十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に,高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌
山吹(やまぶき)の 立ちよそひたる 山清水(やましみづ) 汲(く)みに行かめど 道の知らなく
黄色い山吹が咲き匂っている山の清水を汲みに行きたいが、どう行っていいのかまったく道がわからない。
・十市皇女 天武7年(678)4月7日急死。時に三十歳前後。
・高市皇子尊 この時二十五歳。
黄泉(よみ)の国まで逢いに行きたいという歌。
山吹に「黄泉」の「黄」を、山清水に「泉」をにおわす。
以上の歌によって二人を夫婦であったと見る説がある。
(『萬葉集(一)』)
山吹(やまぶき)の 立ちよそひたる 山清水(やましみづ) 汲(く)みに行かめど 道の知らなく
黄色い山吹が咲き匂っている山の清水を汲みに行きたいが、どう行っていいのかまったく道がわからない。
・十市皇女 天武7年(678)4月7日急死。時に三十歳前後。
・高市皇子尊 この時二十五歳。
黄泉(よみ)の国まで逢いに行きたいという歌。
山吹に「黄泉」の「黄」を、山清水に「泉」をにおわす。
以上の歌によって二人を夫婦であったと見る説がある。
(『萬葉集(一)』)
うしろより縋り匂ひぬライラック 盆城
(『俳諧歳時記(春の部)』内川順雅編 改造社 昭和30年)
(『俳諧歳時記(春の部)』内川順雅編 改造社 昭和30年)
巻第二(挽歌) 185
皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)の
慟傷(どうしやう)して作りし歌二十三首(171~193)
水伝(みなつた)ふ磯の浦廻(うらみ)の石(いは)つつじもく咲く道をまたも見むかも
◆日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首
水が周りを伝い流れる、池の岩場の辺りの岩つつじがいっぱいに咲く道を、これからもまた見ることだろうか。
▽「もく」は、草木が盛んに茂るさまをいう形容詞の連用形。
(『万葉集(一)』)
皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)の
慟傷(どうしやう)して作りし歌二十三首(171~193)
水伝(みなつた)ふ磯の浦廻(うらみ)の石(いは)つつじもく咲く道をまたも見むかも
◆日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首
水が周りを伝い流れる、池の岩場の辺りの岩つつじがいっぱいに咲く道を、これからもまた見ることだろうか。
▽「もく」は、草木が盛んに茂るさまをいう形容詞の連用形。
(『万葉集(一)』)
注)画像は歌に詠まれている「石つつじ」ではないと思います(^^ゞ
アオジ♀は散歩しているのではなくて
野草の種を朝ご飯にしていましたp(^-^)q
形見とて 何(なに)残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉(ば)
私の亡くなった後の思い出の品として、何を残したらよいだろう。
春は花、夏はほととぎす、秋はもみじの葉であるよ。
(『良寛 旅と人生』)
私の亡くなった後の思い出の品として、何を残したらよいだろう。
春は花、夏はほととぎす、秋はもみじの葉であるよ。
(『良寛 旅と人生』)
(略)
道元の歌集『傘松道詠(さんしようどうえい)』に
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり」がある。
(略)
良寛はその道元の歌の意を受けて、その恵まれた自然の四季の姿をそのまま形見としたい、
この自然の恵みの心を大切に歌いつげよ、心豊かに生きよと辞世の歌とした。
(『良寛 旅と人生』)
道元の歌集『傘松道詠(さんしようどうえい)』に
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり」がある。
(略)
良寛はその道元の歌の意を受けて、その恵まれた自然の四季の姿をそのまま形見としたい、
この自然の恵みの心を大切に歌いつげよ、心豊かに生きよと辞世の歌とした。
(『良寛 旅と人生』)
5時前に目が覚めたので「ラジオ深夜便」を聞くと
今日の誕生花は「サクラソウ」だそうです(サイトによっては別の日になっていますが)。
江戸時代に園芸品種がさかんに作られたそうですよ。
花言葉は「少年時代の希望」ともう一つは、寝ぼけていたので聞き取れなかったのですが…
江戸時代に園芸品種がさかんに作られたそうですよ。
花言葉は「少年時代の希望」ともう一つは、寝ぼけていたので聞き取れなかったのですが…
公園を歩くと花を楽しんでいた母の姿が目に見てきます♡
菜の花が咲き終わった後にやって来たのはカワラヒワ
「花より団子」でなくて種が目的です(^-^)
「アブラナの花からみのでき方」(動画)
「アブラナの花からみのでき方」(動画)
風車広場のチューリップが満開。
「母さんに花屋さんでチューリップを買ってきてあげてな」と
「母さんに花屋さんでチューリップを買ってきてあげてな」と
妹にメールしました(o^^o)