2021年9月24日金曜日

暑いけど…

青空が広がり日差しが強くて暑いですが
空気がサラッとしていて時折り吹く風が気持ちいいです。
昨日は、四天王寺で「日想観(にっそうかん)」の行事が行われたそうです。

秋分の日 大阪・四天王寺で夕日拝む伝統行事」(関西NHK)
いちめんに咲く曼殊沙華どの花も花火のやうに中心を持つ

(『大西民子歌集』短歌研究社 昭和54年、平成29年改版)
秋は実りの季節、オオオナモミも実をつけ始めました。
ひっつき虫の罠にかからないようにしないと…

オナモミの仲間 野山に潜むヒッチハイカー

 キク科の1年草で、空地や河川敷に生える雑草。
草丈は30㎝~1mほどで、3裂する葉とトゲトゲの実が特徴。
日が短くなると花をつける短日植物だが、花は風媒花で目立たない。
実は鋭いかぎ針で人や動物に付着する。
最近は日本に古くからあったオナモミが減り、外国から新しく来たオオオナモミとイガオナモミがふえている。
(『身近な植物に発見! 種子(タネ)たちの知恵』多田多恵子 NHK出版 2008年)
 田中均さんのTwitterに

国会議員の皆さん、どう説明しますか?
G7中、日本は一人当たり国民所得は最低位にかかわらず、国会議員の報酬は最高位。
英国やドイツのほぼ倍。
私は英国やドイツの国会議員を良く知っていますが、多くが庶民の感覚を大事にする普通の人達。
日本の議員の「選ばれた人」感を感じることはありません。


こうなると日本維新の会の「身を切る改革」になると思いますが、それには裏があって
「身を切る」というが 維新の政党助成金は?〟(しんぶん赤旗 2019年7月8日)
共産党のように政党交付金を返上すれば偉いと思いますよ。
公園では、愛犬家のみなさんが楽しそうにワンちゃんたちと散歩をしています。

逆転人生「ブルースシンガーの挑戦 犬との絆で笑顔を広げる
再放送:9月27日 月曜日 午後3時10分~

大木トオルさんが子ども時代に犬に助けてもらったという話をされていました。
その思い出が殺処分の犬たちを保護する活動に繋がっています。
大木トオルさんと犬との幸せな出会いと違って、
不幸な関係がえがかれているのが太宰治の『畜犬談
(参照した本は、現在品切れになっているので文庫本にリンクを貼っています)
 畜犬談
  ――伊馬鵜平君に与へる。

  私は、犬に就いては自信がある。
いつの日か、必ず喰ひつかれるであらうといふ自信である。
私は、きつと嚙まれるにちがひない。
自信があるのである。
よくぞ、けふまで喰ひつかれもせず無事に過して来たものだと不思議な気さへしてゐるのである。
諸君、犬は猛獣である。
馬を斃し、たまさかには獅子と戦つてさへ之を征服するとかいふではないか。
さもありなむと私はひとり淋しく首肯してゐるのだ。
(『太宰治全集 第三巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)
あの犬の、鋭い牙を見るがよい。
ただものでは無い。
いまは、あのやうに街路で無心のふうを装ひ、とるに足らぬものの如く自ら卑下して、芥箱を覗きまはつたりなどして見せてゐるが、馬を斃すほどの猛獣である。
いつなんどき、怒り狂ひ、その本性を曝露するか、わかつたものでは無い。
犬は必ず鎖に固くしばりつけて置くべきである。
少しの油断もあつてはならぬ。
世の多くの飼ひ主は、自ら恐ろしき猛獣を養ひ、之に日々わづかの残飯を与へてゐるといふ理由だけにて、全くこの猛獣に心をゆるし、エスや、エスやと、気楽に呼んで、さながら家族の一員の如く身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引つぱらせて大笑ひしてゐる図にいたつては、戦慄、眼を蓋はざるを得ないのである。
不意に、わんと言つて喰ひついたら、どうする気だらう。
気をつけなければならぬ。
飼ひ主でさへ、嚙みつかれぬとは保証でき難い猛獣を、(飼ひ主だから、絶対に喰ひつかれぬといふことは愚かな気のいい迷信に過ぎない。あの恐ろしい牙のある以上、必ず嚙む。決して嚙まないといふことは、科学的に証明できる筈は無いのである。)その猛獣を、放し飼ひにして、往来をうろうろ徘徊させて置くとは、どんなものであらうか。
昨年の晩秋、私の友人が、つひに之の被害を受けた。
いたましい犠牲者である。
友人の話に依ると、友人は何もせず横町を懐手してぶらぶら歩いてゐると、犬が道路上にちやんと坐つてゐた。
友人は、やはり何もせず、その犬の傍を通つた。
犬はその時、いやな横目を使つたといふ。
何事もなく通りすぎた、とたん、わんと言つて右の脚に喰ひついたといふ。
災難である。一瞬のことである。
友人は、呆然自失したといふ。
ややあつて、くやし涙が沸いて出た。
さもありなむ、と私は、やはり淋しく首肯してゐる。
さうなつてしまつたら、ほんたうに、どうしやうも、無いではないか。
友人は、痛む脚をひきずつて病院へ行き手当を受けた。
それから二十一日間、病院へ通(かよ)つたのである。
三週間である。
脚の傷がなほつても、体内に恐水病といふいまはしい病気の毒が、あるひは注入されて在るかも知れぬといふ懸念から、その防毒の注射をしてもらはなければならぬのである。
飼ひ主に談判するなど、その友人の弱気を以てしては、とてもできぬことである。
じつと堪へて、おのれの不運に溜息ついてゐるだけなのである。
しかも、注射代など決して安いものでなく、そのやうな余分の貯へは失礼ながら友人に在る筈もなく、いづれは苦しい算段をしたにちがひないので、とにかく之は、ひどい災難である。
大災難である。
また、うつかり注射でも怠らうものなら、恐水病といつて、発熱悩乱の苦しみ在つて、果ては貌が犬に似て来て、四つ這ひになり、只わんわんと吠ゆるばかりだといふ、そんな凄惨な病気になるかも知れないといふことなのである。
注射を受けながらの、友人の憂慮、不安は、どんなだつたらう。
友人は苦労人で、ちやんとできた人であるから、醜く取り乱すことも無く、三七、二十一日病院に通ひ、注射を受けて、いまは元気に立ち働いてゐるが、もし之が私だつたら、その犬、生かして置かないだらう。
私は、人の三倍も四倍も復讐心の強い男なのであるから、また、さうなると人の五倍も六倍も残忍性を発揮してしまふ男なのであるから、たちどころにその犬の頭蓋骨を、めちやめちやに粉砕し、眼玉をくり抜き、ぎしやぐしやに嚙んで、べつと吐き捨て、それでも足りずに近所近辺の飼ひ犬ことごとくを毒殺してしまふであらう。
こちらが何もせぬのに、突然わんと言つて嚙みつくとはなんといふ無礼、狂暴の仕草であらう。
いかに畜生といへども許しがたい。
畜生ふびんの故を以て、人は之を甘やかしてゐるからいけないのだ。
容赦なく酷刑に処すべきである。
昨秋、友人の遭難を聞いて、私の畜犬に対する日頃の憎悪は、その極点に達した。
青い焔が燃え上がるほどの、思ひつめたる憎悪である。
(『太宰治全集第三巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
ヒガンバナにキアゲハが訪れていて、足元まで来てくれたと喜んでいました。
夏の終わりの時期にナミアゲハとキアゲハとも黄みが強くなるそうです。


黄の蝶につきて出でゆき今ここにをらざるわれと誰(たれ)も気づくな

(『大西民子歌集』短歌研究社 昭和54年、平成29年改版)