2021年9月21日火曜日

十五夜

歩いていると甘い香りがしてきました。
どこからかな?と探すと、キンモクセイが咲いていました。
これだけしか咲いていないのに教えてくれました。

今日は十五夜。
朝はいい天気だったけど…

十五夜(じゅうごや)

 旧暦八月十五日の夜。
新暦では9月に入ることが多く、月見とか名月あるいは芋名月といい、満月を眺める。
中国から伝わった名月観賞の思想にもとづくものであるらしく、文徳天皇(827~858)の代から文献にみとめられ、奈良・平安時代の貴族の間に広く行われた。
九月十三夜を豆名月とか栗名月と呼び、八月と対にして月見をするが、これは日本だけのようである。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
 月 見

 鉄瓶(てつびん)に水さしにつつよき月と看護(みとり)の人のつぶやくきこゆ  木原隆 1939

 腰かけに足をたらして月見する  木原弘明[中学2年] 1952

 とりどりに野の花活(い)けて月を待つ  安斎福美 1959

(『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子編 皓星社 2021年)
 (「烏瓜の花と蛾」つづき)

「太平洋爆撃隊」という映画が大変な人気を呼んだ。
映画というものは、なんでも、吾々がしたくてたまらないが実際はなかなか容易にできないと思うような事をやって見せれば大衆の喝采を博するのだそうである。
なるほどこの映画にもそういうところがある。
一番面白いのは、三艘(そう)の大飛行船が船首を並べて断雲の間を飛行している、その上空に追い迫った一隊の爆撃機が急速なダイヴィングで礫(つぶて)のごとく落下してきて、飛行船の横腹と横腹との間の狭い空間を電光のごとくかすめては滝壺(たきつぼ)の燕(つばめ)のごとく舞上る光景である。
それがただ一艘ならばまだしも、数え切れぬほどたくさんの飛行機が、あとからもあとからも飛び来たり飛び去るのである。
この光景の映写の間にこれと相錯綜(あいさくそう)して、それらの爆撃機自身に固定されたカメラから撮影された四辺の目まぐるしい光景が映出されるのである。
この映画によって吾々の祖先が数万年の間羨みつづけに羨んできた望みが遂げられたのである。
吾々は、この映画を見ることによって、吾々自身が森の樹間をかける山鳩や樫鳥になってしまうのである。
(『科学歳時記』寺田寅彦 角川ソフィア文庫 2020年)
 こういう飛行機の操縦をするいわゆる鳥人の神経は訓練によって年と共にしだいに発達するであろう。
世界の人口の三分の一か五分の一かがことごとくこの鳥人になってしまったら、この世界はいったいどうなるであろうか。
 昔の日本人は前後左右に気を配る以外にはわずかに鳶(とんび)に油揚げを攫(さら)われない用心だけしていればよかったが、昭和七年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときにいかなる処置をとるべきかを真剣に講究しなければならないことになってしまった。
爆撃者は鳶以上であるのに爆撃される市民は芋虫以下に無抵抗である。
  ある軍人の話によると、重爆撃機には一キロのテルミットを千個搭載し得るそうである。
それで、ただ一台だけが防御(ぼうぎょ)の網をくぐって市の上空をかけ廻ったとする。
千個の焼夷弾(しょういだん)の中で路面や広場に落ちたり河に落ちたりして無効になるものが仮りに半分だとすると五百箇所に火災が起る。
これはもちろん水をかけても消されない火である。
そこでもし十台飛んでくれば五千箇所の火災が突発するのであろう。
この火事を呆然(ぼうぜん)として見ていれば全市は数時間で火の海になる事は請合いである。
その際もしも全市民が協力して一生懸命に消火にかかったらどうなるか。
市民二百万としてその五分の一だけが消火作業に何らかの方法で手を借し得ると仮定すると、四十万人の手で五千箇所の火事を引受けることになる。
すなわち一箇所につき八十人宛(ずつ)ということになる。
さて、なんの覚悟もない烏合(うごう)の衆の八十人でおそらく一坪の物置の火事でも消す事ができないかもしれないが、しかし、もしも十分な知識と訓練を具備した八十人が、完全な統制の下に、それぞれ適当なる部署について、そうしてあらかじめ考究され練習された方式にしたがって消火に従事することができれば、たとえ水道は止まってしまっても破壊消防の方法によって確実に延焼を防ぎ止めることができるであろうと思われる。
 これは極めて大ざっぱな目の子勘定ではあるが、それでもおおよその桁(けた)数としてはむしろ最悪の場合を示すものではないかと思われる。
  焼夷弾投下のために怪我をする人は何万人に一人くらいなものであろう。
老若の外の市民は逃げたり隠れたりしてはいけないのである。
空中襲撃の防御は軍人だけではもう間に合わない。
 もしも東京市民が慌てて遁げ出すか、あるいはあの大正十二年の関東震災の場合と同様に、火事は消防隊が消してくれるものと思って、手をつかねて見物していたとしたら、全市は数時間で完全に灰になることは確実である。
昔の徳川時代の江戸町民は永い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を十分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民はしだいに赤ん坊同様になってしまったのである。
考えると可笑(おか)しなものである。
 何箇月か何年か、ないしは何十年の後に、一度は敵国の飛行機が夏の夕暮れに烏瓜の花に集まる蛾のように一時に飛んで来る日があるかもしれない。
しかしこの大きな蛾をはたき落すにはうちの猫では間に合わない。
高射砲など常識で考えても到底頼みになりそうもない品物である。
何か空中へ莫大(ばくだい)な蜘蛛の網のようなものを張ってこの蛾を喰止める工夫は無いものかと考えてみる。
あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、それが空中でぱっと烏瓜の花のように開いてふわりと敵機を包みながらプロペラにしっかりとからみ付くというような工夫はできないかとも考えてみる。
蜘蛛のあんなに細い弱い糸の網で大きな蟬が捕られることから考えると、蚊帳(かや)一張ほどもない網で一台の飛行機が捕えられそうにも思われるが、実際はどうだか、ちょっと試験してみたいような気がするのである。
 子供の時分は蜻蛉(とんぼ)を捕るのに、細い糸の両端に豌豆(えんどう)大の小石を結び、それをひょいと空中へ投げ上げると、蜻蛉はその小石を多分餌(えさ)だと思って追っかけてくる。
すると糸がうまい工合に虫のからだに巻き付いて、そうして石の重みで落下してくる。
あれも参考になりそうである。
つまりピアノ線の両端に重錘をつけたようなものをやたらと空中に打ち上げれば襲撃飛行機隊は多少の迷惑を感じそうな気がする。
少くも爆弾よりも安価でしかもかえって有効かもしれない。
 戦争のないうちは吾々は文明人であるが戦争が始まると、たちまちにして吾々は野蛮人になり、獣になり鳥になり魚になりまた昆虫になるのである。
機械文明が発達するほど一層そうなるから妙である。
それで吾々はこれらの動物を師匠にする必要が起ってくるのである。
潜航艇のペリスコープは比良目(ひらめ)の眼玉の真似である。
海翻車(ひとで)の歩行はなんとなくタンクを想出させる。
ガスマスクを付けた人間の顔は穀象(こくぞう)か何かに似ている。
今後の戦争科学者はありとあらゆる動物の習性を研究するのが急務ではないかという気がしてくる。
 光の加減で烏瓜の花が一度に開くように、赤外光線でも送ると一度に爆薬が破裂するような仕掛けも考えられる。
鳳仙花(ほうせんか)の実が一定時間の後に独りではじめる。
あれと似たような武器も考えられるのである。
しかし真似したくてもこれら植物の機功はなかなかむつかしくてよく分らない。
人間の智慧(ちえ)はこんな些細(ささい)な植物にも及ばないのである。
植物が見ても人間ほど愚鈍なものはないと思われるであろう。
(『科学歳時記』寺田寅彦 角川ソフィア文庫 2020年)

つづく…
尚、この随筆が刊行されたのは昭和7年10月『中央公論』。