今朝は、久しぶりに天気のことを心配せずに歩けました。
出会ったTさんがスマホで撮影した霜を見せてくれました。
朝早くは、かなり冷え込んでいたそうです。
明日から気温が上がるようです。
優勝候補の強豪校相手に頑張ったよね!
「“離島から挑戦する甲子園” センバツ21世紀枠 長崎・壱岐」(NHK 3月19日)今日は、春分の日で彼岸の中日
私は、沖縄で生れたのですが、4歳位で神戸に移り、6歳で大阪にやってきました。
沖縄のことを、時々、母が話してくれましたが、もう聞くことができません。
第二章 忘れ得ぬ味
十 野菜
春の行事食と野菜
春の彼岸について、『聞き書 沖縄の食事』にはつぎのように書かれている。
仏壇にお供えする重箱料理には、もちとしみむんを詰める。もちはふーちむち(よもぎもち)や、さーたーむち(黒砂糖入りのもち)、あんむち(あんもち)を市場で買ってくる。しみむんは、先祖供養の行事につくるごちそうで、九品と決まっている。カステラのかまぼこ(卵入りのかまぼこ)、かまぼこ、ふくみん(魚のてんぷら)、揚げ豆腐、田芋(ターンム<沖縄独特の水いも>)の空揚げ、それに豚三枚肉、こんぶ、ごぼう(グンボー)、花麩(はなふ<または大根>)をそれぞれ煮しめたものを同じ大きさにそろえ、重箱を九つの枡(ます)に区切ってそれぞれに詰める。
(『沖縄の食文化』外間守善 ちくま学芸文庫 2022年) 餅はわが家では家で作った。
フーチバームやシルムチ(白餅)、クルムチ(黒餅)、アンムチがあったが、子どもに人気だったのはクルムチ、アンムチだった。
大人になってやっとシルムチの味がわかった。
子どもの時にはシルムチをちぎって白砂糖をつけて食べたが、大人になってからは醤油をつけて火鉢の炭火で焼いて食べた。
重箱料理は見た目にも美しくおいしそうだった。
母は九つの料理を作るのが嬉しいらしく一日中台所に坐りこんで作っていた。
子どもたちも坐りこんで母が作る姿を見ていた。
時々切れ端をつまむのが楽しみだった。
カシティラカマブク(カステラかまぼこ)やカマブクの切れ端は人気があったが、揚げ豆腐には兄弟のほとんどが手を出さなかった。 この頃には子どもの節句もあり三月菓子が作られた。
また、旧暦三月に行なわれる「御清明(ウシーミー)」には一門(親族)の人たちが先祖の墓に集まってご馳走を食べる。
餅やしみむんの入った重箱をそれぞれ二つずつ用意し、ぽうぽうややまむむ(ヤマモモ)を入れていく。
ウシーミーは大人も子どももこぞって楽しみだった。
ご馳走がたくさん用意され、墓は大賑わい、大人は泡盛を酌み交わして春の一日を心ゆくまで楽しんだものだ。
(『沖縄の食文化』外間守善 ちくま学芸文庫 2022年)母がよく作ってくれたのが「サーターアンダギー」でした。
家では、「砂糖てんぷら」と言っていた。
おめでたい揚げ物
「あんだぎい」は、あぶらで揚げたものという意味の言葉である。
「あんだ」(あぶら)と、「あぎい」(あげたもの)がくっついて、「あんだぎい」になったのだろう。
これには二種類あって、一つは「白あんだぎい」、もう一つが「砂糖あんだぎい」だ。
後者を沖縄風にいうと「さあたあ、あんだぎい」で、前者が「しるあんだぎい」となる。
二つとも、祝いの席になくてはならないものだった。
(『料理 沖縄物語』古波蔵保好 講談社文庫 2022年) どっちも主な材料は小麦粉で、味をよくするために鶏卵を加えるのだが、「しるあんだぎい」は塩味、「砂糖あんだぎい」は名のとおり、甘くする。
ふっくらとなるように、ふくらし粉も必要で、はじめに「砂糖あんだぎい」についていうと――小麦粉を水でとき、ドロッとさせてから揚げかたがおもしろい。
あぶらは天ぷらを揚げるときのように、たくさん使うのだが、上等な「あんだぎい」は豚あぶらでないとできないはずだ。
あぶらの温度が高くなったころ、ドロッとなっているのを、そろえた四本の指にすくいとり、あぶらの上に傾けると、指から流れ落ちようとするにつれ、水滴と同じように、やや球形となるだろう。球形になったのを見すまして、静かに、あぶらの中へ――ということになる。 これは大胆にやらないと、かえって危ないそうだ。
臆病だと、球形になったのを手から離す時にあぶらがハネてヤケドするのではないかとこわがって、高いところから落とす。
すると必ずあぶらがハネて、アッチッチ――というのがイヤなら、四本の指ですくったのを下へ傾けながらあぶらスレスレに近づけ、球形になったとたんに親指の先で軽くはじき落とすのが、むしろ安全だという。
わたしの母は、何のおそれ気もなく、つぎつぎにすくって、あぶらに入れる手際がとてもよかったのである。「さあたあ、あんだぎい」を手早く揚げるようにならないと、嫁入りできない――と母たちは語っていた。
どこの家でも、何かにつけて揚げるから、やはり嫁にいく前、習いおぼえておかなければならないことだったのである。 しかし、カンタンにつくれる「さあたあ、あんだぎい」も、味をもっと複雑にしようというので、落花生をくだいて混ぜたり、山芋をすりおろして小麦粉とあわせるなど、だんだんゼイタクになると、指先に流して球形にすることがむずかしくなったらしい。
そこで近ごろは、小麦粉を耳たぶくらいの固さにとき、両手のてのひらで丸くつくるようになった。
いずれにしても、ころあいをみて、あぶらから引きあげられた球形には、割れ目ができて、食べやすい形になる。
食べての味はドーナツに似て、コドモたちの好きなものの一つだった。 「白あんだぎ」は、半分がふくらんで厚く、半分は薄いカリカリのセンベイみたいになっている。
小麦粉を水でとき、鶏卵と塩少々、できればダシ汁を加えて、ドロリとなったのを玉杓子ですくい、鍋の傾斜面――あぶらの表面より上に流す。つまり底に向かってゆるやかな斜面のある鍋でないと、これは揚げられないのであるが、とにかくドロリとなっているのを斜面に流すと、だんだん下へ流れ寄って厚くなるのであり、もちろん上に薄くなる道理だ。やがて上にも下にも熱が通ると、自然に鍋の斜面から離れ、あぶらの中に入ってしまう。
こうして揚げられた「白あんだぎい」は、素朴な円形の半分が厚く、カリカリの薄いセンベイがつながっているというおもしろいカッコウになる。 甘いのと塩味のと、一対の「あんだぎい」が、表面を赤く染めたかまぼこや白身魚の天ぷら、三枚肉などともに、大皿に盛られて、膳の左向こうにあるということで、お祝いらしくなったものだ。
どちらかといえば、わたしは「しるあんだぎい」が好きである。
コドモのころは甘い「砂糖あんだぎい」へすぐに手をだしたのであるが、オトナの味覚を持ってから、豚あぶらで揚げられたために生じる風味に魅力を感じるようになった。
あるかなきかの軽い塩味であるだけに、小麦粉と豚のあぶらが奏でる味を純粋に味わえる、といいたい。 ところで、「砂糖あんだぎい」も「白あんだぎい」も、つくる人のセンスで、大きさはいろいろ。
卓球のタマくらいがシャレていると考える人がいるし、食べごたえがあるように大きくつくる人もいるのだが、超特大が必要となるのは、縁談がめでたくととのって、「うぶくい」と那覇の人たちがいう儀式をあげる時である。
「うぶくい」は結納に相当する儀式といえばいいか。
昔から伝わる風習をよく知っている人によれば、「うぶくい」は婚礼の盃ごと以上に大事で、早い話が「うぶくい」さえすませば、事情によっては婚礼を略してもいいという。
すなわち「うぶくい」で、夫婦としての縁は定まるそうだ。 この「うぶくい」は、花婿の母親たちが花嫁の家を訪問して行われる。
花婿側が持参するのは、「まぎ」といわれる円形の蓋がない赤塗りの大きな器二つに、それぞれ「さあたあ、あんだぎい」と「しるあんだぎい」を山盛りにした祝の品である。
特に「あんだぎい」の大きさが無類で、たとえば「さあたあ、あんだぎい」は野球のタマほどであり、「白あんだぎい」も推して知るべしだ。
かくも大きな「あんだぎい」の中心にまで完全に熱を通して揚げるには、熟練した技術が必要だそうで、近ごろは専門につくる商売人がいるらしい。 いわば「うぶくい」は、嫁にくることをこころよく承諾した娘の家へのお礼参りなのであり、めでたくすむと、両家では、一対ずつの「あんだぎい」を縁者に配る。
縁組がすすんでいることを知らなかった家の人たちも、届けられた「あんだぎい」の大きさを見て、これはメデタイと、手を打って祝福した。
届けにいったのが気のきかないお使いさんで、口上もいわずにだまって立ち去ったとしても「あんだぎい」がすべてを語ったのである。 だが、届けられた家では、喜んで受けると、すかさず「うぶくい」をなさったのはご子息ですか、ご息女ですか、ときく。
息子のほうです、と答える場合なら、して嫁になるのはどこの人? と重ねて尋ねた。
どこの町あるいは村の人と縁組みしたのかと相手の名をたしかめるのはあとまわしにしても、出身の土地をまず知りたがるのが、一般の習性だったのである。
かりに首里の人が同じところから嫁をもらうとすれば、順当な縁組みだと思うようだったし、あまりにかけはなれていると、いぶかしく思ったりした。 また、ことのほか喜んで受けとったのは、まだ嫁の定まらない息子、嫁入り先のきまらない娘がいる家である。
うちの息子は娘も、いい縁組みができるように、あやからせていただきます――ということになって、息子や娘に食べさせた。
いいことにあやかりたい気持ちが一般に強く、長寿の祝いがある家へ、招待されなくても参上して、自分も末長く生きられるように運をつけようとする人さえいたくらいである。
(『料理 沖縄物語』古波蔵保好 講談社文庫 2022年)