2021年11月16日火曜日

小春

今朝もポカポカ春を思わせる陽気でした。
野良ちゃんも日向で(*^^*)
いつも展望台(?)から見える山も春霞がかかっているようにかすんでいました。
こんな日は小春日和(こはるびより)というのでしょうね。
今朝のEテレ0655のオープニングで「 小春日和」について

「小春」は旧暦10月の別の呼び方で、おおよそ現在の11月から12月上旬にあたります。
寒風が吹き始める晩秋から初冬のこの時期に、時に春のような穏やかな日がやってくることがあり、これを「小春日和」と呼びます。
春を表す言葉ではないんですね~。

(「Eテレ0655 火曜日」11月23日午前7時まで)
「小春」を古語辞典で調べると、例文としての載っているのが『徒然草』の「第百五十五段」。
島内裕子さんの「」と「」を転記します( ..)φ
この本で徒然草を初めて通読することができました。
最近『枕草子』を寝る前にベッドの中で読んでいます。
読んでいると清少納言について誤解していたことが分かりました。
いつか紹介できたらと思います。
【第百五十五段】
  訳 


 世間の約束事に従って生きてゆこうという人にとって、先ず大切なのは、時機をよく見定めることである。
それがうまくできないと、他人にも聞き入れてもらえないし、自分自身の心にも相(あい)反して、計画は成就しない。
だから、よくよく折を心得なければならなう。
ただし、病気になり、子どもを産み、死ぬことだけは、時機をあらかじめ予測できない。
今は具合が悪いと言って、これらのことを避けることはできない。
物事が生まれ、存在し、変化し、滅びることを、仏教語で「生(しょう)・住(じゅう)・異(い)・滅(めつ)」という。
まさにそのように、この世が刻々と移り変わるという真(まこと)の大事は、まるで激しい流れの河が、水嵩(みずかさ)も増して激流となって流れているようなものである。
ほんの少しの間も、停滞することなく、一気に進んでゆく。
だから、仏道修行であれ、世俗のことであれ、銘々、自分がどうしてもやり遂げようと思うことは、時機を見定めてからなどとは言ってはいられないのだ。
ほんの少しでも躊躇(ちゅうちょ)することなく、足踏みしてはならない。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 季節の運行も、春が暮れてから夏が来るのではなく、また、夏が終わってから、秋が来るのでもない。
春は早くも夏の季節を内在し、夏の頃から秋の気配が漂い、秋になれば、もう冬の寒さとなり、十月には、年が明けて春となったような気候の日があり、草も早や青くなって、よく見れば、梅の蕾(つぼみ)も出来かかっているではないか。
木の葉が落ちるのも、まず葉が落ちてしまってから、芽が出るのではなく、内部から力強く芽吹く力に耐えきれず、木の葉が落ちるのだ。
次の季節の準備が、内部にあるから、待っていて迎え取るのが、非常に速い。
 人間を襲う四つの苦しみである「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」が、移り変わって次々にやって来るのは、このような季節の変化よりも、もっと迅速である。
四季は、変化すると言ってもまだ、一定の順序がある。
死期には、順序というものがないのだ。
死は前からやって来て、遠くから目に見えているものではない。
知らぬ間に、自分のすぐ近くまで迫っているのだが、背後から来るので気づかないのだ。
人は皆、死というものがあることを知っているが、十分に覚悟して待つ間もなく、思いがけず死はやって来る。
干潟(ひがた)が、遠くまでずっと見渡せても、すぐに、磯辺に潮が満ちてきて消滅してしまうようなものである。
  評
 前段までの日野資朝(ひのすけとも)の人物スケッチは、まさに「世に従わぬ人」としての資朝を鮮烈に印象づけたので、ここでは冒頭の書き出しは、面白い。
しかし、この段の論の展開は、冒頭に反して、あらかじめ時期を見定められないもの、とりわけ死に対する心構えの大切さを言う。
しかも、論の進め方が観念的でなく、四季の変化や、激流の河、海の満ち干など、日常の中で体験する、目に見える具体例によって説明されていることが特徴である。
留まらぬ時間の推移を、自然界の変化に託して、スピード感をもって描き出す点で、第三十段「人の亡(な)き後ばかり」の段と双璧である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
(「蟲めづる姫君」つづき)

 背丈もすんなりとした中背で、髪の毛も袿ほども長く、その上実にゆたかだ。
髪先は切り揃へてないので、ふさふさとしてはゐないが、よく伸びてゐて美しい。
「これほどでない女でも、化粧してゐれば、美しいから、ちよつと気を惹かれるものだ。かなりどつとしない乱暴な身なりをしてゐるが、それでも、このひとは、実に立派で気品がある。あのいやらしい点は、一寸人並ぢやないが。しかし、どうも残念だ。こんなに綺麗なひとなのに、どうしてまたかう恐しい心を持つてゐるのか。」
 と右馬の助は思ひながら、
「このまま帰つてしまふのは、いかにも惜しい気持だ。せめてお姿を見ましたよと云ふことだけでも知らせておかう。」
(『川端康成全集第三十五巻』山本健吉、井上靖、中村光夫編 新潮社 昭和58年)
 かう考へて畳紙に草汁でもつて、

  かはむしの毛深きさまを見つるより
   とりもちてのみ守るべきかな
(毛蟲のやうに毛深い御様子のあなたを拝見してから、
 鳥黐の着いて離れぬやうに、お側にゐなければ生きて行かれないやうな気持ちになつてしまひました。)

 と書いて、人を呼ぶために扇でたたいた。
すると内から召使の童が出て来たので、
「これを、お姫様に差上げてくれ。」
 と渡す。
子供はそれをさきの大輔の君といふ女房のところへ持つて行き、
「あすこに立つていらつしやるお方が、お嬢様にこれを差上げて下さいつて……。」
 女房はそれを受け取ると、
「あら、大変、それぢやあ右馬の助さまのなすつたことなのですね。いやらしい蟲に夢中になつていらつしやるお顔を御覧になつたに違ひないわ。」
 と云つて、姫にさまざまに意見をする。
ところが姫は平然と澄まし返つて、
「悟つてしまへば、なんだつて恥しいことなんかないわよ。このはかない夢幻(ゆめまぼろし)の世に、誰がいつまでも、いい気になつて、善悪(よしあし)を批評してゐることができるかしら。」
 かうした姫の言葉に、若い女房達は、なんとも言葉の返しやうもなく、皆、がつかりして、情けないことだと嘆き合つた。
 右馬の助達は、
「いまに返事を呉れるだらう。」
 と、暫く待つてゐたが、内の方では召使の子供まで、家の内に呼び入れてしまつて、
「ああ、情けないことだ。」
 と云ひ合つてゐた。
もつとも女房の中には返事について、気のついたものもあつたのだらう。
姫にそれを申し上げると、姫はさうは云ふものの、少しは可哀さうに思つて、

  人に似ぬ心のうちは彼(か)は蟲(むし)
    名を問ひてこそ言はまほしけれ
(世間普通の女に似ぬ私の心のうちは、毛蟲の名を調べるやうに、それは誰かとあなたのお名前を聞いてから、心のうちを打ち明けたいと思ひます。)
 これには右馬の助もすつかり参つて、

   烏毛蟲(かはむし)にまぎるる眉の毛の末に
    あたるばかりの人はなきかな
(毛蟲と間違へるやうなあなたの眉の毛の端つこにも、
 対抗するやうな人は、とてもありません。)

 と云つて、笑ひながら帰つてしまつやうである。
(『川端康成全集第三十五巻』山本健吉、井上靖、中村光夫編 新潮社 昭和58年)


以上で川端康成の現代語訳を終わります。
川端康成の訳では、最後の「二の巻(まき)にあるべし」が省略されていました。
なお、転記間違いがあると思います。
今朝の父の一枚です(^^)v

 モ ズ  
      唐澤孝一
…前略…
 モズはスズメ目モズ科の鳥で、全長20センチ、体重38グラム位。
シギやチドリの渡りと共に、秋を代表する鳥として古くより人々に親しまれてきた。
厳冬期には、雄も雌も、若鳥も成鳥も、それぞれ単独のなわばりを持って生活するモズにとって、秋のなわばり争いは熾烈(しれつ)をきわめるものがある。
高鳴きには、春や夏の季節に別れを告げて、いよいよ冬に生きるという決意を表明してかのような悲愴(ひそう)な響(ひび)きも感じられる。
おそらく、過去数千年にわたって、人々もまた、高鳴きによって冬への備えを急いだことであろう。
…後略…
(『野鳥の歳時記4 秋の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)