2023年7月27日木曜日

雨が降らない

 

朝早くから元気なクマゼミ
住宅難なんだろう飛び回っていました。
梅雨があけてピタッと雨が止んだような…
公園の草もクタッとなっていました。

近畿 危険な暑さ 39度予想も 熱中症対策徹底を」(関西NHK)
前回、「ちまき」の転売がニュースになったので
四 御旅所祭礼とちまきの民俗的意味」を転記しましたが
その前に…

二 御霊信仰と牛頭天王

 京では、どちらかといえば大きなまつりは春から夏に集中している。
これは他地域における一般的な年中行事のサイクルとは若干性格を異にする。
日本では一般に、農耕のサイクルによって年中行事が構成され、その結果、春の田植え前と秋の収穫後に大きな祭礼が営まれることが多い。
特にその年の豊作を感謝し、翌年の豊饒を祈願する意味で、秋の農作業が一段落する時期に盛大にまつりが行われるケースがしばしば見られる。
では、京における祭のサイクルはいったい何に基づくものなのか。
(『京のまつりと祈り――みやこの四季をめぐる民俗』八木透 昭和堂 2015年)
 それは一口でいうならば、「御霊信仰(ごりょうしんこう)」の影響を濃厚に受けているためと思われる。
御霊とは、非業の死をとげ、その結果この世に未練や恨みを持つ死者の霊魂を意味する。
平安時代の御霊で有名なのは菅原道真だが、道真以前にもたとえば桓武(かんむ)天皇の弟の早良(さわら)親王(崇道<すどう> 天皇)、桓武天皇の皇子である伊予(いよ)親王などが御霊であると信じられていた。
このように御霊が恨みをはらすために人々に疫病(えきびょう)を振りまくということから、それらの荒ぶる霊魂を歓待し、慰撫することによって災厄(さいやく)をもたらさぬように神の世界へ送るための祭礼が「御霊会(ごりょうえ)」である。
このように御霊信仰が平安時代には牛頭天王(ごずてんのう)のまつりと習合し、祇園御霊会として定着してゆく。
 牛頭天王はインドでは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされるが、日本に移入されてからは、御霊信仰と結びついていわゆる疫神(えきじん)とみなされるようになり、この神を祀れば疫病やその他の災厄から免れることができるとして、広く民間に普及した。
このような御霊信仰は、日本では「風流(ふりゅう)」を伴った華やかな数々のまつりを生み出した。
ここでいう風流とは、まつりの時に登場する趣向をこらした作り物、化装、練り物、囃子(はやし)物、歌踊などを指す。
祇園祭の山鉾や種々の芸能はすべて風流の代表である。
京のこれらのまつりは、春に桜の花が散り始める頃から初夏にかけて京のまちに疫病を撒きちらす疫神を、さまざまな芸能や歌舞を披露することによって鎮め、送ることを目的として行われるものである。
 四月(旧暦三月)に行われる今宮(いまみや)神社の「やすらい花」もその一つで、疫病神としての花の霊を鎮めるという意味から、〝鎮花(ちんか)のまつり〟ともいわれている。
また五月(旧暦四月)に行われる上御霊(かみごりょう)神社と下御霊(しもごりょう)神社の祭礼も、その神社名が示す通り、御霊信仰に基づくまつりである。
 春から夏前の時期に御霊会が行われるのは、この頃が一番疫病の流行しやすい季節であったからである。
現在でも6月から7月の梅雨明けするまでの時期は、もっとも食中毒や伝染病が流行しやすい時期である。
またこのことは梅雨の集中豪雨による河川の氾濫(はんらん)とも関係がある。
すなわち、鴨川や桂川などの京の河川は、かつてはよく氾濫した。
河川の氾濫は水害であると同時に、その後には伝染病の流行という二次的な被害をもたらすことは今も知れたことである。
つまり、天災による災厄と疫病の流行とは、常に一体のものであり、ゆえにこのような時期に、災厄や疫病の招来の根源とされている御霊を祀り、京の町の平安を祈願したのである。
(『京のまつりと祈り――みやこの四季をめぐる民俗』八木透 昭和堂 2015年)
歴史教育への一抗議」つづき

 およそその根拠に、正しい哲学的批判を持たない歴史教育ほど、無意味で退屈なものはないのだ。
歴史は「事実」を教へるのでなく、事実の「意味」を教へるところに、学問教育としての意義があるのだ。
僕の学校時代に於て、歴史ほど退屈で興味がなく、イヤで大嫌ひな学課はなかつた。
なぜなら学校の歴史と言ふのは、事件の起つた年代や年号、事件に関する人間の名前、及びその場所、地位、系図等のものを、無意味に暗記することの勉強にしかすぎなかつたから。
藤原道長といふ人名が出る毎に、僕はすぐにその生存年号、神武紀元、藤原氏系図等々を表象した。
そしてしかも、道長がどんな人であつたか、どんな政治をし、どんな性格で、どんな文化事業をしたかといふやうなことは、殆んど一向に知らなかつた。
これほど没興味で煩はしい学課はなかつた。
(『日本現代文學全集60 萩原朔太郎集』伊藤整 他編集 講談社 増補改訂版 昭和55年)
 歴史は暗記力の養成ではない。
民族の血に流れてる本質の生命力、民族の所有する政治的、文化的の創造力、過去に於ける民族の事業、及び将来に於けるその使命等を正しく教へて、国民の民族的自覚を基本づける学問である。
歴史を教育されない国民に、真の愛国心や民族自覚のある筈がない。
しかも日本の教育者は、歴史を他の諸学課の下位に置いて、極めて軽く見てゐるのである。
単にそればかりではない。
真実を隠して嘘を教へようとさへするのである。
増鏡も大鏡も、学生の読書課目から禁じられた。
そして能楽船弁慶は、ある史実を語ることによつて一部を止められ、源氏物語の上演さへも、同じ史実の理由によつて禁止された。
真実の歴史を隠して、一体何を国民に教へようとするのであるか。
今日我が国の教養ある青年や学生やが、概して皆愛国心に欠乏し、民族自覚に無関心であるばかりでなく、ややもすれば非国民的危険思想に感染される恐れがあるのは、全く学校に於ける歴史教育の罪である。
歴史が正しい民族の歴史を語り、自国文化への正しい批判を教へないのに、如何にして青年の愛国心を呼び得ようか。
 かつてナポレオン戦争の時、敵の砲火に囲まれた伯林の一校堂で、哲人フィヒテがした一場の大演説ほど、独逸人を強く感度させ、愛国心を燃え立たしたものはなかつた。
その演説の内容は、過去の独逸の歴史を遡つて、すべての独逸文化を批判し、独逸人の芸術的、科学的、及びすべての文化的世界使命を述べたのである。
今日の日本の青年やインテリでも、かうした歴史批判を根拠とする演説には、おそらく強い民族意識を呼び起すにちがひないのだ。
然るに政府はそれをしないで、国民教育の根本指導を、もつぱら実利的現実の富国強兵主義に置いてるのだ。
歴史も修身も、すべての学校教育の教へることは、物の原理的探究でも批判でもない、そしてただ現実の社会に於て、日本を金持ちにせよといふこと。
日本の軍隊を強くせよといふこと。
そして国民各自に、処世上での世渡りを上手にし、如才なく金を儲け、成功のツルを早く掴んで、その上に身体を強壮にせよといふを教へるのである。
なぜなら各人が金持ちになり、事業に成功し、身体が丈夫になるといふことは、とりも直さず日本の国利民福の増長であり、富国強兵の実をあげることになるわけだから。
そして此処にも、実利主義の儒教精神(利用厚生)が伝統的に根を持つてるのだ。
 今日の学校でする歴史教育は、つまりこの政府の方針する基本モットーを、忠実に演繹(えんえき)したものに外ならない。
だから国利民福や富国強兵に有害であり、もしくは無用である部分は、義務教育から除いてしまはうと言ふのである。
これは正に実利主義の教育である。
だが実利主義は、国民の民族意識や真正の愛国心やを、決して精神的に教育することができないのである。
今日の青年等は、何事にまれ、それの理由と原理とを知らずして、物を愛することができないのである。
本質に哲学的批判を持たない所の教育から、強制的に歴史を教へ、盲目的に祖国への殉愛を強ひる如きは、今の青年に対して無意味であらう。
(『日本現代文學全集60 萩原朔太郎集』伊藤整 他編集 講談社 増補改訂版 昭和55年)

『無からの抗争 : 詩と文学に関する問題』(萩原朔太郎 白水社 昭和12年 <国立国会図書館サーチ>)
今朝の父の一枚です(^^)/
子どもの頃、カエルは身近な存在だったけどなぁ
用水路や田んぼなどでカエルをとったりして遊んでいました。

カエルの血液の流れ」(小学6年)

昨日は、循環器科の診察。
病院の入り口で体温を測定すると「38℃」( ・_・;)
こういうときの為にいつも携行している体温計で測ると36.1℃
病院に向っている時に車のフロントガラスから日の光を受けて
おでこの温度が高くなっているのかな?
冬は、35℃が多いです。
来週は、午後2時から新型コロナワクチンを接種することになっているので
この頃の危険な気温でおでこの温度は38℃以上になるかも…(^_^;