2024年2月9日金曜日

全国的に晴れだとか…

今朝の天気予報で穏やかに晴れるところが多いと話していたように
日差しが暖かく、帰りは、暖房を切りました。
俵万智さんの投稿(2月8日)に

句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…この一首をそっと置いておきますね~

優しさにひとつ気がつく ✕でなく○で必ず終わる日本語

句読点について
昔の新聞点検隊『、。 新聞と句読点』」(市原俊介 ことばマガジン朝日新聞) 

blogに転記するとき、多くの場合「。」(句点)で行替えをしています。
私は、一段落が長いとどこを読んでいるのかが分からなくなることが多いからです(^^ゞ
ですから原文をかなり変えていますので原本をごらんください。
昨日の朝ドラ「ブギウギ」第19週「東京ブギウギ」 (90)

東京ブギウギを録音する様子が描かれていました。
本を読んで知っていたのでどのように描かれるのか楽しみにしていました。
史実に忠実に描こうとすると大変だなと思っていましたが
知っている者でも楽しく見ることができました(^_^)b
スズ子が歌う場面、無音にしていたのもなかなかの演出でしたね!
なお、作詞の鈴木勝(まさる)は、仏教学者の鈴木大拙の養子だそうです。

ブギウギオンステージ(フルバージョン) 東京ブギウギ」(NHK)
 平和の叫びブギウギ

 …前略…
 
 『東京ブギウギ』のレコーディングのときは、にぎやかであった。
22年の9月10日である。
 コロムビアの吹込所は、そのころ、内幸町の東洋拓殖ビル内にあった。
隣の政友会ビルが進駐軍に接取されていて、下士官クラブになっていた。
(『ぼくの音楽人生  エピソードでつづる 和製ジャズ・ソング史』服部良一 日本文芸社 2023年)
 レコーディングが始まる時刻になると、どうしたことか、その米軍クラブから黒人や白人の下士官がぞろぞろスタジオにやってくる。
英語の達者な鈴木勝が宣伝した様子だ。
「おれが作詞した『東京ブギウギ』ってのを吹き込むんだ、見にこいよ」
 そんな調子だったのだろう。
「ブギウギを日本人がやるのか、そりゃ面白い」
 そんな顔で、缶ビールやコカコーラなどをぶらさげて、スタジオの中まで入ってくる。
とうとう、笠置シヅ子とオーケストラを遠巻きながら取り囲んでしまった。
「どうしましょう」
 ディレクターが困惑している。
 何しろ、日本は占領下だ。
進駐軍を邪険に追い出すわけにはいかない。
「いいでしょう。かえってムードが盛り上がるかも知れない。このままやっちゃいましょう」
 ぼくは、酒気を帯びたアメリカ兵たちが陽気に見守る中で、レコーディングを断行することにした。
 鈴木勝は責任を感じている。
二、三人の親しい者に声をかけたはずが、下士官クラブをカラにしたばかりか、近くに点在する将校宿舎や軍属(シビリアン)クラブからも音楽好きが噂をきいて押しかけてきている。
懸命に静粛を呼びかけていたが、心配は無用だった。
指揮棒がおろされると、ぴたりと私語がやみ、全員のからだはスイングしているが、セキ一つ出さない。
 笠置シヅ子のパンチのある咆哮のような歌唱、ビートのきいたコロムビア・オーケストラ、それを全身で盛り立てている大勢のG・I、最高のライブ録音のムードだった。
 OKのランプがつくと、真っ先に歓声をあげたのは、ぼくたちではなく、G・Iたちであった。
たちまち『東京ブギウギ』の大合唱だ。
ビールやウイスキーや、チョコレートや、そのほか当時の日本人には貴重なものがどんどんスタジオ内に運びこまれ、期せずして大祝賀会になってしまった。
 ぼくは、ビールに舌つづみをうちながら、『東京ブギウギ』がアメリカ人にも通じた喜びをかみしめていた。
 レコードの発売は翌23年1月の予定である。
その間、ステージで反応をみることにした。
大阪の『梅田劇場』に笠置シヅ子が出演する。
まずそこで、発売されたばかりの『セコハン娘』(結城雄二郎詞)とともに『東京ブギウギ』を披露した。
これは大成功だった。
大阪人は時流に敏感なのか、乗りやすいのか、はたまた東京……というタイトルに魅力を感じるのか、『東京ブギウギ』は大阪で火がついたのである。
『東京ブギウギ』流行の陰の功労者に漫画集団をあげることができる。
漫画集団は、当時はやりのマンガショーを日劇で演じていた。
ぼくが彼らの控室に陣中見舞いに行くと、何と壁いっぱいにマンガ入りで『東京ブギウギ』の歌詞が貼り出されていて、
「これはいいですよ、みんな一度で好きになっちゃった。服部さん、教えてくださいよ」
 と大騒ぎである。
ついに、漫画集団の主題歌みたいになってしまい、横山隆一氏などは未だに、ぼくに会うと『東京ブギウギ』の思い出を語ってくれる。
 1月のレコード発売に合わせて、東宝の正月映画『春の饗宴』(山本嘉次郎監督・池部良、若山せつ子主演)に笠置シヅ子が特別出演して『東京ブギウギ』を主題歌として歌った。
レコードは急上昇で売り上げをのばしたが、この歌が爆発したのは、やはり日劇3月の『東京ブギウギ』であった。
 ト、オッ、キョ、ブギウギ、というバイタリティーあふれる独特の歌い出しで、超満員の劇場は早くも興奮のるつぼと化した。
 ぼくは上演にあたって、笠置君に説明した。
「とにかくブギは、からだを揺らせてジグザクに動いて踊りながら歌うんだ。踊るんだ。踊りながら歌うんだ」
 そこで、彼女は不思議な振りを考え、ステージ狭しと踊り歌ったので、それが大受けで、老いも若きも、大学教授も芸術家も、かつぎ屋も夜の天使たちも、皆一体となって熱狂的な声援を送った。
 笠置シヅ子は、復興を急ぐ敗戦国日本の、苦しさから起ち上がろうとする活力の象徴のように大衆に感じられたのではあるまいか。
そして、底抜けに明るい『東京ブギウギ』は長かった戦争時代をふっ切らせ、やっと平和を自分のものにしたという実感を味あわせてくれる……と、多くの人がこもごもに語った。
東京ブギウギは平和の叫びだ、と。

…後略…
(『ぼくの音楽人生  エピソードでつづる 和製ジャズ・ソング史』服部良一 日本文芸社 2023年)