2023年7月18日火曜日

最初に迎えてくれるのが

連日の猛暑…
一層、暑さを増してくれるのは、公園で迎えてくれるセミの声
クマゼミも住宅事情が悪くなってきたのか、下の方で見かけるようになりました。
おかげで尚更ウルサイ!

近畿各地 午前中から猛暑日 熱中症対策の徹底を」(関西NHK)
大阪の方では、少し雨が降ってほしいと思うけど
東北の方では、いつになったら雨が止んでくれるのか…

東北の日本海側 あすにかけ大雨のおそれ 土砂災害など警戒」(NHK)
「文藝春秋」に発表された芥川・直木賞宣言(1935年<昭和10>1月)には、

 芥川龍之介賞規定
二、芥川龍之介賞は賞牌(時計)を以てし別に副賞として金五百圓也を贈呈す。
(『図説 太宰治』日本近代文学館編 ちくま学芸文庫 2000年)

太宰治全集 第一巻 月報1 昭和50年6月」には
選考委員(瀧井孝作、久米正雄、佐藤春夫、川端康成、山本有三、佐佐木茂索)の選評が載っています。
そのなかで佐藤春夫、川端康成の選評を転記しますφ(.. )
  佐藤春夫

 僕は本来太宰の支持者であるが予選が「逆行」で「道化の華」でないのは他の諸氏の諸力作が予選に入つてゐるのに対して大へんそんな立場にあると思ふ。
「逆行」は太宰君の今までの諸作のうちではむしろ失敗作の方だらうと思ふ、支持者の僕でさへ予選五篇のなかでは遜色があると思ふ、尤もこれを選んだ瀧井君のリアリズムには「道化の華」は同感されなかつたのだらうと思ふ。
それにしても「けしかけられた男」の衣巻とか太宰とか五作家のうちで最も新鮮な味があると信ずる。
「草筏」はいいが未完だから下半期に再選される機会があらう。
当選作の「蒼氓」は素材の面白さの上に作者の構成的な手腕のうまさも認めなければなるまい。
諸家がこれを推すのを見て一票を入れる気になつた所以である。
 それにしても五作家みな相当なレベルで粒が揃つてゐるから一篇を選出するのは無理な感じも多かつた。
(『太宰治全集第一巻』筑摩書房 昭和50年)
  川端康成

 渡辺寛氏の「詫びる」(文学評論)、浅井花子氏の「泥濘の春」(婦人文芸)他一篇(文学評論)、石川達三氏の「蒼氓」(星座)、太宰治氏の「道化の華」(日本浪曼派)及び「逆行」(文芸)、内村直也氏「秋水嶺」(劇作)――以上を私は予選に残した。
諸方から推薦された新作家のうち、私に馴染みない十三四名の作品を読んだ結果である。
 例へば高見氏や外村繁氏の如きは、予て作風を知つてゐることとて、「私の予選」は当然通つてゐるわけである。
右のうち、渡辺氏と浅井氏は労働者の中より新しく生れて来た。
プロレタリア文学としてその素材にも作者の生活にも、よい感動が溢れ胸打たれた。
種々の意味で低迷せる芸術派の新人には、見られぬものである。
 さて、瀧井氏の本予選に通つた五作のうち、例へば佐藤春夫氏は、「逆行」よりも「道化の華」によつて、作者太宰氏を代表したき意見であつた。
 この二作は一見別人の作の如く、そこに才華も見られ、なるほど「道化の華」の方が作者の生活や文学観を一杯に盛つてゐるが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあつた。
 外村繁氏は作家としての生活力の豊かさ強さ、題材の広さに於て、最も前途発展性のある作家と認められてゐるが、「草筏」は長編の冒頭ゆゑ、次期の再考となつた。
 衣巻省三氏の「けしかけられた男」は、皮肉を云へば、今日の新しい小説論の見本の如きものなれど、五篇のうちにては最も新味あり、詩人的感性を脱せんとしては能はざるところに、自らその輝きあり、所謂「楽屋が舞台の如き小説」としての努力見るべきなれど、欠点もまた多ければ当選は困難である。
肝腎の中心人物新しい娘が人間と人形の合の子、「私」の独善的な見下しは反省の余地あると思ふ。
 高見順氏の「故旧忘れ得べき」は最も面白く読んだ。
或ひは「蒼氓」より高く買はれ得べきであらう。
今日のインテリ世態小説としても、重要な地位を与へらるべきものだ。
欠点は作者の才能の裡にあるとふものの、やすやす軽じ得る小説ではない。
(『太宰治全集第一巻』筑摩書房 昭和50年)
今朝の父の一枚です(^^)/
継続観察しているアオノリュウゼツランです。

テキーラは、「リュウゼツラン」という植物から作られます。
メキシコ原産のリュウゼツランは、約150種ありますが、その中でも、ブルー・アガベという品種だけがテキーラの原料となります。

知っているとカッコいい!『テキーラ』の深い話」(世界遺産 TBS 2019年1月25日)