2017年4月28日金曜日

雲がない…

ハナノキの翼果


今朝は、ナナホシテントウ(テントウムシ科)をよく見かけました。
暖かくなってきたから餌となるアブラムシが増えてきたのだろうな。
撮影するのにしゃがんで撮すのですが、撮影後立ち上がるのに
母の杖を使うと楽に立てました(^_^)b
スズメノエンドウは、とっても小さな花
撮影する時に母の杖をおなかにあてて体を支えましたp(^-^)q
     毬(まり)       <昭和51.2.20>

毬は
強く打てば打つほど
大きく弾む。


僕の胸は毬だ。
批評でたたかれば
たたかれるほど
大きく明日へ弾む。

 ■ ■ ■

 彼の19年の人生、その最後の5年間は、詩がすべてであったといっていい。
詩が彼の生気であった。
絶えず心に詩があった。
病気が悪化し個室に移るようになっても、詩の講座にはきびしい表情で出席してきた。
 そんなときでも、心の高揚のない詩へ、私の批評はきびしい。
だが、彼はへこたれず、次の時にはまた新しいよい詩を見せてくれた。
よい批評が彼をはげまし、いたわった。
よい批評が、とりもなおさず彼の生への讃歌なのである。
「きみはよくがんばったよ」
   解説 永岡うろお
(『車椅子と詩が遺った』後 浩治 汐文社 1977年)
翼果ですがよく花に見間違えられる(*゜∀゜*)
ヒメアカタテハが日向ぼっこをしていました(o^^o)
 巻第八 1471
  山部ノ赤人の歌
恋ひしけば、かたみにせむと、我が宿に植ゑし藤波、今咲きにけり

あの人が恋しくなったら、その代りに見ていようと自分の屋敷に植えた、藤の花が、今咲いたことだ。
(『口訳万葉集(中)』)
公園を歩いていると母の姿が目に浮んできます。
母をよく知っている方に出会い
母の話をしようとすると声が出なくなります。
その方は、30年ほど前に母を亡くされたそうですが
何かあるたびにお母さんに助けてもらったと思うそうです。
私も毎日、母の見えない手に助けてもらっている♡
木陰の中は暗くてセグロセキレイの動きについていけませんでした(゜o゜;)
僧になる子のうつくしやけしの花

[訳]お坊さんになる子はうつくしいなあ。
芥子の花が咲く。
[解]僧侶になろうとする子どもの姿も志も普通の子とは違って心が惹かれる。
僧と芥子の取り合わせは、芥子坊主から連想だろう。
芥子坊主は芥子の実だが、子どもの髪型。
脳天の髪だけ残して、頭髪を剃ったもの。
(『一茶句集 現代語訳付き』)
↓参考になるかな?
江戸名物錦画耕作 喜多川歌麿(部分)」(東京国立博物館)
是程(これほど)と牡丹の仕方(しかた)する子哉

仕方―身振り。手真似。
(『新訂 一茶俳句集』)
ナガミヒナゲシ
1961年に日本への帰化が確認されて以来、各地で繁殖の著しい花。
地中海沿岸が原産。
秋の草刈りの前後に芽生え、越年して、翌春に一気に成長して花を咲かせる。
花色は鮮明で鑑賞価値もあるため、
咲いている間は抜き去ろうとする人もあまりいない。
それに初夏の草刈りまでにさっさとタネをつくって枯れ、
跡形もなくなるので、誰の邪魔にもならない。
そのためヒトとは比較的良好な関係にある。
そのうえ、実の構造も秀逸。
熟すと頭部に展望台の窓のようにずらりと並んだ開口部ができる。
ナガミヒナゲシはこの穴を使い、茎が揺れるたびに、
菓子の材料でお馴染みの芥子(けし)の実さながらの、
小粒のタネをさらさらと降り撒くのである。
年々、各地で陣地を広げているのは、こうした特性のおかげであろう。
なお本種は面白いことに、生えている場所の土地の肥えぐあいや、
生えている密度によって、花弁の大きさが大きく変化する。
繁殖のうえで重要な花の大きさだけは変えない植物が多い中では異例の存在だ。
ケシ科の二年草。

母のために部屋を片付けていた時にひょっこり出てきた『車椅子と詩が遺った』
インターネットで検索しても絶版になっています。
本の帯(裏)に後浩治さんについて短い紹介がありました。

 筋ジストロフィー=進行性筋萎縮症におかされると、
筋肉の機能が低下し、腕が萎縮したり、歩行困難に陥いる。
原因や治療法も未だ確定されていない。
 本書の筆者、後(うしろ)浩治君もまた、
幼くして発病して以来、十年余の闘病生活を続けてきた。
昭和47年、詩とめぐりあった彼は、病窓からの限られた世界をみつめ、
新鮮な発見をつみ重ね、明るさをとりもどしていった。
そして、何よりも自分自身を深くみつめた。
 しかし、「難病の筋ジストロフィーと闘う少年に、
その残酷な運命を避ける力はなかった」。
19歳であった。
人間の寿命をかけ足で体験した彼は、漠然とした死の予感を胸に、
詩を書くことにみずからの生命を燃やした。
残された彼の詩と文章に一行一行に、彼が生きた証しが確実に刻まれ、
読むものに、「生きる」とは何かを鋭く問いかける。

指導されている永岡うろお氏について、本書の中から

永岡 うろお
昭和2年8月22日、大阪市に生まれる。
昭和31年、仏教大学卒業、昭和23年より俳句を五十嵐播水に学ぶ。
昭和47年5月より「たけのこ学級・詩の講座」を指導。
神戸市北区
(以下略) 浄土宗念仏寺住職
(『車椅子と詩が遺った』後 浩治 汐文社 1977年)

絶版になっているのは残念なので、
これからも紹介したいと思っています。
なお、本文のままではありませんので、図書館などで手に取ってみてください。

午後から父が介護認定を受けました。
特に今必要だというわけではありませんが
転ばぬ先の杖ということで姪から受けるように進言がありました。
母も嫌がっていたのですが、姪から言われて受けた。
介護サービスを受ける前に天国に旅立ってしまいましたが…
父の話を聞いているといろいろと無理をしているなと改めて思いました。
体重も母の体調が悪くなり、入院、旅立ちと心労が重なり
2kgも減って50kgを切ってしまいました。