今朝も日ざしがぽかぽか暖かい♪
今夜から一気に12月並みの気温になり午後も気温が上がらないみたい。
来月からは「ラニーニャ現象」の影響があるみたいですね…
「この冬の気温は平年並みか低く 日本海側は大雪の可能性も」(関西NHK)「33歳で旅立った私のパートナー」(NHK 11月25日)
突然やってくる死、そして余命期間を宣告される死。
私の場合は、突然死だったかもしれない。
それでも心臓が半分しか機能していないけどこうやって生きている。
再放送だけど見ていると新たな発見がある
こころの時代~宗教・人生~選「それでも生きる~旧約聖書・コヘレトの言葉(2)」
「空」と訳される「ヘベル」は、広い意味を持っているそうです。
小友聡さんは「束の間」と語っておられた。
例えば
9章9節
愛する妻と共に人生を見つめよ
空である人生のすべての日々を。
それは、太陽の下、空であるすべての日々に
神があなたに与えたものである。
それは、太陽の下でなされる労苦によって
あなたが人生で受ける分である。
「空」を「束の間」と訳すとニュアンスが大きく変わるように思います。「子宮頸がんワクチン 来年4月 接種の積極的呼びかけ再開 厚労省」(NHK)
この時にワクチンへの不信感が強まったように記憶している。
被害者の救済が解決されないままだと再び不信感が強くなると思う。
これも新型コロナワクチンへの不信感やデマが拡散される一因となっているのではないかな?
「南アフリカでワクチンの効果低下させる新たな変異ウイルス発見」(NHK)
「韓国 感染者の約6割 ブレイクスルー感染 重症者数は過去最多に」(NHK)
「韓国“感染最多”接種率は日本より上 現地で何が?」(テレ朝news 11月23日)
こういうニュースが流れるとワクチンは無駄だとかいう情報が流れるのだろうか… 『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の現代語訳を中島京子さんの訳でも読みました。
川端康成、蜂飼耳さん、そして中島京子さんと読み比べる面白いです。
中島京子さんの解説を転記します( ..)φ 「堤中納言物語」
遊び心とパロディ精神 中島京子
『堤中納言物語』を訳している間、ずっと幸福だった。
作者も成立時期も違うらしい十の短編と一つの断章から、この日本最古の短編集を編んだ人の鮮やかな手腕に、深く敬服している。
一編一編が、小粒だがピリリとおもしろい。
文体も主題も異なり、ほろりとさせたり笑わせたり、ちょっと意地悪な観察を持ちこんだりとテイストも変えておきながら、どこか通底する音を響かせて、短編集のお手本みたいな一冊なのだ。
(『竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記』中島京子他訳 河出書房新社 2016年) ここで、みなさんに声を大にして訴えたいのは、この短編集が無類に可笑(おか)しいということだ。
その笑いというのがまた、大声で笑うものから、くすっと笑わされるもの、にんまりさせるもの、泣き笑いめいたもの、痛さ苦さを含んだものと、あじわいが多様なのである。
ほんとうに驚いた。
これが、日本最古の短編集の妙味なのか!
だから現代語訳としての最大の使命は、この豊かな笑いの含むところを、そのまま読者に届けることだと決意した。 ひとつ、大きく決断したのは、挿入される歌を、現代短歌として三十一文字で訳すことだった。
歌は流れの中で必然的に入ってくるのだから、唐突の解釈になったのでは、読書の流れを中断させてしまう。
そもそも、なんだって平安朝の人々は思っていることを歌にしたのか。
恋歌なら雅(みやび)だからとも考えられるが、物語を読み進むとあんがいばかばかしいことも詠んでいる。
「虫めづる姫君」の中の若い女房などは、「冬くれば衣たのもし寒くとも烏毛虫(かはむし)多く見ゆるあたりは」と詠むのだが、これは毛虫だらけの姫君の御殿を「毛(虫)が多いから、冬なんか寒くなくっていいわね~(怒)」と、痛烈に皮肉ってみせているのだ。
だからこれを、「冬が来ると着物だけは十分あたたかいと頼みにすることができる。なぜなら、寒くてもこのあたりには毛虫が多くいるからである、の意。防寒のための毛皮と、毛虫の毛をかけている」などと書くと、とてつもなくつまらなくなる。
せっかく頭のいい女房が皮肉をきかせた歌を詠んだのなら、現代人も、歌として受け止めたい。じつは、三十一文字の制約は非常にきつく、エッセンスをくみ上げるために原文から大きく逸脱せざるを得なかったものもあった。
原歌への冒瀆(ぼうとく)、歌人でもない人間が僭越(せんえつ)きわまりないという批判には甘んじようと思う。
しかし、学者ならぜったいにしない蛮行に及ぶのでなければ、小説家が仕事を引き受けた意味はない。 もうひとつ、だいじにしたかったのは、それぞれの短編から響いてくる作者(むしろ編者と言うべきか)の声だ。
『堤中納言物語』の個々の短編は、はっきりと書き手の存在を意識させる。
「花桜折る中将」のラストのどんでん返しなどは、たくらみをもって書かなければこうはならない。
そこに至るまでの男の心理、浮ついた心持ちや新しい女への前のめりの入れ込みようを詳細に描いてタメを作っておいてこそ、ラストが生きてくる。 それからこの短編集の作者/編者には、とても健全なパロディ精神がある。
「花桜」も光源氏と紫の上を連想させるけれど、「はんだの女御(にょうご)」なども、光源氏的色男を笑いのめそうという意図が感じられるし、「逢坂(あふさか)越えぬ権中納言(ごんちゅうなごん)」のぐずぐずぶりや、「思はぬ方に泊りする少将」の姉妹を巻きこんだ四つ巴(どもえ)の恋愛模様は、「宇治十帖」を思わせる。
あの大長編『源氏物語』を、じつにいい距離で読んで、批評している。
だから、彼なり彼女なりが現代にいたら、どうやってその批判精神を現代文に息づかせるだろうかと、それを考えながら訳を試みた。
すべてが初めてのことで暗中模索だったが、脱稿まで漕(こ)ぎつけて少しほっとしている。
なお、素人くさい間の抜けた質問にも丁寧に答えてくださり、個々の短編の特徴を解説してくださった島内景二先生に、心よりお礼を申し上げます。
参考文献
……(略)……
(『竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記』中島京子他訳 河出書房新社 2016年)今朝の父の一枚です(^^)v
コゲラ〔小涿木鳥〕
キツツキ目キツツキ科。
全長15センチ、体重20グラム位。
体の上面は褐色で、白色の横縞(しま)が何本もある。
サハリン(樺太)、ウスリー、日本、中国北部、朝鮮半島など狭い範囲に分布している。
日本では北海道、南千島から西表島(いりおもてじま)まで全国的に分布している留鳥。
地域によって体色変異は多い。
山地から平地の森林にすんでいて、枯れかけた木の幹に自分で穴を掘り、巣とする。
周年昆虫やその幼虫、卵など動物食が主だが、秋冬には木の実も食べる。
日本では一番小さいキツツキ。
(『野鳥の歳時記5 冬の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)