2024年2月18日日曜日

汗をかきそうになった

曇り空でしたが、歩いていると汗が出そうになりました。
カンヒザクラ(寒緋桜)を見ると蕾が膨らみ紅くなっていました。
再放送ですが、にっぽん百低山「名護岳・沖縄」で
上間綾乃さんが即興の琉歌(りゅうか)を吉田類さんにプレゼント

 名護岳に登てぃ 桜花見りば 
   くりからぬ後や 今日ぬ旅路

 (名護岳に登って 桜の花を見れば
   これから先は 今日の旅を思い出すことでしょう)

朝ドラ「ブギウギ」第20週「ワテかて必死や」 (96)

スズ子の「ジャングル・ブギー」は、圧巻でしたね。
笠置シヅ子の舞台を林芙美子が見ています。

 歌姫の構図(笠置シヅ子を語る)
  巴里風の湯気 
 林芙美子
   笠置シヅ子の印象

 私は笠置シヅ子という歌手のあることを長く知らなかった。
ある日、ラジオから流れてくる女の歌声に私の耳はとまった。
パリ風な捨身な、サビのある女の声が私の琴線にふれた。
(『笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』宝島社 2023年)
 如何なる新人なのであろうかと思い、来る人毎に、この風変りな歌手についてたずねた。
すると相当古い人で、いま仲々人気のある歌手だということだった。
明暗の技巧のうまさはもちろんだけれども、その技巧だけで、口の先だけで、息を吸う歌い方ではなく、肚の底からわあッと湧きあがる歌声は聴くものの心をゆすぶらないではおかない。
 彼女の芝居を見て来た男の人は、笠置シヅ子だけ観せてくれるといいのだが、背景にゴミゴミと登場人物があるのが気に食わないといっていた。
女の人にいわせると、なんだか下品で、私はやっぱり宝塚の上品さを買いますという。
しかも、この婦人は中年の人である。
 ある日、私は彼女の舞台を見に行った。
心ひそかに、私は笠置シヅ子の歌に慰められていることを知っていたから。
 私は楽屋で彼女に逢い、客席へまわった。
女の人のいっていた下品さといものは薬にしたくもない。
むしろ初々しいくらいの哀れさを感じた。
彼女がパリで生れていたならばと、私はふっとパリの小さい寄席の数々を思い出していた。
これは日本でただ一人のオトナの歌うたいであり、貴重な歌手だ。
 私は日本の歌手のなかでは淡谷のり子、渡邊はま子といった人たちが好きであった。
だが笠置シヅ子のように複雑きわまる舞台アングルを持った歌いぶりは、以上の二人にはない。
全身で踊り、全身で歌う。
鼻翼をふくらませ、両手を伸び伸びとひろげ、舞台に蜃気楼を打ち建てる。
私はパリで観たジョセフイン・ベエカア(※1)を想い出した。
また「ナントの鐘」を歌って、肺病で死んだというイヴォレンヌ・ジョルジョ(※2)の声を想い出した。
 日劇小劇場あたりの小さい舞台で、彼女ひとりの歌と芝居を観たいと思うのは私だけではあるまい。
多勢の中での彼女の情熱的なアングルは、なんとなく見逃されているような気がしてならない。
芝居よりも、私は彼女の歌をもっと生かした小味なものを望みたい。
 楽屋で見る笠置シヅ子は非常に人間的で、女らしく、美しい婦人だと思った。
豊富な心のタンレンがもたらしたものか。
彼女は年を取らない型の女性と見えた。
私は何も言い合ったわけではないけれども、彼女の中に何かしら共感を呼ぶものを持って、私の心をゆすぶった。
 フランスの女流作家コレット(※3)が長らく旅芸人となって、小さい町々の寄席で、カンカンを踊りながら、人生をみつめていた苦難な時代を越えて今日に至り、私が昭和6(1931)年にパリで逢った時は、コレットのサロンは異国人の私の眼を奪うような華やかものであった。
フランスは女の芸術家を育てるところであろうと羨ましく思った。
 忙しい私は、彼女の舞台を度々観に行く機会はないけれども、先日やっと探し求めた「東京ブギウギ」のレコードを掛けては彼女の声を愉しんでいる。
まことに巴里的だ。
彼女の歌からは、しっとりと春の雨に濡れたマロニエを思わせる巴里風の湯気がゆらゆらと立ちのぼってくる。

※1)ジョセフイン・ベエカア  1920年代から1970年代にかけて活躍したアメリカの女性ジャズシンガー。
※2)イヴォレンヌ・ジョルジョ 1920年代に活躍したフランスのシャンソン歌手。
※3)コレット 代表作の『ジジ』は後にブロードウェイで舞台化された。
(『笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』宝島社 2023年)
スズ子のワンマンショーの最前列で声援を送っていたお姉さんたちについて
TOMOKO HATTORIさんの投稿(2月16日)に

母曰く、ラクチョウのみなさんはいつも同じ席にいてノリノリですごかったそう。

私もへぇーそうだっんだ。と知る母のたまにあるつぶやき。
当時は小学生だったから幼心に印象的なことがドラマを見ながら思い出すんでしょうね。
そういう意味ではラクチョウのみなさんが登場した瞬間に客席にいて盛り上がる彼女たちのことはすごかったと言いました。
男が始めた戦争で戦争が終わっても悲惨な状況が続くのは、女性や子どもたちです。

女たちのゼロ年」(NHK戦争証言アーカイブス)

――闇の女――
ラク町のお時(有楽町) 「パンパン」への偏見と闘った女


少年たちのゼロ年」(NHK戦争証言アーカイブス)

優しかった「パンパン」
お姉さんだけが「坊や、今日は何か食べたか?」と聞いてくれた。
今朝の父の一枚です(^^)/
空が暗くて黒くなってしまったのですがメジロを写していました。
にっぽん百低山「名護岳・沖縄」の番組の中で
カンヒザクラの蜜を吸っていたのは、リュウキュウメジロ

第2章 住宅地や餌台にくる鳥―メジロ
 蜜ドロボー


 上田恵介氏は、小笠原諸島で、メジロの大変興味ある行動を観察している。
小笠原に咲くハイビスカスやセイロンベンケイソウなどでは、花が細長い筒状をしているため、メジロの舌が蜜まで届かない。
そこで、筒状の花の根元の部分に嘴で外から穴をあけて、蜜を吸うのだ。
花にしてみれば、花粉を運ばないで蜜だけ吸う〝蜜ドロボー〟である。
特に、セイロンベンケイソウでは、ほとんどの花に蜜ドロボーたちの嘴の痕跡がついているという。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)