2021年9月10日金曜日

二百二十日

朝、戸を開けるとひんやりした風が入ってきました。
予報では、昨日より気温が高いとのことでしたが
風が気持ちよかったです。
今日は、「二百二十日
野分(のわき・のわけ)
 <台風>という語が定着する以前は、<二百十日><二百二十日>前後に野を吹き荒れる強風と<野分>といった。
台風の語が一般化してからは雅味をつよめ、野の秋草をなびかせて吹く強い風という感覚が優勢になった。
台風の<余風>や晩秋から初冬の野面(のづら)を騒がせて吹く<木枯らし>などにもいう。
「日本人は昔から台風を恐ろしいものというより、風流に見てきた傾向」があるという(平沼洋司『空の歳時記』京都書院 1998年)。
清少納言は「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」と書いている。
立蔀(たてじとみ)・透垣(すいがい)や庭の草木が乱れ、大きい木が倒れて枝を吹き折られて萩や女郎花(おみなえし)の上に被いかぶさっているのなども実に思いがけない、と感銘を受けたように書いている(『枕草子』200)。
(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)
 柳田国男は、単に野の草を吹き分けるから<野分>ではなく、秋の稲刈りの時期に襲う強雨風の<わいた>との関連を追及している。
激しく湧き出る「わきかぜ」と関係はないか、と(「風位考」、『柳田國男全集』第29巻 ちくま文庫)。
俳句の分野では散文的な台風より<野分>が好まれ、「野分あと」<野分雲>「野分波」「野分晴」「野分だつ」「野分の風」等々、多彩な展開を見せている。
秋の季語。

  鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな  蕪村

  野分だつ疎林や身ぬち疼(うず)きたる  鍵和田釉子

(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)
枕草子』より「186段 野分のまたの日こそ」の現代語訳を転記しますφ(..)
三巻本では200段ですが、能因本では「186段」になります。
続いて『源氏物語』の「野分」の現代語訳(翻訳)のはじめの方を転記しますφ(..)
枕草子 186
 野分のまたの日こそ


 野分(のわき)の吹いた翌日こそ、たいへんしみじみとした感じがする。
立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などが並んで倒れているのに、庭先のあちこちの植込みが、見た感じも気の毒であるが、大きな木々が倒れ、枝が吹き折られていることさえ惜しいのに、女郎花などの上に、その木々がよろけて這(は)うようにかぶさっているのは、ひどく意外である。
格子(こうし)の小間(こま)などに、さっと、わざわざ一つ一つ仕切って入れているように、風が木の葉などを、こまごまと吹き入れているのこそ、荒かった風のしわざとも感じられない。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
 一段と着物の表は光沢が薄れているのを着て、それに、朽葉(くちば)色の織物や薄い織物などの小袿(こうちき)をうちかけて着て、実直(じっちょく)らしく、見た目にきれいな人が、昨夜の風が騒がしくて、寝覚めていたので、長いこと朝寝(あさね)をして起きたままに、鏡をちょっと見て、母屋(おもや)のうちを、座ったままで少し廂(ひさし)の方に進み出ているのが、髪は風に吹き乱されて、少しふくらんでいる。
それが肩にかかっている様子は、ほんとうにすばらしい。
 その女が、何かとしみじみとした感じのする庭の様子を見ている間に、十七、八ぐらいであろうか、小さくはないけれど、ことさらに大人などとは見えない少女で、生絹(すずし)の単衣(ひとえ)の、ひどくほころびている着物で、花色も褪(あ)せて濡(ぬ)れなどしているものの上に、薄紫色の宿直着(とのいぎ)を着て、髪は裾(すそ)を薄(すすき)の花のようなかっこうに切りそろえて、その髪の丈(たけ)ばかりは着物の裾にあまって、紅色の袴(はかま)だけが鮮やかで、髪のそばから見える、といった少女が、女(め)の童(わらわ)や、また若い女房が、根ごと吹き折られている植込みの草木などを、取り集め、起し立てなどをするのを、うらやましそうに部屋の中から簾(すだれ)を外側に押し張って、主(あるじ)の女に付き添っている後ろ姿もおもしろい。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)

公家女房五衣小袿」(日本服飾史)
源氏物語
  野分(のわき)

 秋の町の中宮のお庭には、秋の花を植えていらっしゃいますが、今年は例年よりも見どころが多く、色も種類も数を尽くして、趣味のいい黒木や赤木の低い垣根を、所どころにあしらってあります。
同じ花といっても、その枝ぶりといい姿といい、朝夕、花に置く露の光も、普通のものとは違って、玉と見まがうばかりに輝いて、一面に造られた野辺の景色を見ていると、それはそれでまた春の山もつい忘れてしまって、涼しく楽しく、〝心もあくがるるやうになり〟…心もふらふらとカラダから抜け出してしまいそうです…。
(『源氏物語 第三巻 玉鬘~藤裏葉』大塚ひかり翻訳 ちくま文庫 2009年)
 春秋の優劣の争いでは、昔から秋に味方する人の数が多いのですが、名だたる春の町の花園に心を寄せていた人々が、今度は手のひらを返したように秋に心を移す光景は、世の中の有様に似ています。
 この秋の景色がすっかりお気に召して、中宮が里にご滞在のうちに、音楽会などを催したいところなのですが、八月は中宮の父君である前東宮の亡くなった月なのでそれもできず、中宮は九月に入ると花の盛りも過ぎてしまうのではと心もとないお気持ちで過ごしていらっしゃいます。
お庭の花がますます美しくなっていく様をご覧になるうちに、〝野分(のわき)〟が、例年よりも激しく、空の色も一変して吹き始めます。
 花がしおれることなどさほど気にもしない人ですら、「まぁひどい」と心が騒がずにいられないのに、まして中宮は、草むらの露が、緒の切れた玉のように砕(くだ)け散るだけで、心も乱れて玉の緒の命も尽きそうなほど心配なさっています。
〝大空に覆ふばかりの袖〟は、春咲く花を風から守るためよりも、秋の空にこそ、ほしそうな感じなのでした。
 日が暮れゆくにつれ、ものも見えないくらい突風が吹き荒れて、ほんとうに怖いほどなのに、御格子(みこうし)なども下ろしてしまったため、中宮は「気になって、どうしようもない」と、花のことを案じておいでです。
<(ひかりナビ)「野分」の巻は、美しい秋の花を激しい突風が吹き散らすところから始まります。
〝覆ふばかりの袖〟は『後撰集』六四〝大空(おほぞら)に覆(おほ)ふばかりの袖もがな 春咲く花を風にまかせじ〟から。
花が散るのを心配する中宮の様子は、いかにも生活苦のない貴族ならではの優しさを帯びています。
〝野分〟は台風のことで、この巻には絶えず烈風が吹き荒れます。
その烈風で、六条院の女君たちを覆う御簾(みす)や几帳(きちょう)が取り払われるところを、源氏以外のひとりの男が目にすることになります……>

…後略…
(『源氏物語 第三巻 玉鬘~藤裏葉』大塚ひかり翻訳 ちくま文庫 2009年)
 今朝の父の一枚です(^_^)v

葛の花(くずのはな)
…前略…
 平安朝に入っても同じことで、六帖題として「くず」が挙げられ、『夫木(ふぼく)抄』の秋部にも「葛」の題があるが、「葛の花」の作例は一首もない。
和歌でも連俳でも、葛に対する興味は、花よりもむしろ葉にあって、葉だけが絶えず詠みつがれて来た。
ことに説経節『信太妻(しのだづま)』に、「葛の葉の子別れ」の詞章が人々の心に沁み透り、秋風に白い葉裏を見せてひるがえるさまを「うらみ葛の葉」にひっかけて句を作った。
「影ちるや葛の葉裏の三日の月」杉風、
「葛の棚葉しげく軒端(のきば)を覆(おほ)へければ、昼さへいとゞ暗きに 葛の葉のうらみ顔なる細雨哉(こさめかな)」蕪村(『蕪村句集』)、
「きのふけふ葛葉に嵐吹ことよ」白雄(『白雄集』)その他、枚挙に暇(いとま)がない。
…後略…
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)