我が膝に飛鳥(ひてう)影さす木の芽かな
(『決定版富田木歩全集 全壱巻』新井声風編著 世界文庫 昭和39年)
(『決定版富田木歩全集 全壱巻』新井声風編著 世界文庫 昭和39年)
飯食へばまぶた重たき椿哉
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
万葉集にはシダレヤナギとネコヤナギが詠まれているが、
前者が36首、後者が4首と、圧倒的にシダレヤナギのほうが多い。
それは、当時の貴族がシダレヤナギの小枝を鉢巻のように巻きつけて髪飾りにしたり、
それは、当時の貴族がシダレヤナギの小枝を鉢巻のように巻きつけて髪飾りにしたり、
手に持ち柳小路を行き来したりするのが流行していたためである。
(『万葉歌とめぐる野歩き植物ガイド(春~初夏)』
(『万葉歌とめぐる野歩き植物ガイド(春~初夏)』
ガマズミも開き出しました。
(本居)宣長かつて、おのが像をかけるうへに門人の請ふままに題して詠みずらく、
しきしまの大和心を人とはば 朝日ににほう山櫻ばな
これ、かれが心をさながらに写し出せるものにして宣長その人が歌と姿をかへたるものともいふつべく、又わが大和心の姿を耳にきかせ目に見せむとて詠じたるものといふべく、千古以来、人のいはむとしていふ得ざりし所、しかも亦櫻の為には之にすぎたる歌やあるべき。
わが大和心の真髄を捉へ得たる人にしてはじめてこの詠あるべく、大和心と櫻と宣長と所謂(いはゆる)三者一致してはじめてこの詠ありといふべきなり。
しきしまの大和心を人とはば 朝日ににほう山櫻ばな
これ、かれが心をさながらに写し出せるものにして宣長その人が歌と姿をかへたるものともいふつべく、又わが大和心の姿を耳にきかせ目に見せむとて詠じたるものといふべく、千古以来、人のいはむとしていふ得ざりし所、しかも亦櫻の為には之にすぎたる歌やあるべき。
わが大和心の真髄を捉へ得たる人にしてはじめてこの詠あるべく、大和心と櫻と宣長と所謂(いはゆる)三者一致してはじめてこの詠ありといふべきなり。
〔敷島の〕大和心とは一言で言えばどういうものかと人に尋ねられたら
私は即座に それは朝日に輝き映じる山櫻の花のようなものだと答えるだろう
実に櫻こそは 個が単独に自己に絢爛(けんらん)たる美を誇るものではなく
実に櫻こそは 個が単独に自己に絢爛(けんらん)たる美を誇るものではなく
層層相重なった衆の調和の妙が映発する中に自ら美を感得せしめる 和の美である
櫻に勝る 和の花は恐らく他に その比が無かろう
(『櫻史』)
(『櫻史』)
イロハモミジの雌花
陽にあたれば歩けそうな脚をなでてみる
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
なんか眠たそうな感じですが…(*´∀`*)
このキランソウは切り傷から胃腸病までいろんな薬効があるといわれ、
そんなところから九州地方で「医者殺し」と呼ばれたり、
「地獄の釜のふた」(みなの病気を治してしまい、死んで地獄に行く人をなくしてしまう)との別名があったりもします。
(『花のおもしろフィールド図鑑(春)』)
そんなところから九州地方で「医者殺し」と呼ばれたり、
「地獄の釜のふた」(みなの病気を治してしまい、死んで地獄に行く人をなくしてしまう)との別名があったりもします。
(『花のおもしろフィールド図鑑(春)』)
花の数が少ないなと思って見ると
(花びらに見えるけど一つ一つが花です)
(花びらに見えるけど一つ一つが花です)
キク科の花は高度に分化したつくりとされる。
1個の花に見えるのは花序で、数個から数百個の小花(しょうか)が集っている。
これを頭状花序(頭状花(とうじょうか)・頭花(とうか))という。
小花の花冠には舌状花(ぜつじょうか)と管状花[かんじょうか(筒状花(とうじょうか))]がある。
(『写真で見る植物用語』)
1個の花に見えるのは花序で、数個から数百個の小花(しょうか)が集っている。
これを頭状花序(頭状花(とうじょうか)・頭花(とうか))という。
小花の花冠には舌状花(ぜつじょうか)と管状花[かんじょうか(筒状花(とうじょうか))]がある。
(『写真で見る植物用語』)
カンサイタンポポでした(o^^o)
頭状花の基部に、萼のように見えるのは総苞。
カントウタンポポでは、総苞の長さ15~21ミリで、個々の総苞片には、虫めがねで見ると、三角状の突起がある。
カンサイタンポポの総苞は13~14ミリとやや小型で、三角状突起がない。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
カントウタンポポでは、総苞の長さ15~21ミリで、個々の総苞片には、虫めがねで見ると、三角状の突起がある。
カンサイタンポポの総苞は13~14ミリとやや小型で、三角状突起がない。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
花に醉ふ事を許さぬ物思ひ
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
病院に父と妹と三人で行くと母の容態が急変していました。
しばらく記事の更新を中断します。
また、コメントへの返信もできませんのでコメント欄もなしにさせていただきます(o_ _)o
ただ、母は運が強いと思っています。
退院してから容態が悪くなったら今回のように治療を受けることが難しかったと思っています。
しばらく記事の更新を中断します。
また、コメントへの返信もできませんのでコメント欄もなしにさせていただきます(o_ _)o
ただ、母は運が強いと思っています。
退院してから容態が悪くなったら今回のように治療を受けることが難しかったと思っています。