2021年11月25日木曜日

風があまり吹かないと…

昨日は、冷たい風が吹いていたけど
今朝は、曇っていても風がないので歩いていると汗をかきそうになりました。
暖かかったけど、梅が咲いているとは思わなかった!

↓いいなぁ~!私も寒さは苦手なんだけど(^^ゞ

本格的な冬の訪れを前に動物園でカピバラに「ゆず湯」〟(NHK石川 11月23日)
11月25日 
平成8年(1996) 大阪の古書店主所蔵の『奥の細道』、松尾芭蕉の自筆本と確認と発表(12月2日、大阪市立博物館に寄託)。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)

おくのほそ道(全)ビギナーズ・クラッシック日本の古典』のコラム欄から一部転記します( ..)φ
長い間、行方不明だった自筆本が世に出るきっかけになったのは…
★『おくのほそ道』の旅費

『おくのほそ道』の本文中には旅の費用についての記述がない。
曾良(そら)の『随行日記』には、敦賀(つるが)で芭蕉のために、曾良が一両の金を預けたという記事がみえる。
 当時の一両が現在の円価でどのくらいになるか。
計算のしかたは単純にいかないが、一例をあげてみる。
現在の米価(10キログラム4千7百円程度)と当時の米価(一石<こく>約銀45匁<もんめ>程度)とで計算してみると、一石は143キログラムだから、約6万7千円)。
一両は銀60匁だから、一匁を1500円として計算すると、9万円となる。
当時お一両は、一般庶民の食べ物「もりそば」6百杯分に相当するという。
(『おくのほそ道(全)ビギナーズ・クラッシック日本の古典』角川書店編 平成13年)
 そうすると、『おくのほそ道』の旅費はゆうに百万円を越す高額と推測され、とても乞食行脚(こつじきあんぎゃ)などという貧乏旅行ではなかった。
実際、金払いはよく、馬にも船にも乗り、案内人や運搬人も雇っている。
 その資金は、芭蕉庵(あん)の売却や俳諧(はいかい)の教授料などでまかなったが、裕福な門人たちの援助によることが多かったと思われる。
★同行者曾良の素顔

 芭蕉の旅には常に同行者がいた。
そのなかでも、温厚篤実な曾良はすぐれた秘書だった。
信州(長野県)上諏訪(かみすわ)の出身で、本名岩波庄右衛門(しょうえもん)、通称河合惣五郎(かわいそうごろう)
三十代の半ばまでは、伊勢長島藩に仕えたが、江戸に出て、芭蕉に俳諧を学んだ。
芭蕉庵近くに住んで、師の日常生活の世話もした。
『おくのほそ道』の旅では、コースの下調べ、資料収集、旅費の会計などを担当し、丹念な記録『随行日記』を書き残した。
この日記によって、事実の記録と思われていた『おくのほそ道』が、実は創作を少なからず含んでいることが判明した。
『おくのほそ道』研究には欠かせない第一級の資料である。
 ところで、曾良は、芭蕉一筋の門弟と思われがちだが、俳人以外の別の顔をもっていた。
彼は、神官に講義するほど神道学に通じていたし、地理学にもくわしかった。
しかも、公用かと思われる単独の旅が多かった。
その旅の理由も不明な点が多い。
 曾良は、芭蕉没後、宝永7(1710)年に幕府派遣の巡見使(地方視察官)として九州に出向き、壱岐(いき)の島で客死した。
享年62歳。
師芭蕉と同じく、旅に生涯を終えはしたが、謎に包まれた部分を残したままである。
★『おくのほそ道』芭蕉自筆本の発見!

 平成8(1996)年11月、『おくのほそ道』の芭蕉自筆本が確認されたという記事が新聞に大きく報じられ、文学愛好者たちを仰天させた。
 これまで、『おくのほそ道』の諸本研究は次の三本に絞ってきた。
能書家の素龍(そりゅう)が清書した二本(素龍筆芭蕉所持本・柿衛<かきもり>本)と、『おくのほそ道』同行者の曾良が書写した一本(曾良本)とである。
いずれも芭蕉の信頼厚い門弟の手になるものだから、これらを超える本といえば、芭蕉の自筆本以外にあるはずがない。
 ところが、その存在は、芭蕉五十回忌の法要が大坂で営まれた寛保3(1743)年を境にして、行方不明となっていた。
その幻の本を、なんと、阪神・淡路大震災で被災した古書店主が半壊した自宅から持ち出したというのである。
さっそく、専門家による厳密な筆跡鑑定の結果、芭蕉の真筆であると確認された。
現在、鑑定に疑義を唱える研究者がいるものの、自筆本説はほぼ確定したといってよいようだ。
おくのほそ道(全)ビギナーズ・クラッシック日本の古典』角川書店編 平成13年)
今朝の父の一枚です(^^)v

シジュウカラ〔四十雀〕
 スズメ目シジュウカラ科。
全長14.5センチ、体重16グラム位。
頭と喉が黒色で、背は暗緑色。白い腹に縦長の黒帯をもつ。
ヨーロッパ、北アフリカから太平洋岸までつながって温帯、亜寒帯に分布しているほか、アジアの熱帯地域も分布している。
日本ではほぼ全国から記録があり、また全国的に繁殖している。
日本産のものは腹が白色をしているが、欧州産のものでは黄色をしている。
また沖縄南部のものは全体に黒みが強い。
落葉広葉樹林を主な生息地としているが、都市や住宅地、農耕地でも林や木があれば見られる。
人工の巣箱を最もよく利用する種。
雄は自身のなわばり内にいくつかの巣穴を見つけておき、雌を案内して回る。
内外をよく調べ、雌のチェックに合格した場所が巣として使われる。
木の穴だけでなく、石垣のすき間もよく使う。
だから巣箱を架ける高さは1メートル位で十分なのだが、人によるいたずらを避けるために、3~5メートルに架けるよう指導書には書いてある。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)