歩いていると空が暗く今にも降り出しそう。
帰る頃に再びポツポツと降り出しました。
山を歩いていたときは、よくあることなのでバックに入れている折り畳み傘を開きました。「出水のツルに異変 鳥インフル流行で韓国に”緊急避難”か」(鹿児島NHK 12月9日)
20年以上観察している山崎さんが
「これはもう100%何か異変が起きていると。
そういうふうに感じたので、出水のツル保護協会の知り合いの方に
『長島で北帰行するツルをどんどん観察しているんだけど、
どうなってるんですか』と電話しました」
というほどの異常事態が起きているようです。
新型コロナウイルスワクチンだけでなく、新たに出現するかもしれないインフルエンザウイルスに対応したワクチンの研究、開発をする必要があると思う。日本のインフルエンザ
日本では、平安時代に近畿地方でインフルエンザらしき病気が流行したと記述が残っており、江戸時代には何度か全国的に流行した。
その時々の世相を反映して、「お七かぜ」「谷風」「お駒風」などとよばれた。
「お七かぜ」は恋の果てに放火事件を起こした「八百屋お七」、「お駒風」は人気芝居の登場人物、「谷風」は大横綱である。
近代以降では、米国で流行がはじまった直後の1918年4月に、台湾巡業中の力士3人がインフルエンザで死に、その後も休場する力士が続出した。
5月8日付の朝日新聞は「流行する相撲風―力士枕を並べて倒れる」という見出しで報じている。
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年) 10月ごろになって、ヨーロッパ戦線で流行して毒性が高まったスペインかぜが日本に上陸し、軍隊や学校を中心に大流行がはじまった。
しだいに拡大して、10月24日付の新聞には、「最近東京を襲った感冒はますます流行し、どの学校でも数人から数十人が休んでいる」とある。
11月には患者・死亡者数とも最大に達した。
1919年2月の新聞には、「入院皆お断り。医者も看護婦も総倒れ」という見出しで流行のすさまじさを伝えている。 1919年7月に下火になったかにみえた。
だが、1919年10月下旬から翌年春にかけ2回目の流行(後流行)がはじまった。
朝日新聞は「交通通信に大たたり。市電も電話局も毎日五00~六00人の欠勤者」と社会がマヒ状態に陥っていく様子を伝えている(写真-9 省略)。
流行は全国的に拡大していった。
政府の公式記録である、内務省衛生局(厚生労働省の前身)が1922年に編纂(へんさん)した『流行性感冒―「スペインかぜ」大流行の記録』によると、1回目の流行では、死亡者数25万7363人、患者の死亡率は1.22%だった。
2回目の流行では、死亡者数は12万7666人、患者の死亡率は2.29%に上がった。
当時の日本の人口は5666万人であり、1回目の流行だけでも人口の37.3%が感染したことになる。 国内の感染者は2300万人を超え、死者の合計は38万6000人に達した。
ただ、この数字は一部府県のデータ欠落があり、人口学者の速水融・慶應義塾大学名誉教授は流行時に死亡率が平年より高くなる「超過死亡」から計算して、死亡数は45万人にのぼるとしている。
1921年になると、さしものインフルエンザもうそのように去っていった。
1月6日付紙面には「国を挙げて戦々恐々の春を迎えたが、幸い今年はまだその魔の手がのびない」と安堵の空気が感じられる。環境破壊が招いた集団感染
以前から存在した鳥インフルエンザ・ウイルスが、なぜ近年になってこれほどまでに猛威を振いはじめたのだろうか。
カート・バンデグリフトら米国カリフォルニア大学サンタクルーズ校のグループは、地球環境の変化が影響しているとみている。
湿地保全の国際機関、ラムサール条約事務局は、農地転換や開発によって過去半世紀に世界の湿地の50%が失われたと発表している。
カリフォルニア州はこれまでに、湿地の90%を失った。
日本でも50%が消失した。 この結果、カモなど水禽(すいきん)類の越冬地は狭められて過密になっている。
また、アジアなどの水田地帯では増産の圧力から、休耕期をおかずに通年耕作をするようになったために、カモの餌場が縮小しつづけてきた。
このような越冬地の過密化によって、以前に比べてカモのウイルス感染の機会が格段に増えたという(写真-10 省略)。 空気感染で広がるインフルエンザ・ウイルスは、人口密度の高い「都市」に適応したウイルスだ。
過去の大発生を見ても、ギリシャ、ローマ、サンクトペテルブルク、ニューヨーク、東京といった大都市で大発生した。
そして、軍隊、工場、学校など人の集まる場所が、ウイルスの温床になってきた。
18世紀にイギリスではじまった産業革命と工業化によって、多くの人びとが過密な大都市に住むようになり、インフルエンザ以外にも結核やコレラなど新たな大流行を経験するようになった(第二、13章)。
しかも、都市の工場には免疫を持たない労働者がつねに農村から流入した。
交通や物流の発達によって、人間、動物の広域の移動が飛躍的に進み、短期間の世界的流行が出現するようになった。 原因は畜産革命
この四半世紀間に、世界的に食肉の消費が増加している。
とくに、鶏肉の消費量は6倍近くになる。
国連食糧農業機関(FAO)によると、世界で飼われている鶏は2010年には約200億羽になった。
この10年間で3割も増えた。
このうちの24%を中国が占め、アジア全体では55%が飼われている。 鶏の語源は「庭の鶏(とり)」だという。
だが、最近では農家の庭先で飼う小規模養鶏から、数万羽から数十万羽をまとめて飼う工場式養鶏が急激に普及してきた。
世界最大の養鶏工場といわれるブラジル南東部のマンディケイラ農場は、800万羽を飼育、1日540万個の卵を生産している。
自然光や外気がほとんど入らない閉鎖式の鶏舎で、身動きできないほど多数の鶏を狭いケージに詰め込む。 鶏は、遺伝子組み換えトウモロコシのエサを与えられ、むりやり太らされる。
40~60日間飼われるとベルトコンベアーで運ばれ、機械で自動的に食肉処理される。
以前は80日程度かかっていたのが、成長促進の薬剤投与でこれだけ短縮された。
ファーストフード用やスーパーの安いブロイラー、もはや大量生産でコストを競う「工業製品」である。 豚の飼育現場も鶏と変わらない。
豚も世界で約8億頭が飼われ、その60%までが中国産だ。
最初にメキシコで出現した「豚(新亜型)インフルエンザ」は、進出してきた米国の大手養豚会社が経営する巨大養豚場が、発生源だとみられている。
ここで年間100万頭近い豚が生産され、その高密度飼育と不潔さで悪名高い養豚場である。
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年)
『感染症の世界史』角川ソフィア文庫
「鳥・ブタインフルエンザウイルスのヒト感染事例の状況について」(国立感染症研究所 2021年11月30日)
「国内における豚熱の発生状況について」(農林水産省 11月21日)
「新型コロナに感染した人は、その後ワクチンを接種した方が良いのか?」(忽那賢志 Yahoo!ニュース)
今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラ(山雀、山柄)
ヤマガラの漢字表記は山雀。
「雀」の字は種スズメに限らず、主として小鳥類を示す言葉。
「カラ」はシジュウカラ科の一部の鳥の俗称、一般的には「カラ類」と呼ばれている。
「カラ」の詳しい語源については、シジュウカラ(148頁)とコラム(88頁)に記した。
私の考えを簡略に述べると、ヤマガラ(山雀)をはじめ、シジュウカラ(四十雀)、コガラ(小雀)、ヒガラ(日雀)などは、「山に棲む、はらから」。
つまり同胞や兄弟のような関係の鳥たちで、「はらから」の「から」が語源であると思う。
しかしシジュウカラやヤマガラの性格、棲息状態、棲息環境は簡単に記せないが、かなり異なる。
シジュウカラは白いワイシャツに黒いネクタイ姿の都会派とすれば、ヤマガラは作業服姿の山ずまいといったところである。
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラ(山雀、山柄)
ヤマガラの漢字表記は山雀。
「雀」の字は種スズメに限らず、主として小鳥類を示す言葉。
「カラ」はシジュウカラ科の一部の鳥の俗称、一般的には「カラ類」と呼ばれている。
「カラ」の詳しい語源については、シジュウカラ(148頁)とコラム(88頁)に記した。
私の考えを簡略に述べると、ヤマガラ(山雀)をはじめ、シジュウカラ(四十雀)、コガラ(小雀)、ヒガラ(日雀)などは、「山に棲む、はらから」。
つまり同胞や兄弟のような関係の鳥たちで、「はらから」の「から」が語源であると思う。
しかしシジュウカラやヤマガラの性格、棲息状態、棲息環境は簡単に記せないが、かなり異なる。
シジュウカラは白いワイシャツに黒いネクタイ姿の都会派とすれば、ヤマガラは作業服姿の山ずまいといったところである。
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)