』岩波書店)