それでも
ちょっとだけ風が吹いてくるとホッとしました。
これから40度を超える日があるのだろうなぁ
「東京 八王子39.1度 今季全国1番の暑さ 熱中症に厳重警戒を」(NHK) ヒアリやセアカゴケグモのように定着するのは時間の問題かな?
〝特定外来生物「コカミアリ」国内で初確認 倉敷市水島港〟(岡山NHK)
前回のブログで紹介したこれから40度を超える日があるのだろうなぁ
「東京 八王子39.1度 今季全国1番の暑さ 熱中症に厳重警戒を」(NHK) ヒアリやセアカゴケグモのように定着するのは時間の問題かな?
〝特定外来生物「コカミアリ」国内で初確認 倉敷市水島港〟(岡山NHK)
川端康成宛書簡
1936年(昭11)6月29日。
川端から『晩年』寄贈の礼状を受け取り、折返し出した書簡。
『晩年』に第2回芥川賞を与えてほしいと切望する内容で、“泣訴状”として知られている。
(『図説 太宰治』日本近代文学館編 ちくま学芸文庫 2000年)前年の1935年(昭10)10月「文芸通信」。
第1回芥川賞の川端康成の選評に激高して投稿した文章が
川端康成へ
あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。
「前略。――なるほど、道化の華の方が作家の生活や文学観を一杯に盛つてゐるが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあつた。」
(『太宰治全集 第十巻』筑摩書房 昭和52年) おたがひに下手な嘘はつかないことにしよう。
私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であつた。
これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたやうに思はれます。
これは、あなたの文章ではない。
きつと誰かに書かされた文章にちがいひない。
しかもあなたはそれをあらはに見せつけようと努力さへしてゐる。
「道化の華」は、三年前、私、二十四歳の夏に書いたものである。
「海」といふ題であつた。
友人の今官一、伊馬鵜平に読んでもらつたが、それは、現在のものにくらべて、たいへん素朴な形式で、作中の「僕」といふ男の独白なぞは全くなかつたのである。
物語だけをきちんとまとめあげたものであつた。そのとしの秋、ジツドのドストエフスキイ論を御近所の赤松月船氏より借りて読んで考へさせられ、私のその原始的な端正でさへあつた「海」といふ作品をずたずたに切りきざんで、「僕」といふ男の顔を作中の随所に出没させ、日本にまだない小説だと友人間に威張つてまはつた。
友人の中村地平、久保隆一郎、それから御近所の井伏さんにも読んでもらつて、評判がよい。
元気を得て、さらに手を入れ、消し去り書き加へ、五回ほど清書し直して、それから大事に押入れの紙袋にしまつて置いた。
今年の正月ごろ友人の檀一雄がそれを読み、これは、君、傑作だ、どこかの雑誌社へ持ち込め、僕は川端康成氏のところへたのみに行つてみる。
川端氏ならきつとこの作品が判るにちがいない、と言つた。 そのうちに私は小説に行きづまり、謂はば野ざらしを心に、旅に出た。
それが小さい騒ぎになつた。
どんなに兄貴からののしられてもいいから、五百円だけ借りたい。
さうしてもういちど、やつてみよう、私は東京へかへつた。
友人たちの骨折りのおかげで私は兄貴から、これから二三年のあひだ、月々、五十円のお金をもらへることになつた。
私はさつそく貸家を捜しまはつてゐるうちに、盲腸炎を起し阿佐ヶ谷の篠原病院に収容された。
膿が腹膜にこぼれてゐて、少し手おくれであつた。
入院は今年の四月四日のことである。
中谷孝雄が見舞ひに来た。
日本浪曼派へはひらう、そのお土産として「道化の華」を発表しよう。
そんな話をした。「道化の華」は檀一雄の手許にあつた。
檀一雄はなほも川端氏のところへ持つて行つたらいいのだがなぞと主張してゐた。
私は切開した腹部のいたみで、一寸もうごけなかつた。
そのうちに私は肺をわるくした。
意識不明の日がつづいた。
医者は責任を持てないと、言つてゐたと、あとで女房が教へて呉れた。
まる一月その外科の病院に寝たきりで、頭をもたげることさへやうやうであつた。
私は五月に世田谷区経堂の内科の病院へ移された。
ここに二ケ月ゐた。
七月一日、病院の組織がかはり職員も全部交代するとかで、患者もみんな追ひ出されやうな始末であつた。
私は兄貴と、それから兄貴の知人である北芳四郎という洋服屋と二人で相談してきめ呉れた、千葉県船橋の土地へ移された。
終日籐椅子に寝そべり、朝夕軽い散歩をする。
一週間に一度づつ東京から医者が来る。
その生活が二ケ月ほどつづいて、八月の末、文藝春秋を本屋の店頭で読んだところが、あなたの文章があつた。
「作者目下の生活に厭な雲ありて、云々。」
事実、私は憤怒に燃えた。
幾夜も寝苦しい思ひをした。
小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。ここに二ケ月ゐた。
七月一日、病院の組織がかはり職員も全部交代するとかで、患者もみんな追ひ出されやうな始末であつた。
私は兄貴と、それから兄貴の知人である北芳四郎という洋服屋と二人で相談してきめ呉れた、千葉県船橋の土地へ移された。
終日籐椅子に寝そべり、朝夕軽い散歩をする。
一週間に一度づつ東京から医者が来る。
その生活が二ケ月ほどつづいて、八月の末、文藝春秋を本屋の店頭で読んだところが、あなたの文章があつた。
「作者目下の生活に厭な雲ありて、云々。」
事実、私は憤怒に燃えた。
幾夜も寝苦しい思ひをした。
刺す。
さうも思つた。
大悪党だと思つた。
そのうちに、ふとあなたの私に対するネルリのやうな、ひねこびた熱い強烈な愛情をずつと奥底に感じた。
ちがふ。
ちがふと首をふつたが、その、冷く装うてはゐるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情が私のからだをかつかつとほてらせた。
さうして、それはあなたにはなんにも気づかぬことだ。 私はいま、あなたと智慧くらべをしてゐるのではありません。
私は、あなたのあの文章の中に「世間」を感じ、「金銭関係」のせつなさを嗅いだ。
私はそれを二三のひたむきな読者に知らせたいだけなのです。
それは知らせなければならないことです。
私たちは、もうそろそろ、にんじゆうの徳の美しさは疑ひはじめてゐるのだ。 菊池寛氏が、「まあ、それでもよかつた。無難でよかつた。」とにこにこ笑ひながらハンケチで額の汗を拭つてゐる光景を思ふと、私は他意なく微笑む。
ほんとうによかつたと思はれる。
芥川龍之介を少し可愛さうに思つたが、なに、これも「世間」だ。
石川氏は立派な生活人だ。
その点で彼は深く真正面に努めてゐる。 ただ私は残念なのだ。
川端康成の、さりげなささうに装つて、装ひ切れなかつた嘘が、残念でならないのだ。
こんな筈ではなかつた。
たしかに、こんな筈ではなかつたのだ。
あなたは、作家といふものは「間抜け」の中で生きてゐるものだといふことを、もつとはつきり意識してかからなければいけない。
(『太宰治全集 第十巻』筑摩書房 昭和52年)
川端康成の反論は後日転記します。今朝の父の一枚です(^^)/
アオノリュウゼツランを毎日、記録しています。
携帯からスマホに機種変更して変わったことは、
携帯は、ポケットに入る大きさだったのですが、スマホは、ポケットに入れるには…
と言うことで、外出する時はカバンの中に入れ
家では机の上などに置いているので携帯よりも見るのが少なくなったなぁ
公園では、スマホを片手に持って散歩をしている人よく見かけますが
私は、片手に杖、片方の肩にはカメラを担いでいるのでスマホはリュックのサイドポケット。
先日、携帯会社から料金の請求がきて
「電話料金」が8000円以上も高くなっている。
スマホの操作に慣れていないので、課金のサイトにアクセスしたのかな?
などと不安になったので、販売店に電話をしました。
機種変更の手続きが3000円ほど
データーの移行費用が5000円ほどだったのです。
機種変更の説明の時に聞いていたのを忘れていたのですが
電話料金と表示されていたので、これから先も同額を請求されると思ってしまいました。
(「6月分ご利用内訳」の「手数料・諸費用」の中に書かれていた)