2017年4月20日木曜日

初夏の陽気となっています。

染井吉野はもうすっかり葉桜になっていましたが…(オオシマザクラかな?)


    鎮魂歌

母よ
今 土の下に
否 雲の上に
否々 私の中に
どうぞ 安らかに

(『続母 河野進詩集』聖恵授産所 1976年)
牡丹が咲き出しました。
 菜の花も穂先まで咲きて咲き終へぬ思ひ遂ぐるといふやさしさに  大西民子
(『現代の短歌』)

「すっかり 葉桜になったな」とアオジ♂が見にきていたのかな?
    汝と我そのどちらかは春のゆめ  津沢マサ子

(略)
<春のゆめ>ははかなさのたとえ。
<汝(なれ)>か<我>かの区別がつかなくなった境地は存在に対する不安以外の何物でもない。
 普通に日常生活を営みながら、それを虚妄(きょもう)と思いたくなる時もある。
そんな気持ちをいだきながらも単に存在するだけでなく、存在することへの意識を問う俳句だ。
(略)
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
母が一緒に公園に来ることができている時は
サクラソウの花壇はまだ整備されていませんでした。
楽しみにしていたのに…
巻第八 1627 
 大伴宿禰家持の、時(とき)じき藤の花と萩の黄葉(もみち)との
 二つの物を攀(よ)ぢて、坂上大嬢に贈れる歌二首
わが屋前(やど)の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹(いも)が咲容(ゑまひ)

私の家の季節はずれの藤の花のように、愛すべきものとして、いつも見ていたいものです。
あなたの笑顔を。
・時じ 作は6月。おくれて咲いた藤、「時じ」はその時ではない、いつも、の意。
萩の黄葉 これは早い晩夏の黄葉(1628)。
・めづらしく 珍しく、愛(め)ずべきである。
・今も いつも。
(『万葉集(二)』)
    風雨の中にも

これまでは
堪えられないほどの
風雨の中にも
母があつた
柱となり
杖となる
母があつた
でも もう
その母がない


  ナム アバローキティシバラ
  ナム アバローキティシバラ


    ※ ナム アバローキティシバラは
      観世音菩薩の梵名
(ぼんみょう)
(『自選坂村真民詩集』昭和42年)
 30年ほど前、祖母が90歳近くで一人暮らしをしていたのを
父が一緒に暮らそうと田舎から呼び寄せました。
でも祖母の世話は弟妹がいても長男の嫁ということで母の肩にのしかかりました。
Kazeは働いていて母を助けることができませんでした。
妹も遠く北海道にいたので母を支えることができませんでした。
母を慰めてくれたのは祖母がデイサービスにいっている間に
家から往復6kmほどのこの公園に歩いて行くことでした。

祖母は100歳の長寿をまっとうしましたので母には長く辛い年月でした。
母の苦労を分かっていながら何もしてあげられなかった。
また住みなれた故郷を離れた祖母の哀しみも理解してあげられませんでした。