2021年9月22日水曜日

ジメジメ…

今朝は、戸を開けると涼しいと思ったのに公園を歩いていると蒸し暑かった。
雨が降る前の湿気のためかな…
予報では午前中に雨でしたが、午後になっても降らなかった。
そのためかジメジメと蒸し暑い…
選挙が近づくと賑やかになるんだけど

江川紹子さんのTwitterに

それが必要だと考えるなら、なんで選挙まで待ってたんですかね?
→新型コロナ:
0歳から高校生に一律10万円給付 公明が衆院選公約に: 日本経済新聞

そして「困窮」している家庭でなく「一律」というところに
選挙で、支持を得ようという思惑を感じるのはひねくれている性格だからかな?
 田中均さんのTwitterに

国民は知る必要がある。
この10年主要国の中でも日本の衰退は最も激しく、長期自民党政権は有効な手立てを打ってこなかった。
GDPは10年前には中国の83%、米国の40%だったものが、今日には各々32%、23%。
人口は2百万人以上減少。
勇ましく台湾有事だとか敵地攻撃能力を言う前に国力を上げることが先決。
 安田菜津紀さんのTwitterに

公文書改ざんが起きた時も、赤木俊夫さんが亡くなった時も、麻生氏が大臣。
その後も頑なに「赤木ファイル」の存否さえ認めず、開示後も新たな調査は必要ないとしているのも麻生氏。
それで、この発言。

麻生財務相 森友公文書改ざん問題「読者の関心あるの?」(毎日新聞)

100分de名著「群衆心理 ル・ボン」の「第3回 操られる群衆心理」で
武田砂鉄さんが話してくれた為政者が群衆を扇動する手口そのものだ。
(「烏瓜の花と蛾」つづき)

 秋になると上野に絵の展覧会が始まる。
日本画の部にはいつでも、きまって、いろいろの植物を主題にした大作が多数に出陳される。
ところが描かれている植物の種類がたいていきまり切っていて、誰も描かない植物は決して誰も描かない。
例えば烏瓜の花の絵などついぞ見た覚えがない。
この間の晩、床に這入ってから、試に宅の敷地内にある、花の咲く植物の数を数えてみた。
二、三十もあるかと思って数えてみたら、実際は九十余種あった。
しかし帝展の絵に現われる花の種類は、まだ数えてみないが、おそらくずっと少なそうである。
(『科学歳時記』寺田寅彦 角川ソフィア文庫 2020年)
 数の少ないのはいいとしても、花らしい花の絵の少ないのにも驚嘆させられる。
多くの画家は花というものの意味がまるで分らないのではないかという失礼千万な疑が起るくらいである。
花というものは植物の枝に偶然に気紛れにくっついている紙片や糸屑(いとくず)のようなものでは決してない。
吾々人間のあさはかな智慧などでは到底いつまでたっても究め尽せないほど不思議な真言(しんごん)秘密の小宇宙なのである。
それが、どうしてこうも情けない、紙細工のようなものしか描き現わされないであろう。
それにてしても、ずっと昔私はどこかで僧心越(しんえつ)の描いた墨絵の芙蓉(ふよう)の小軸を見た記憶がある。
暁天の白露を帯びたこの花の本当の生きた姿がじつに言葉通り紙面に躍動していたのである。
 今年の二科会(にかかい)の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見つからなかった。
昔の絵描きは自然や人間の天然の姿を洞察することにおいて常人の水準以上に卓越することを理想としたしていたらいく見える。
そうして得た洞察の成果を最も卑近な最も分かりやすい方法によって表現したように思われる。
しかるにこのころの多数の新進画家は、もう天然などは見なくてもよい、か、あるいはむしろなるべき見ないことにして、あらゆる素人(しろうと)よりも一層皮相的に見た物の姿をかりて、最も浅薄なイデオロギーを、しかも観者にはなるべく分りにくい形に表現することによって、何かしらたいしたものがそこにありそうに見せようとしている、のではないかと疑われても仕方のないような仕事をしているのである。
これは天然の深さと広さを忘れて人間の私を買いかぶり思い上がったあさはかな慢心の現われた結果であろう。
今年の二科会では特にひどくそういう気がして私にはとても不愉快であった。
もっともその日は特に蒸暑かったのに、ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれがされに一層蒸暑く、その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵の方に打(ぶ)つかっていったせいもあるであろう。
実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという記憶のないのは不思議である。
大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨(しゅうう)があって、それが晴れると蒸暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。
そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭(はげいとう)はおよそ天下に何事もなかったように真紅(しんく)の葉を紺碧(こんぺき)の空の光の下に耀(かがや)かしていたことであった。
しかしその時刻にはもうあの恐ろし前代未聞(ぜんだいみもん)の火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあった。
そうして生きながら焼かれる人々の叫喚(きょうかん)の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙しく蜜をせせっているのであった。
 地震があれば壊れるような家を建てて住まっていれば地震の時に毀(こわ)れるのは当り前である。
しかもその家が、火事を起し蔓延(まんえん)させるに最適当な燃料でできていて、その中に火種を用意してあるのだから、これは初めから地震による火災の製造機械を据付けて待っているようなものである。
大火が起れば旋風を誘致して焔の海となるべきはずの広場に集まっていれば焼け死ぬのは当然であった。
これは事のあった後に思うことであるが、吾々には明日の可能性はもちろん必然性さえも問題にならない。
(『科学歳時記』寺田寅彦 角川ソフィア文庫 2020年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
まだサクラが咲いているかと楽しみにしていました。

一章 サクラの来た道 サクラは本来秋に咲いた
 七 冬に休眠する日本のサクラ

……
 一方、日本のサクラは10月に落葉して、そのまま冬期は深い眠りに入ります。
そして、春の気温上昇を待ちます。
ただし、秋台風などで葉がちぎれると、休眠打破という反応が生じて、秋期にも開花することがあります。
これが一般に云う「狂い咲き」という現象です。
……
(『桜の来た道―ネパールの桜と日本の桜―』染郷正孝 信山社 2000年)