2020年11月29日日曜日

日曜日ということもあって…

今朝は、青空がみえて風もなかったので
気温が低くても歩いているとポカポカしました(*´▽`*)
尾崎行雄(咢堂)杯演説大会など」(石破茂Blog 11月27日)に、

「桜を見る会」について、前首相側がホテルで開かれた前夜祭にかかった経費と参加者から徴収した費用との差額を補填した、との報道がなされて以来、自民党内からも批判があがっているとの報道に接したり、いままで安倍前総理を礼賛・擁護していた政治評論家が突如として厳しい姿勢に転じて発言をしたりするのを見ていると、今更なんだかなあ…という気がしないではありません。

石破さんのような方が冷や飯をくうような状況(?)は、自民党にとって大きな損失だと思うのですが…
 なすこさんのTwitter

#令和の歴史教科書

#令和人物烈伝
中村哲の遺志

(画像↓)
令和人物列伝 中村哲の遺志」(2020.11.28)

なすこさんが参考にされた記事
中村医師の信念 現地組織、事業継続で「恩返しを」〟(日本経済新聞 2020年2月5日)

中村哲さんは、現地の人々の伝統や文化を大切にした人。
現地の人たちのやり方を尊重して援助活動をされていた。
今日は、
 「議会制度130年 国会で記念式典 天皇皇后両陛下も出席」(NHK)

当時は、帝国議会
大日本帝国憲法」(中学)
中国政府、少数民族弾圧はウイグルに留まらず 朝鮮族の学校からハングルを抹消へ」(Newsweek 11月24日)
母語は、民族のアイデンティティ(identity)を確立するためになくてはならないもの。
中国政府は、日本帝国が行なっていた蛮行を真似ているのだろう。

今朝の日曜美術館「アイヌ文様の秘密 カムイの里を行く
アイヌの人々も単一民族という妄想のために大日本帝国から母語を奪われた。
アイヌ民族としてのアイデンティティを取り戻すためにも文化を伝承しようと活動されている。
国立アイヌ民族博物館
梅原猛、日本仏教をゆく』より「親鸞 悪の自覚と深い懺悔の〝詩人〟」の続きを転記しますφ(..)
この後半に、梅原さん独自の視点があると思う。
 私は、「偏依善導(ひとえにぜんどうによる)」といってひたすら善導の説によった法然に対して、還相廻向(げんそうえこう)の説を語る天親と曇鸞(どんらん)から自分の名をつけた親鸞に、すでに法然とはいささか異なる浄土念仏の教えを立てようとする意思が表れているのではないかと思う
(『梅原猛、日本仏教をゆく』梅原猛 朝日文庫 2009年)
 こうして親鸞は流罪になり、おそらく流罪地で恵信尼(えしんに)と結ばれ、子をなした。
そうして流罪5年にして法然が赦(ゆる)されるとともに親鸞も赦されたが、親鸞は都に帰ろうとせず、しばらく越後にとどまり、やがて文化果つるところと思われていた常陸(ひたち)に行き、そこで約20年間過ごすのである。
おそらく、流罪帰りの妻子を連れたこの念仏者をどう扱ってよいか、常陸の民も初めは困ったと思われるが、やがてこの念仏者の心の奥に人間救済への純粋な熱情が隠されていることを知り、かなり多くの弟子や信者ができた。
 しかし60歳を超えて、親鸞は彼を慕う弟子や信者を捨てて、都に帰る。
法然死後、嘉禄の法難が起こり、隆寛をはじめとする法然の弟子たちは追放になり、残った弟子も多くは死んでいた。
都へ帰った親鸞は、東国においてのような活発な布教はせず、すでに東国で書き始めていた『教行信証』を完成させるとともに、多くの「教文」や「和讃(わさん)」を作った。
親鸞は東国の弟子に多くの手紙を書いたが、彼の代わりに東国へ遣わした長男善鸞(ぜんらん)が、自分はひそかに親鸞から秘法を授けられたといったために起こった弟子たちの動揺を抑えるために書いた手紙は、法のために子を義絶する彼の心が表れていて、悲しくかつすばらしい。
 こうして親鸞は京都においてほとんど居候(いそうろう)の生活を送ったが、80歳を超えての著作活動は凄まじく、90歳の天寿を全(まっと)うした。
 私は、法然が哲学者であったのに対し、親鸞は詩人であったと思う。
彼の著書『教行信証』は、浄土念仏の教えを明らかにする経文の引用がほとんどであるが、親鸞はその経文の引用の合間に自分の信仰を告白する。
その文章がまことによい。
特に『教行信証』の「行巻(ぎょうのまき)」の終わりにつけられた「正信偈(しょうしんげ)」は、どうしようもない自己への絶望と、阿弥陀(あみだ)によって救われた喜びが交錯するみごとな詩である。
「和讃」も、深く重いすぐれた宗教詩である。
 また考えようによっては『教行信証』も長編の詩劇とみられる。
「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」が、わが子アジャセ王に幽閉されたイダイケ夫人(ぶにん)が釈迦によって阿弥陀浄土に往生せられるというドラマのような構成をもつ経典であるのに対し、『教行信証』は、造悪無恥なアジャセがついに釈迦によって懺悔(さんげ)させられ救われるという思想的詩劇であるといってよい。
親鸞は、父親を殺し、母親を幽閉したアジャセを自分自身と重ねているようにさえみえる。
 親鸞ほど自己の中にある悪を深く見つめた仏教の祖師(そし)はいない。
法然にも「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という親鸞と同じような悪人正機(しょうき)説がみられるが、悪の自覚と懺悔において親鸞ははるかに師を凌駕(りょうが)している。
 親鸞には悪人正機説以上に大切な説がある。
それは還租廻向の説である。
「ナムアミダブツ」を称えれば、阿弥陀仏のおかげでこの世から極楽へ往生することができるばかりか、また極楽からこの世へ還ることができる。
 この極楽へ往くのを往相(おうそう)廻向、この世へ還るのを還相廻向といい、往相廻向と還相廻向を合わせて二種(にしゅ)廻向という。
この説は法然にもあるが、法然の「選択集」には主として往相廻向のみが説かれ、還相廻向はほとんど語られていない。
しかしこの還相廻向こそ浄土真宗の要であると親鸞はいう。
極楽往生した人間は利他(りた)のためにそこにいつまでもとどまるわけにはいかず、この世に再び帰って、悩める人たちを救わねばならないというのである。
 近代真宗教学では還相廻向の説があまり顧みられないが、このような還相廻向の教えを復活させることによって、浄土宗あるいは浄土真宗はたくましい行動力を回復することができるのではなかろうか。


還相廻向 「還」は戻ってくるという意味。「相」は物事の様相のことで、「廻向」はめぐり、さしむけること。極楽からこの世に戻ってくること。
 
和讃 七五調の和語(日本語)で仏や祖師などを讃嘆した、歌の一種。平安時代中頃から法要な説法などの際に、曲をつけて詠じられた。親鸞の作ったものには『浄土和讃』『正像末和讃』などがある。

利他 他者に利益を与えること。仏教では、衆生にさまざまな功徳を与えて救いに導くこと。
(『梅原猛、日本仏教をゆく』梅原猛 朝日文庫 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)v
いつもは50枚近く写しているのに今朝は、6枚。
えらい少ないねと聞くと、人が多く、写す気にならなかったようです。

自粛要請旅行会社対応に追われる」(関西NHK 11月28日)
と、いうことで大阪市発が自粛になったので先週の三連休なみに来園者が多かったのかな?