2023年10月4日水曜日

雨のおかげで

夜に雨が降っていたようです。
おかげで風が気持ちよかった。
うまく写せていないけど風車の上を刷毛ではいたような雲が
羽衣のように浮かんでいました。
でも、まだ暑さには気をつけないと…

熱中症で搬送 今月1日までの1週間 この時期では過去最多に」(NHK)
朝ドラ「ブギウギ」が始まり、笠置シヅ子と服部良一がモデルになっています。
今日の名曲アルバムに「大阪ブギウギ」が紹介されていました(歌は矢井田瞳)。

大阪ブギウギ 藤浦洸・作詞 服部良一・作曲 服部隆之・編曲

服部良一が通い続けた「今井楽器店」跡は、2015年2月22日に訪ねていました。
◆アッシジの聖フランシスコの日(10月4日) Saint Francis of Assisi
 
 神の人フランシスコは家を出て、財産を捨て、貧しい者となった。
 神が彼を養ってくださった。

   (カトリック教会ミサ典礼書 入祭唱)

 フランシスコ修道会の創設者である、清貧と平和の聖人を記念する日。
愛にあふれた生涯は、映画などでご存じの方も多いだろう。
その名はラテン語で「フランス人」の意味で、裕福な商人だった父親がフランスにちなんでつけた愛称といわれる。
フランシス、フランツ、フランチェスコ、フランセスコ、フランチスコ、フランソワ、方濟、方濟各、法蘭西斯といった表記がある。
女性形はフランチェスカ、フランセス、フランソワーズなど。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷凉子 講談社学術文庫 2016年)
 1181年頃イタリアのアッシジに生まれた。
もともとの洗礼名はジョヴァンニといい、放蕩と快楽の日々を送っていた。
二十歳の頃に従軍して捕虜となり、病に伏した体験を経て回心。
ものを所有せず托鉢をしてまわるという、イエスが教えた通りの清貧な生活を送りはじめる。
小さき者たちに奉仕するフランシスコの生き方は、やがて信奉者を集め、ついに教皇インノチェンツィオ3世の祝福を受けて修道会を設立するに至った。
すべての被造物を「きょうだい」と呼び、自ら労働に励み、あるときは疫病患者を介抱し、神と自然を讃える聖歌をつくり、動物とともに暮らし、小鳥に説教することもあった。
1224年には両手両足に聖痕(イエスが十字架上で受けたものと同じ傷)を受けたとされ、彼の生涯は多くの伝説に彩られている。
「太陽の賛歌」と呼ばれるフランシスコの祈り、そして「神よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」ではじまる「平和の祈り」は、キリスト者の祈りのなかで、もっともよく知られたものだろう。
 1226年10月3日にポルシウンクラで没。
そのわずか2年後、教皇グレゴリオ9世によって列聖されるとともに、アッシジに現在のフランシスコ聖堂が建立された。
もちろんアッシジ市の守護聖人であり、1939年からは、シエナの聖女カタリナと並んでイタリア全土の守護者となっている。
動物、鳥、動物園、動物愛護団体、エコロジスト、環境問題専門家、家庭、レース職人、商人、お針子、タペストリー職人、孤独な死、火事、平和の守護聖人、ローマ・カトリック教会や聖公会、メソジスト教会などでは、神の被造物に対するフランシスコの働きを祝って、当日もしくは10月第1日曜日に動物(ペットを含む)の祝福式を行う教会がある。
とくに、ニューヨークのマンハッタンにある聖ヨハネ大聖堂(米国聖公会)で10月第1日曜日に行われるアニマル・ブレッシング(動物の祝福式)は規模が大きく、地域の風物詩となっているほどだ。
イタリアのボローニャではこの日を法定休日としている。
 アメリカのサン・フランシスコがこの聖人にちなんだ地名であることはいうまでもないが、ロサンジェルス、そしてサンタフェの名も同じくフランシスコに関係がある。
前者は、スペイン語でEl Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles de la Porciúncula' すなわち「ポルシウンクラの天使の女王、聖母の町(諸天使の元后の町)」を略したもので、ポルシウンクラの聖堂でフランシスコが祈っていると、聖母マリアが現れたエピソードに由来する。
また、サンタフェは同じくスペイン語で La Villa Real de la Santa Fe de San Francisco (聖フランシスコの聖なる信仰の宿る国王の町)を縮めたものだ。
エクアドルの首都キトは正式にはこの聖人の名から San Francico de Quito といい、同市内に建つ南米でもっとも巨大かつ最古といわれる教会・修道院も同聖人に捧げられている。
 2013年に着座したローマ教皇フランシスコの名は、この聖人に由来する。
教皇としてはじめての選択であり、貧しい人とともに生きる決意を表明したものとして話題になった。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷凉子 講談社学術文庫 2016年)

注)いつもの事ですが、転記間違いがあると思います…
転記しながら思い出したのが

 第二次予選(承前)
  春の祭典


…前略…

 二次予選からは曲ごとに演奏者が挨拶し、拍手をしてもよいことになっている。
 しかし、風間塵(かざまじん)の演奏には拍手をする隙がなく、彼自身も拍手を期待していない。
緊張は途切れず、流れるように次の曲へと進んでいく。
 四曲目はリスト。
「二つの伝説」の第一曲、「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」。
コンクールでは、第二曲の「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」のほうが演奏されることが多い。
 でも、第一曲を選んだのは正解だ。
風間塵にはこの曲のほうが似合う。
 三枝子(みえこ)は「春と修羅」の凄まじいカデンツァのあとにこの曲を持ってきた風間塵に得たいの知れない畏怖に似たものを感じていた。
(『蜜蜂と遠雷(下)』恩田陸 幻冬舎文庫 平成31年)
 聖フランチェスコはカトリックの聖者。
十二世紀から十三世紀にかけて実在した人物で、裕福な商人の家に生まれたが、財産をすべて捨てて野外に暮らし、小鳥や動物と会話ができたと言われている。
その伝説にのっとって書かれたこの曲は、小鳥のさえずりやはばたきが写実的に表現され、小鳥と聖フランチェスコが対話しているところを描いている。
 会話している――本当に、鳥と話している。
 風間塵の指から生み出されるえんえんと続くトリルとトレモロを聴いていると、ちらちらと上下しながら宙をはばたく小鳥が、ぼろをまとった青年と荒野で向き合っている姿が目に浮かんでくる。
 まるで、こんこんとさとす聖フランチェスコの声と、話している内容まで聴こえてくるかのようなリアルな描写。
「春と修羅」で自然の猛威と脅威をまざまざと示したあとで、おとぎばなしのような小鳥と聖者の対話を持ってきたのは、意図してなのか、天然なのか。
 ともあれ、こんなに「リアル」な演奏を聴いたことはなかった。
 この、呼吸するような自然な、それでいて全くためらいも破綻(はたん)もない表現力はどうやって身につけたものなのだろう。
彼の演奏を聴いていると、他のコンテスタントとは根本的に何かが異なるものを感じる。
違和感と言ってもいいくらいの違いだ。
皆が譜面を再現し、譜面の中に埋もれているものを弾こうとしているのに、彼の場合は違う。
 むしろ、譜面を消し去ろうとしているかのような――
 ふと、そんな表現が浮かんだ。
 譜面を消す。
それはどういうことだろう。
作曲家にとって、音楽家にとって。
 剝き出しの、生まれたままの姿の音楽を舞台の上に出現せしめる――
 一瞬、何かをつかみかけたような気がした。
 ホフマン先生が、彼に何を望んでいたのか、その正解が心をかすめたように思えたのだ。 
 が、それは言葉にする前にたちまち消え失せてしまい、三枝子は内心舌打ちをした。
 鮮やかな展開部。
聖フランチェスコの言葉は啓示となり、啓(ひら)かれた世界に光が射し、大地に明るい光が満ちみちる。
 風間塵の姿が、聖フランチェスコに重なった。
 考えてみると、彼はどことなく聖フランチェスコに似ている。
ピアノも持たず、頭の中に譜面を持ち、野外を移動し、蜜蜂と話す。
何ものにも縛られず自由だ。
 カトリックに回心したばかりの聖フランチェスコは、周囲から見れば理解に苦しむ奇矯な人物でしかなかった。
家族も大衆も、彼の行動はとんでもない奇行としか思えなかっただろうし、毀誉褒貶(きよほうへん)に包まれていたに違いないのだ。
 風間塵は聖者となるのだろうか?
 そんなことを考えた。
 この俗世の、音楽が市場に飼い馴らされた世界で?
 三枝子は、舞台の上の光に包まれた少年を見つめた。

 …後略…
(『蜜蜂と遠雷(下)』恩田陸 幻冬舎文庫 平成31年)