この花は…
落花したあとも 「置かれた場所で咲」いています。
わが宿の竹の林は日に千(ち)たび行きて見れども飽きたらなくに
*良寛は特に竹を愛した。
「宅辺有苦竹」または「余家有竹林」に始まる五律詩に、
「なんじが清貞の質を愛す」と述べている。
(『良寛歌集』東郷豊治/創元社 昭和38年)
*良寛は特に竹を愛した。
「宅辺有苦竹」または「余家有竹林」に始まる五律詩に、
「なんじが清貞の質を愛す」と述べている。
(『良寛歌集』東郷豊治/創元社 昭和38年)
朴のこえ
きこえる
きこえる
わたしを呼ぶ
朴のこえが
耳をすまさなくても
きこえる
きこえる
花をひらこうとする
朴のよろこびが
きこえる
きこえる
わたしに語りかける
朴のささやきが
観音のこえのように
風に乗って
きこえてくる
(『詩集 詩国』)
きこえる
わたしを呼ぶ
朴のこえが
耳をすまさなくても
きこえる
きこえる
花をひらこうとする
朴のよろこびが
きこえる
きこえる
わたしに語りかける
朴のささやきが
観音のこえのように
風に乗って
きこえてくる
(『詩集 詩国』)
楠 正行(まさつら)
散しほの健気(けなげ)にみゆる桜かな
○楠正行 正成の長男。
南北朝時代の南朝の武将。
四条畷の戦いで弟正時と刺し違えて死ぬ。
正平3年(1348)没、享年23。
(『井月句集』)
散しほの健気(けなげ)にみゆる桜かな
○楠正行 正成の長男。
南北朝時代の南朝の武将。
四条畷の戦いで弟正時と刺し違えて死ぬ。
正平3年(1348)没、享年23。
(『井月句集』)
ハナミズキに似た子が後で登場します(^_-)
写真を撮りながら歩いているといつも両親よりも遅れていました。
初めの頃は、母もこの山(標高40m弱)に上ることができてp(^-^)q
私が上がる頃には下りてくるのに出会いました。
初めの頃は、母もこの山(標高40m弱)に上ることができてp(^-^)q
私が上がる頃には下りてくるのに出会いました。
母の杖です。
最初は、6年ほど前に母が足を骨折したときに使いました。
骨折が治ると、時々、私がギックリ腰になったときにお世話になりました。
3年ほど前に母が背骨を痛めたときから再び使うようになり、今は母の形見です。
これから私が野草の撮影などの後、立ち上がるときの支えにしようと思います。
最初は、6年ほど前に母が足を骨折したときに使いました。
骨折が治ると、時々、私がギックリ腰になったときにお世話になりました。
3年ほど前に母が背骨を痛めたときから再び使うようになり、今は母の形見です。
これから私が野草の撮影などの後、立ち上がるときの支えにしようと思います。
いつも自分のことよりも私や妹のことを心配していた母です。
母の心配事を聞いていた頃は、反発することもありましたが
今は、懐かしい囀りに聞こえてきます。
これからも杖を一緒に連れていってあげたら、少しは安心してくれると思います。
これからも杖を一緒に連れていってあげたら、少しは安心してくれると思います。
5時前に目が覚めたので「ラジオ深夜便」を聞くと
今日の誕生花は「藤」。
今日の誕生花は「藤」。
花言葉は「恋に酔う」「懐かしい思い出」だそうです(o^^o)
今朝は青空
アオサギが悠々と空を飛んでいました。
アオサギが悠々と空を飛んでいました。
さっきのハナミズキのように凛凛しい顔をしていますが、
その前に後ろにあるロープに足をひっかけてズッコケテイタ(o゜▽゜)oその瞬間を撮れなかったのが悔やまれる…
ふかみぐさ 牡丹[風土記]
<出雲国風土記> 凡(すべ)て、諸(もろもろ)の山野(やまの)に在(あ)るところの草木(くさき)は、……牡丹(ふかみぐさ)……。 (意宇郡)
[今名] ぼたん(ぼたん科)
[考証] 『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「牡丹 和名布加美久佐」とあり、
フカミグサは、ボタンの古名であることがわかる。
さらに、同書にフカミグサの名の由来について「是草生二林叢中一故名二布加美久佐」とある。
フカミグサの名が日本の文献に初めて見えるのもこの『出雲国風土記』であるが、
これが平安時代になると牡丹の字音読みで、ボタンと『枕草子』などにも現れる。
初めは薬草として渡来し、平安時代になると観賞花となっていたことが知られる。
漢方ではこの根を利用し、牡丹皮は頭痛、腰痛などの鎮痙薬とし、また婦人諸病に賞用する。
(『古典植物辞典』)
<出雲国風土記> 凡(すべ)て、諸(もろもろ)の山野(やまの)に在(あ)るところの草木(くさき)は、……牡丹(ふかみぐさ)……。 (意宇郡)
[今名] ぼたん(ぼたん科)
[考証] 『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「牡丹 和名布加美久佐」とあり、
フカミグサは、ボタンの古名であることがわかる。
さらに、同書にフカミグサの名の由来について「是草生二林叢中一故名二布加美久佐」とある。
フカミグサの名が日本の文献に初めて見えるのもこの『出雲国風土記』であるが、
これが平安時代になると牡丹の字音読みで、ボタンと『枕草子』などにも現れる。
初めは薬草として渡来し、平安時代になると観賞花となっていたことが知られる。
漢方ではこの根を利用し、牡丹皮は頭痛、腰痛などの鎮痙薬とし、また婦人諸病に賞用する。
(『古典植物辞典』)