2021年9月2日木曜日

雨の日は…

6時頃に雨音が聞えるほどだったのでどうかなと思ったけど
小雨になったので出かけました。
雨の日の公園は静かです。

近畿 大気不安定 落雷や突風に十分注意」(関西NHK)
 望月衣塑子さんのTwitterに

どういう発想で廃棄をするのか。
不織布は毎日変えないといけないから困ってる家は沢山あるはずなのに。


大会組織委が“大量”廃棄」(TBS NEWS 8月31日)
大会組織委は、
▼20枚入りのマスク660箱、
▼ガウン3420枚
▼消毒液3800本が使われず、廃棄。
調達分の10%前後で、500万円にのぼる
続いて望月衣塑子さんのTwitterに

都知事にふさわしくない。

小池知事、5年連続で追悼文送らず「東京オリパラ開催地の首長としてふさわしいのか」朝鮮人虐殺追悼式典〟(東京新聞)
梁春植副委員長は追悼の辞の中で「知事の姿勢は東京オリパラ開催地の首長がとるべき行動としてふさわしいだろうか」と批判した。
大正十二年九月一日の大震災に際して
 一 大震災雑記

  四


 僕も今度はご多分に洩れず、焼死した死骸(しがい)をたくさん見た。
そのたくさんの死骸のうち最も記憶に残っているのは、浅草仲店(あさくさなかみせ)の収容所にあった病院らしい死骸である。
この死骸も炎(ほのお)に焼かれた顔は目鼻もわからぬほどまっ黒だった。
が、湯帷子(ゆかた)を着た体や痩(や)せ細った手足などには少しも焼け爛(ただ)れた痕(あと)はなかった。
しかし僕の忘れられぬのは何もそういうためばかりではない。
焼死した死骸は誰も言うように大抵(たいてい)手足を縮めている。
けれどもこの死骸はどういう訣(わけ)か、焼け残ったメリンスの布団(ふとん)の上にちゃんと足を伸ばしていた。
手もまた覚悟を極(き)めたように湯帷子(ゆかた)の胸の上に組み合わせてあった。
これは苦しみ悶(もだ)えた死骸ではない。
静かに宿命を迎えた死骸である。
もし顔さえ焦(こ)げずにいたら、きっと蒼(あお)ざめた脣(くちびる)には微笑に似たものが浮んでいたであろう。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
 僕はこの死骸をもの哀(あわ)れに感じた。
しかし妻にその話をしたら、「それはきっと地震の前に死んでいた人の焼けたのでしょう」と言った。
なるほどそう言われてみれば、案外(あんがい)そんなものだったかも知れない。
ただ僕は妻のために小説じみた僕の気もちの破壊されたことを憎むばかりである。
   五

 僕は善良なる市民である。
しかし僕の所見によれば、菊池寛(きくちかん)はこの資格に乏しい。
 戒厳令の布(し)かれた後(のち)、僕は巻煙草を啣(くわ)えたまま、菊池と雑談を交換していた。
もっとも雑談とは言うものの、地震以外の話の出た訣(わけ)ではない。
そのうちに僕は大火の原因は〇〇〇〇〇〇〇〇そうだと言った。
すると菊池は眉(まゆ)を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝(いっかつ)した。
僕はもちろんそう言われてみれば、「じゃ嘘だろう」と言うほかなかった。
しかし次手(ついで)にもう一度、何でも〇〇〇〇はボルシェヴィッキの手先だそうだと言った。
菊池は今度は眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。
僕はまた「へええ、それも嘘か」とたちまち自説(?)を撤回した。
 ふたたび僕の所見によれば、善良なる市民というものはボルシェヴィッキと〇〇〇〇との陰謀の存在を信ずるものである。
もし万一信じられぬ場合は、少なくとも信じているらしい顔つきを装(よそお)わねばならぬものである。
けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似(まね)もしない。
これは完全に善良なる市民の資格を放棄(ほうき)したと見るべきである。
善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団(じけいだん)の一員たる僕は菊池のために惜(おし)まざるを得ない。
 もっとも善良なる市民になることは、――とにかく苦心を要するものである。
戒厳令 大震災直後、混乱に乗ずる暴動を警戒して京浜一帯に戒厳令がしかれた。

〇〇〇〇〇〇〇〇 不逞鮮人の暴動だか。

〇〇〇〇 不逞鮮人か。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)

つづく……
第4章 関東大震災時の挑戦人虐殺
 1 国家権力の関わり

 警察が誤情報を流す


 それでも、研究上、見解が一致している点がある。
発生源がどこであったにせよ、震災当初から警察が朝鮮人に関する流言・誤認情報を率先して流し、民衆に警戒を促したことである。
長年にわたりこの問題を研究してきた山田昭次(しょうじ)は、次のような史料を紹介している(『関東大震災時の朝鮮人虐殺』 創史社、2004年)。
本郷区で10月25日に開かれた区会議員・自警団代表などの会合で、自警団の代表者は次にように報告した。
(『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子 中公新書 2020年)
  九月一日夕方、曙(あけぼの)町交番巡査が自警団に来て「各町で不平鮮人が殺人放火して居るから気をつけろ」と二度まで通知に来た外、翌二日には警視庁の自動車が「不平鮮人が各所に於いて暴威を逞しうしつつあるから、各自注意せよ」との宣伝ビラを撒布し、即ち鮮人に対し自警団その他が暴行を行うべき原因を作ったのだ。(『報知新聞』10月28日夕刊)
 これは震災からふた月近く経ってからの報告であるが、オンタイムに書かれた史料もある。
寺田寅彦も「震災日記より」の九月二日の条(じょう)に「昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て〇〇人の放火者が徘徊(はいかい)するから注意しろと云ったそうだ」と記している。
 伏字の「〇〇」の部分に「朝鮮」が入るのは間違いない。
また、中原村の青年団員・在郷軍人会中原分会員の日記には、九月二日の条に「この日、午後、警察より、「京浜方面の鮮人暴動に備うる為出動せよ」との達しあり。在郷軍人・青年団・消防等、村内血気の男子は各々武器を携え集合し、市之坪境まで進軍す」と記されている(『川崎市史』資料編3、1990年)。
 自警団の結成

 一方、民間では自警団が結成された。
その数は、東京で約1600、神奈川で約600、埼玉・千葉では各約300とされる(吉河光貞『関東大震災の治安回顧』法務府特別審査局、1949年)。
自警団といっても結成のされ方は地域によってさまざまであったが、大きく三つのタイプに分けられる。
  一つは震災後に各町内で自発的、自然発生的に形成されたものである。
震災直後に東京市内で結成された自警団はこのタイプが多い。
 二つ目は、前章で述べた「民衆の警察化」の現れである安全組合・保安組合といった各地域の既存の自警組織を母体に結成されたものである。
神奈川県ではこうした事例が多かったという。
 三つめは、内務省からの指令によって在郷軍人会・青年団・消防組を母体に結成されたものである。
9月2日に内務省より埼玉県・郡役所を経由して各町村に対して、「不逞鮮人暴動に関する件」と題する通牒が出された。
そこには、「今回の震災に対して、東京において不逞鮮人の妄動有之」と記され、「在郷軍人会・消防隊・青年団等は一致協力して、その警戒に任じ、一朝有事の場合には、速かに適当の方策を講ずる」ようにとの指示が明記されていた。
埼玉・千葉・群馬で結成された自警団の多くは、この内務省の指示によって結成された(山田『関東大震災時の朝鮮人虐殺』)。
 いずれのタイプでも、在郷軍人会が重要な役割を果たした。
日露戦争後に帝国在郷軍人会が結成され、各町村にその分会が置かれたことは、前章で述べたとおりである。
震災時に地域社会で治安維持の役割を担った組織は、徴兵経験者で構成されていた。
自警団は、警察機能を補う目的で結成されながら、その主たる担い手が徴兵経験者であったという点で、警察と軍隊という国家の二つの暴力装置が交差する位置にあった。
(『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子 中公新書 2020年)
今朝の父の一枚です(^_^)v

1.スズメを知っていますか?
 どこに棲んでいるの?

……前略……
 ここで、鳥の巣というものと、私たちの家との違いを確認しておきましょう。
私たちにとって、家とは毎日の生活の場です。
ご飯も家で食べますし、寝るのも家です。
子育てももちろん、家の中で行われます。
しかし、鳥にとっての巣というものは、子育て時期に、子育てのためにだけに使う場所です。
具体的には卵を産んで温める場所、そして、孵(かえ)ったヒナが十分に大きくなるまでエサをあげる場所といえます。
雄親は、巣の中で寝ることさえしません。
雌親も、ヒナが孵ったら、寒い日にはヒナが凍えないように夜を巣で過ごすこともありますが、普通は、巣とは別の場所、たとえば木に止まって寝ます。
巣立ったヒナも、一度巣立てば、巣に帰ってくることはないのです。
(『スズメの謎 身近な野鳥が減っている!?』三上修 誠文堂新光社 2012年)