用心してマクロレンズで出かけました。
歩いてるときは、暑いと思うほどでしたが
休憩しているとヒンヤリしてきました。
上空に寒気があるのだなぁと思いました。
「西~北日本 広い範囲で大気不安定 落雷や突風など十分注意を」(NHK)昨日、亥の子餅のことを書きましたが、千葉では街中に
「千葉市中心部にイノシシ 警察官など3人けが」(NHK)
「千葉駅周辺でイノシシ出没 かまれて3人けが 捕獲の一部始終は」(NHK 千葉放送局)グレーテルのかまど「源氏物語の亥の子餅」に「葵の帖」が紹介されていました。
この「葵」の帖(巻)には
コラム8 生霊(いきりょう)出現
――葵の上(あおいのうえ)に取り憑(つ)く六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
「……かく参(まゐ)り来(こ)ともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂(たましひ)はげにあくがるるものになむありける」となつかしげに言ひて、
なげきわび空に乱るるわが魂(たま)を結びとどめよしたがひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変りたまへり。 (葵巻)
(「……このように参上しようとはまったく思わないのに、物を悩む人の魂は、なるほど身から離れて遊離<ゆうり>するものなのですね」と慕<した>わしい様子で言って、
嘆いて困って、空にさまよう私の魂を結びとどめてください、装束<しょうぞく>の下前<したまえ>のすみを結んで
と仰<おっしゃ>る声、様子は、葵の上その人でもなく変わっていた。)
(『源氏物語入門』高木和子 岩波ジュニア新書 2023年)
世間では、光源氏の妻の葵の上に物の怪(もののけ)が憑(つ)いている、御息所の生霊か、亡くなった父大臣の死霊(しりょう)かとも噂されています。
なるほど車争いの後、心の平衡(へいこう)を失った六条御息所は、悩みを深めて悶々(もんもん)としている中で、姫君をいたぶる夢を何度も見ます。
まさか身を捨ててまで、魂がさまよい出ているのか、と我が身の上をうとましく思い、嘆いていたのでした。
葵の上は、出産の日が近づいても体調不良が続き、無事に出産できるかどうか危ぶまれる状態です。(『源氏物語入門』高木和子 岩波ジュニア新書 2023年)
世間では、光源氏の妻の葵の上に物の怪(もののけ)が憑(つ)いている、御息所の生霊か、亡くなった父大臣の死霊(しりょう)かとも噂されています。
なるほど車争いの後、心の平衡(へいこう)を失った六条御息所は、悩みを深めて悶々(もんもん)としている中で、姫君をいたぶる夢を何度も見ます。
まさか身を捨ててまで、魂がさまよい出ているのか、と我が身の上をうとましく思い、嘆いていたのでした。
両親の左大臣も大宮も、大変心配して祈禱(きとう)をさせます。
すると、執念深く憑いている物の怪が行者(ぎょうじゃ)に調伏(ちょうぶく)されて、「少し祈禱を緩(ゆる)めてください、夫とお話したいのです」と言います。
両親は退(しりぞ)いて、光源氏は葵の上と二人になります。 光源氏はついに臨終かと、「夫婦は生まれ変わっても再度めぐり合うものだから」と話しかけますと、「物を悩む人の魂はやはり、体から抜け出すのですね」と、遊離した体を戻してほしいと歌で応じてきます。
なんと六条御息所の声でした。
「したがひ」とは着物の下前、重ねた時に下になる方のこと。
「褄(つま)」は下の角で、そこを結ぶと抜け出た魂が体に戻ると言います。
『伊勢物語』110段でも、「思ひあまり出(い)でにし魂(たま)のあるならむ夜(よ)深く見えば魂結(たまむす)びせよ」、思いがあり余って体から抜け出た魂を、おまじないをして体に戻してほしいと訴えています。 和泉式部の「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出(い)づる魂(たま)かとぞ見る」(『後拾遺集』雑六)は、悩んでいると沢を飛ぶ蛍も自分の体から抜け出した魂かと見える、という歌です。
「遊離魂(ゆうりこん)」の発想を下敷きに、「身」と「魂」の分離を詠んだものです。
(『源氏物語入門』高木和子 岩波ジュニア新書 2023年) 芸能も供えるもの
まつりの供えものは、食べものだけではない。
まつりの楽しみは、飲食だけではない。
芸能もまた「奉献」されたものであった。
とくに、秋まつりでは、神饌と芸能をもって神々をもてなすことが各地で顕著に伝えられてきた。
その芸能には、神楽や番楽があり、太鼓踊りや獅子舞がある。
とくに、神楽が全国的な分布をみる。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年) 神楽は歴史も古い。
『古事記』では、須佐之男命の悪行を嘆いて腹をたてた天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸に姿を隠したとき、天宇受女命(あめのうずめのみこと)が天の岩屋戸の前で神がかりとなって舞い踊った、という記述がある。
これが神楽の文献上の初出、したがって神楽の原型、とするのも間違いではあるまい。
つまり、そこでみられるように「神がかり」の舞や「託」(託宣)の口寄せが神楽の祖型ともいえる。 それは時代とともに後退したが、たとえば、備中(岡山県)や備後(広島県)での荒神(こうじん)式年祭の神楽には託宣神楽が伝わっているのである。
それが、次に神々の真似をしての「神あそび」に転じる。
時代とともに、さまざまな芸能の要素をとり入れて娯楽化してゆくのだ。
すなわち、神々を楽しませる神事・芸事から人を楽しませる芸能へと娯楽化もしてゆくのである。 その過程は、ところによってさまざまであり、時代ごとの変化、変容もさまざまある。
現在、国の重要無形民俗文化財の神楽が38件(令和元年現在)、県や市町村での指定が約300件、その他、未指定ながら銘々に神楽を名乗る団体も相当数あり、少なく見積もっても1000件以上もの神楽が日本にはあるのだ。
このような多様な分布は、他の民俗芸能にはみられない。
そして、世界では、異常なまでの密度なのである。
ということは、私たち日本人がいかに秋まつりを大事な行事としてきたかを表している。
そして、いかに秋まつりを楽しんできたかを表している。
「社前より裏(うしろ)がにぎわう秋まつり」という川柳もあった。
暗闇のなかで神楽太鼓を聞きながら、若い男女には愛を確かめあう楽しみもあった、ということだろう。 しかし、その秋まつりが大きく変わろうとしている。
一部では、なくなろうともしているのである。
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
哀愁のまつり囃し、にも聞えてこようか。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年)
「神楽を楽しむ」(小学6年)今朝の父の一枚です(^^)/
モズに出会えなかったようですが、ツグミがやってきました。
ツグミ 静かに送る越冬生活
✤一網打尽の歴史
ツグミも、ジョウビタキと同じように、初冬のころに北国から渡来する冬鳥で、各地で越冬生活が観察できる。
かつては、渡ってくるときには、日本海側の新潟や富山、福井などにたどり着いたころを、カスミ網で一網打尽にされ、密漁されて焼鳥にされることが多かった。
しかし、1991年に、カスミ網の販売や所持が法的に禁止されたことを契機に、今後は密漁が撲滅されることを期待したい。
日本に渡来するときには群れをなして飛んでくるが、越冬中には単独で生活していることが多い。
公園や河川敷、農耕地などの見通しのよい開けた環境を好み、地上で採餌する。
芝生おり、昆虫や土中動物などを探しているときには、ピョン、ピョンとホッピングしながらちょっと進んでは立ち止まり、頭を持ち上げて胸をそらすようなしぐさをする。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)