2021年9月8日水曜日

予報通り…

しばらく歩いていると雨がポツポツ… 
公園で出会った方が、「雨は午後から降ると思っていた急いで帰らないと」話していました。
昨日の予報では、午後から雨だったのですが、今朝の予報では朝から雨になっていました。
大阪は降ったり止んだりだったけど

徳島県で線状降水帯が発生 災害の危険度高まる」(徳島NHK)

それに台風13号、台風14号と二つも発生している。
(くず)の花
 晩夏から初秋のころまで咲きつづける。
豆の花に似た紅紫色の蝶形花をあつめ、十数センチあまりの総状花序をなして、下から咲きのぼる。
大きな葉に隠れがちであるが、藤の花に似て美しい。
秋の七草の一つ。
『万葉集』に山上憶良(おくら)が秋の七草の花の一つとして挙げているように、萩、芒、女郎花(おみなえし)などともに、秋の野山を代表する草の花として、印象されてきた。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
「姫押生沢(をみなへしさきさは)の辺(へ)の真田葛原何時(まくずはらいつ)かも絡(く)りて我が衣(きぬ)に服(き)む」作者不詳(『万葉集』巻七)、「真葛原なびく秋だにしえけむ」同(同巻十二寄物陳思)。
「真葛」は葛の美称。
これらの歌は、いずれも葛の花を詠まず、風になびいて裏がえる葉や、茎から繊維(せんい)を採って葛布(くずふ)を作る料や、あまりに野山に繁茂(はんも)するので馬が行きはばかる形容として詠まれている。
(後略)
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
昨日、富士山で初冠雪が観測されましたが

富士の初雪 初秋 天文

 富士山は標高3776メートルの山頂を持つ。
7月、8月でも最低気温が氷点下になり、雪が降る。
したがって初雪と終雪(しゅうせつ)の区別は難しい。
一般に初雪は冬初めて降る雪で、霙(みぞれ)、霧雪、細氷(さいひょう)を含む。
終雪は、その冬最後に降った雪である。
富士山の場合、季節の変化は山頂の一日の平均気温が最も高い「最高気温日」で判断する。
8月に雪が降っても、その雪が初雪か終雪かの判断は、山頂での夏の最高気温日が確定するまで決まらない。
(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)
 初雪の観測は、富士山頂剣ケ峰にある気象庁富士山測候所の職員が降雪を確認し、同測候所御殿場基地事務所が発表していた。
測候所の前身、中央気象台富士山頂観測所が統計を開始したのが1936(昭和11)年である。
それ以降、最も早い初雪の記録は、1963年7月31日、最も遅い記録は、1943年10月16日であったという。
平年日は9月14日であるが、歳時記は初秋の季語とされている。
中央気象台が1932年に山頂東安河原(ひがしやすのかわら)に設置した臨時観測所で、1933年7月8日に初雪を観測したという記録があり、これが最も早い富士の初雪である。
山頂が雪に覆われている期間は年平均275日だという。
 富士山測候所の山頂で常駐観測は、2004(平成16)年9月30日に終了し、有人観測の歴史が閉じられた。
以降、気象庁による初雪の発表はない。
 現在、富士山頂では、大気化学や高所医学の研究拠点「富士山特別地域気象観測所」が置かれている。
これはNPO法人が支援金を募って運営している。
研究者らの利用料を主な収入源としており、新型コロナウイルス感染症の影響で登山道が閉鎖された2020年には、寄付を募って危機を乗り切った。
この観測所は、毎年7月、8月に延べ約400人の学生や研究者が利用している。
地上からの影響を受けにくいため、アジア地域から運ばれる微小粒子状物質や、二酸化炭素の測定が可能である。
事務局長を務める静岡県立大学の鴨川仁(かもがわまさし)特任准教授が広く協力を呼びかけている。

 初冠雪の富士の右肩下りかな  松崎鉄之介

(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会」(HP)

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会」(Twitter)
大正十二年九月一日の大震災に際して
  六 震災の文芸に与うる影響


(だい)地震の災害は戦争や何かのように、必然に人間のうみ出したものではない。
ただ大地の動いた結果、火事が起ったり、人が死んだりしたのにすぎない。
それだけに震災の我々作家に与える影響はさほど根深くはないであろう。
すくなくとも、作家の人生観を一変することなどはないであろう。
もし、何か影響があるとすれば、こういうことはいわれるかも知れぬ。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
 災害の大きかっただけにこんどの大地震は、我々作家の心にも大きな動揺を与えた。
我々ははげしい愛や、憎しみや、憐(あわれ)みや、不安を経験した。
在来、我々のとりあつかった人間の心理は、どちらかといえばデリケエトなものである。
それへ今度はもっと線の太い感情の曲線をえがいたものが新(あらた)に加わるようになりかも知れない。
もちろんその感情の波を起伏(きふく)させる段取りには大地震や火事を使うのである。
事実はどうなるかわからぬが、そういう可能性はありそうである。
 また大地震後の東京は、よし復興するにせよ、さしあたり殺風景(さっぷうけい)をきわめるだろう。
そのために我々は在来のように、外界に興味を求めがたり。
すると我々自身の内部に、何か楽みを求めるだろう。
すくなくとも、そういう傾向の人はさらにそれを強めるであろう。
つまり、乱世に出合った支那の詩人などの隠棲(いんせい)の風流を楽しんだと似たことが起りそうに思うのである。
これも事実として予言はできぬが、可能性はずいぶんありそうに思う。
 前の傾向は多数へ訴(うった)える小説をうむことになりそうだし、後(のち)の傾向は少数に訴える小説をうむことになるはずである。
即ち両者の傾向は相反しているけれども、どちらも起らぬと断言しがたい。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)

つづく…