今朝も歩き始めは寒かったけど
歩いているうちにポカポカ暖かい日ざしで春のようでした。
歩いているうちにポカポカ暖かい日ざしで春のようでした。
午後から図書室に本を返しに行くと職員の方に今、地震がありましたねと聞かれました。
その時間、歩いていたから気がつかなかったのかな?
「京都で震度4 大阪と兵庫で震度3 津波の心配なし」(関西NHK)
今朝の朝日新聞「天声人語」に
江戸時代、、有田焼をはじめとする日本の備前磁器が
チョコレート用のカップとして輸出されていたことが書かれていました。
…前略…
▼中米での出土品から、太平洋ルートで運ばれた備前磁器の「主力商品」がこのカップだったこともわかった。
アジアと新大陸を結んだ海の道は、チョコレートの道でもあった。
▼日本の職人たちは、味わったことのない飲み物の器をつくっていた。
バレンタインデーのきょう、歴史に思いをはせながらホットチョコレートを飲もうか。
「江戸時代の有田焼の輸出は、現代貿易の始まりだ!」(野上建紀長崎大学教授 夢ナビ)
今日はバレンタインデーなのですが、縁がなかったので(^^ゞその時間、歩いていたから気がつかなかったのかな?
「京都で震度4 大阪と兵庫で震度3 津波の心配なし」(関西NHK)
今朝の朝日新聞「天声人語」に
江戸時代、、有田焼をはじめとする日本の備前磁器が
チョコレート用のカップとして輸出されていたことが書かれていました。
…前略…
▼中米での出土品から、太平洋ルートで運ばれた備前磁器の「主力商品」がこのカップだったこともわかった。
アジアと新大陸を結んだ海の道は、チョコレートの道でもあった。
▼日本の職人たちは、味わったことのない飲み物の器をつくっていた。
バレンタインデーのきょう、歴史に思いをはせながらホットチョコレートを飲もうか。
「江戸時代の有田焼の輸出は、現代貿易の始まりだ!」(野上建紀長崎大学教授 夢ナビ)
第5章 茶・コーヒー・チョコレート
アステカからの贈り物―チョコレート
…前略…
特定の国に集中はしていなものの、ひろくヨーロッパ諸国に受け入れられたものに、チョコレートがあります。
砂糖の消費のしかたの例として、そこにも、かなり重要な意味がありますので、以下しばらく、ヨーロッパでのチョコレートの歴史をたどってみましょう。
1528年、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人エルナン・コルテスの遠征隊は、本国にアステカ人のいうショコアート(「にがい水」の意味)、つまりチョコレートを持ち帰ったといわれます。
それより前に、コロンブスもこれをヨーロッパに持ち帰ったという説もあるようです。
(『砂糖の世界史』川北稔 岩波ジュニア新書 1996年) チョコレートは、カカオ豆からつくるのですが、その製法はながらくスペイン人によって秘密とされていました。
これを最初に口にしたのは、ときのスペイン王であると同時に、いまのドイツあたりを支配し、理念としてはヨーロッパ全体の支配者ともされた神聖ローマ皇帝の位をも兼ねていたカルロス一世(神聖ローマ皇帝としては、カール五世)であり、この飲み物に砂糖を入れたのも、彼だといわれています。
砂糖とチョコレートは絶妙の調和を示し、スペイン王室の人びとはこれに熱中しました。
このころのスペインでは、チョコレートは、修道院でもおおいに飲まれていたようです。 スペインは秘密にしていましたが、この強烈な飲み物のうわさは、旅人や聖職者、船乗りなどをつうじて、ヨーロッパじゅうに知れ渡りました。
16世紀には、衣服のモードでもそうですが、スペインこそが流行の最先端の国でしたから、多くのヨーロッパ人がその生活文化に注目しており、隠し通すことはむずかしかったようです。
とうとう1607年に、アントニオ・カルレッティというひとりのイタリア人がその製法を盗みだし、そこからヨーロッパ全体に、チョコレート趣味がひろがったのです。
早くも1609年には、『チョコレートの入れ方』と題するスペイン語の本がメキシコで出版され、1648年にはイギリス人もカリブ海でのチョコレートの使われ方について本を著しました。
もともとスペイン領であったジャマイカでは、黒人奴隷がこれを好んで飲んでいるというのです。
しかし、イギリスでチョコレートが知られたのは、1657年にロンドン在住のフランス人が売り出してから、ともいわれています。
いっぽう、1615年に、わずか14歳でフランス王ルイ13世に嫁いだスペインの王女アンナや、1660年にやはりルイ14世の妻となったマリアなどが、フランス王室にもチョコレートを飲む習慣をひろめました。
この時代のフランス王室は、ヴェルサイユに大宮殿を建設し、華やかな宮廷文化をくりひろげはじめていましたから、その影響はたちまち全ヨーロッパにおよびました。
フランス人は、カリブ海の植民地にカカオのプランテーションをつくるようにもなりました。
とくに、ルイ14世は「太陽王」とよばれるほど栄華をきわめましたので、チョコレートは、1660年代までには、スペインはもとより、イタリアやフランスの貴婦人の飲み物として、ヨーロッパ全体にひろがったのです。早くも1609年には、『チョコレートの入れ方』と題するスペイン語の本がメキシコで出版され、1648年にはイギリス人もカリブ海でのチョコレートの使われ方について本を著しました。
もともとスペイン領であったジャマイカでは、黒人奴隷がこれを好んで飲んでいるというのです。
しかし、イギリスでチョコレートが知られたのは、1657年にロンドン在住のフランス人が売り出してから、ともいわれています。
いっぽう、1615年に、わずか14歳でフランス王ルイ13世に嫁いだスペインの王女アンナや、1660年にやはりルイ14世の妻となったマリアなどが、フランス王室にもチョコレートを飲む習慣をひろめました。
この時代のフランス王室は、ヴェルサイユに大宮殿を建設し、華やかな宮廷文化をくりひろげはじめていましたから、その影響はたちまち全ヨーロッパにおよびました。
フランス人は、カリブ海の植民地にカカオのプランテーションをつくるようにもなりました。
イタリアでは、カトリックの本山であるローマ教皇庁の枢機卿(すうきけい)という重要な地位にあった人物が、「断食の時期にチョコレートを飲むことは許されるか」という問題を提起し、「チョコレートは液体だから、それを飲んでも断食に違反したことにはならない」という回答をみずから考えだしたといわれます。
砂糖について同じような言い訳をした、昔の大神学者トマス・アクィナスにならったのでしょう。
チョコレートも「くすり」?
イギリスでは、何度かふれたように、コーヒー・ハウスでチョコレートが売られるようになりますが、海軍省の役人で、おもしろい日記を残したことで知られるサミュエル・ピープスは、すでに1662年に「胃をおちつかせるために」朝からチョコレートを飲んだことを記録しており、家庭のなかにまでひろがっていたらしいことが推測されます。
こうして、チョコレートそのものは、ヨーロッパでもイギリスでも、貴婦人の飲み物でしたが、チョコレート・ハウスは乱痴気騒ぎの多い、堕落したものとみられていました。
イギリスの画家ホガース(次章 第6章 「砂糖のあるところに、奴隷あり」参照)の絵などに出てくるものは、いつも酔っ払いがばか騒ぎをしているような場面ばかりです。 それにしても、チョコレートの魅力はたいへん強烈だったようで、早くも1697年に、ベルギーを訪れたチューリヒの市長がスイスに持ち帰り、同じころプロイセン(いまのドイツの東部)などにも伝わりました。
1747年プロイセンの有名な国王フリードリヒ大王は、「チョコレートはいらないか!」と怒鳴る売子の声に閉口して、チョコレートの行商を禁止したとさえいわれています。 ところで、茶や砂糖やコーヒーと同じで、チョコレートも何やら神秘的な飲み物と思われていましたから、これを「くすり」だと考える人がたくさんいました。
これもよく知られていたプロイセンの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトは、何年も中央アメリカに滞在してその土地の植物を研究したあげく、「カカオ豆は、とうてい考えられないほどの栄養分の宝庫である」と保証しました。
オランダでも、アムステルダムの医師が、「チョコレートは、味がよいだけでなく、口のなかにさわやかな匂いを残し、リンパ腺(せん)や体液を沈静化させる役割をはたす」と明言していたのです。
リンパ腺が腫(は)れたり、体液がおかしくなることが病気の原因だと思われていた時代ですから、要するにこの医師は、チョコレートが万能薬だといっているのです。
(『砂糖の世界史』川北稔 岩波ジュニア新書 1996年)今朝の父の一枚です(^^)/
シジュウカラを写していました。
鳥たちのさえずりについて
第5章 子孫を残すためのコミュニケーション
さえずりの目的と効果
鳥がさえずる目的は、おもに次の二つになります。
○自分がよい声を持った優れたオスであることの主張 →メスの獲得
○自分の居場所の宣言、自分のナワバリの宣言 →ナワバリの主張・維持
さえずりは繁殖と強く結びついたものであり、そのために「さえずる期間」というものが設定されています。
その時期をコントロールしているのが、性ホルモンのテストステロンです。
哺乳類の精巣が体の外に位置しているのは、精巣という組織は熱に弱く、なるべく低い温度を維持できる場所に置かれる必要があるためです。
鳥の精巣も同じで、ずっと高温にさらされている状況は好ましくありません。
まして鳥は、42度前後という高い体温の生き物です。
そのためオスは、交尾する直前の短い期間だけ精巣を肥大化、活性化させて精子をつくるようにしています。
鳥の発情と血中の男性ホルモンの高さ、精巣の肥大は、密接に関係しています。
…つづく…
(『鳥を識る なぜ鳥と人間は似ているのか』細川博昭 春秋社 2016年)