2020年11月25日水曜日

曇り空…

時々、青空が顔を出してくれるだけの曇り空でした。

25日朝ヒンヤリ 日中ほっと」(えりの気象日記 11月24日)
今日は、三島由紀夫が自決して50年。
三島由紀夫については、報道されていますが
森田必勝(まさかつ)のことはあまり報道されていないと思います。
16歳下の弟を親代わりに世話をしていた兄の森田治さん(91歳)の思いを伝えていたのが

三島由紀夫とともに命を絶った若者 91歳兄が語る弟の訴えとは」(NHK)
三島由紀夫が自決した時は、高校2年生の時。
倫理社会の授業中に先生が私の席に来られて「三島が自決した」と教えてくださった。
当時、私は級友からも変わった奴だと思われていたので教えてくださったのかな(^^ゞ
中学時代は、石坂洋二郎が好きで、高校時代は太宰治を愛読していました。
大学に入ってからは、太宰治、宮沢賢治を愛読していました。
沖縄生まれなのに何故か東北出身の作家に魅かれていました。
大学で出会ったN君が三島由紀夫の愛読者だった。
N君は北一輝の全集も愛蔵していた。
彼の話は理論整然として話が一貫していた。
私の方は、N君から「話の筋を通してくれるかな」と言われるほど話題があっちこっち飛んでいた。
性格が正反対だったけど、N君が槍穂縦走や剱岳へ連れていってくれた。
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 三島由紀夫(小説家)
で、昭和41年 宗教の時間で放送 41歳のときの映像を見ることができます。
再放送は、Eテレで11月27日(金)午後1時50分~でありますが
番組の中で三島が語っていた言葉を転記しますφ(..)
転記間違いがあると思いますので、再放送をご覧ください。
終戦の風景とは

終戦のとき詔勅(しょうちょく)を親戚の家で聞きました。
都内から離れた所に家族が疎開していて
終戦の詔勅については、感動をとおりこした空白感しかありませんでした。
それは、必ずしも予期されたものではありませんでしたが…
今まで自分の生きてきた世界がどこへ向っていくのか
それが不思議でたまらなかった。
戦争に負けたらこの世界が崩壊するはずであるのに
まだ周りの木々が濃い夏の光を浴びている。
それを普通の家庭の中で見たので、周りに家族の顔もあり
ちゃぶだいもあり、日常生活がある。
それが実に不思議でならなかった。
しかしアカデミズムの若い学者たちは、
これから自分たちの時代が来るんだ
新しい知的再建の時代が始まるんだ
誇張していえば欣喜雀躍(きんきじゃくやく)という様子でした。
私の今までの半生の中で
20歳までの20年は、軍部の一部の極端な勢力が
あそこまで破滅的な敗北へもっていってしまった。
その後の20年は一見太平無事な時代が続いているようですが
これは日本の工業化のおかげであり
精神的には何ら知的再建に値するものはなかったのではないか
ちょうど昭和40年、41歳の私は、20歳のときに迎えた終戦の自分の人生のめどとして
そこから自分の人生がどういう展開をしたか考える一つのめどになっている。
これからも何度もあの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光
その時点を境に一つも変わらなかった日光は私の心の中に続いていくだろう。
現代の死とは

リルケが書いているが現代人はドラマチックな死ができなくなった。
病室の一室で一つの細胞の中のはちが死ぬように死んでいく
現代の死は、病気にしろ、交通事故にしろ何らのドラマがない
英雄的な死というものもない時代にわれわれは生きている。
思い出しますのは18世紀ごろに書かれた葉隠(はがくれ)という本――
武士道とは死ぬことと見つけたり
というので有名な本ですが――
この時代も今と似ていた。
もう戦国の夢は覚めて
武士は武道の鍛錬をするが、戦場の華々しい死はなくなった。
その中で汚職もあれば社用族もあり
今でいえばアイビー族みたいなものも
侍のあいだに出てきた時代でした。
その中で葉隠の著者は、死ぬ方を先に選ばなければいけないと
口を酸っぱくして説きましたけれど
著者自身は長生きして畳の上で死ぬ
武士であっても結局死ぬチャンスをつかめないで
死を心の中に描きながら生きていった。
それを考えると今の青年はスリルを求めることもある
いつ死ぬかという恐怖もないではないが
死が生の前提になっているという緊張した状態にはない
仕事をやっているときに生の倦怠というか
人間が自分のためにだけ生きるのに卑しいものを感じるのは当然
人間の生命というのは不思議なもので
自分のためだけに生きて
自分のためだけに死ぬほど人間は強くない。
人間は理想なり何かのためということを考えているので
自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
死ぬのも何かのためということが必ず出てくる
それが昔いわれた大義というものです。
大義のために死ぬということが人間の最も華々しい英雄的な立派な死に方。
しかし今は大義がない。
民主主義の政治形態は大義がいらないので当然ですが
それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ
生きていることすら無意味だという心理状態がないわけではない。
自分の死について

自分にかえって考えてみますと
死をいつか来るんだ、それも遠くない将来に来ると(戦争の時)考えていた。
その心理状態は今に比べて幸福だった。
不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく
人間はそういう時に妙に幸福になる。
今われわれが求めている幸福は
生きる幸福であり、
家庭の降伏であり、
レジャーの幸福であり楽しみでしょうが
しかし自分が死ぬと決まっている人間の幸福は今はない。
死というものをお前は恐れないか
私は病気になれば死を恐れます。
ガンになるのも嫌で考えるのも恐ろしい。
それだけに何かもっと名誉のある
何かのためになる死に方をしたいと思いながらも
結局葉隠の著者のように生まれてきた時代が悪くて
一生そういうことを思い暮らしながら畳の上で死ぬことになるだろうと思います。

(この4年後、三島由紀夫は自らの命を絶つことになります)

(NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 三島由紀夫(小説家)」)
朝日新聞に載っていた島田雅彦さんの
「三島由起夫と戦後日本」本でひもとく 思考停止が招く二度目の「死」
今、多くの若者たちに読まれているのか納得しました。
私も本箱のある三島由紀夫の著書を読みなおそうと思っています。
最後の部分を転記しますφ(..)
三島由紀夫は、前首相安倍氏を許せるのかな…
(前略)

 戦後民主主義、経済成長、平和主義の信仰が生きていた時代、三島はそれらの欺瞞(ぎまん)を穿(うが)ち、文化防衛を唱え、アメリカに従属しない新しい国体を模索していた。
空っぽな日本人の心を埋めようとした三島の知的闘争はクーデター未遂と自決で未来に託された。
三島のニヒリズムは知性ある者には遺伝したが、今日の日本を覆う対米従属、新自由主義、反知性主義という名の思考停止が三島を二度殺そうとしている。
好書好日「ひもとく」朝日新聞 11月25日
今朝の父の一枚です(^^)v
マガモがのんびりと朝寝。
というのも「夜間に湿地や水田、湖沼の岸などでエサをとる」。
午後から心臓リハビリでした。
時間までの間読んでいたのが『こんな一冊に出会いたい 本の道しるべ 』
昨日が最終回「ミュージシャン 坂本美雨」でした。
坂本美雨さんのこと知らなかったのですが、豊かな感性をおもちだなと思いした。
「坂本美雨さんの5冊」の中に『アンジュール ある犬の物語』が紹介されていました(^^)v

トレッドミルで30分間に歩いた距離は1.69kmでした。

今日は、試みにアソビカメラで撮影したのですが、
スマホを持っていない私の場合、画像を確認できないので、消費カロリーを写せていなかったのに気がつかなかった…