2019年2月5日火曜日

青空が気持ちよかったです(^。^)

昨日は「立春」の言葉通り春がきたような暖かさでした。
今朝も春の陽気といった暖かさで
神戸の南京町では「春節祭」が始まったそうです。

  立春のまだ垂れつけぬ白だんご  中山純子

 暦の上では立春から春になる。
けれども気象の上からはまだ厳しい寒さがつづく。
唱歌『早春賦(ふ)』では「春は名のみの 風の寒さや」とうたわれる。
景色が整うのはまだ先のことだ。
そんな気分をぴったり象徴するのが<白だんご>かもしれない。
ごまやくるみの垂れをつけて仕上げる直前のさまだ。
 団子は庶民に人気のある菓子で、行事のある特別の日につくることが多い。
つくる途中でふと思い浮かんだ嘱目吟か。
垂れをつければ団子の白さは消えてしまう。
白は最初に存在する色で、明るく澄んで美しい。
(さわ)やかな気分を反映しての作である。

 1927~ 石川県生まれ。「万象」同人。
   句集『沙羅(さら)』『華鬘(けまん)』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
『徒然草』を時々読み返しています。
すると、今まで読み過ごしていた段に心がひかれることがあります。

【第六十八段】
 筑紫(つくし)に、某(なにがし)の押領使(あふりやうし)など
言ふ様(やう)なる者の有(あ)りけるが、
土大根(つちおほね)を万(よろづ)にいみじき薬とて、
(あさ)ごとに二つづつ、焼きて食(く)ひける事、年久しくなりぬ。
(あ)る時、館(たち)の中(うち)
人も無(な)かりける隙(ひま)を計(はか)りて、
敵襲(かたきおそ)ひ来(きた)りて囲み攻めけるに、
(たち)の中(うち)に、兵(つはもの)二人出(い)で来(き)て、
命を惜しまず戦ひて、皆、追ひ返して(ン)げり。
 いと不思議に覚えて、
「日頃(ひごろ)、ここに物(もの)し給ふとも見ぬ人々の、
 かく戦ひし給(たま)ふは、如何(いかな)る人ぞ」
と問ひければ、
「年頃頼(たの)みて、朝な朝な召しつる土大根(つちおほね)らに候(さうらふ)
と言ひて、失(う)せにけり。
 深く信(しん)を致(いた)しぬれば、かかる徳(とく)も有(あ)りけるにこそ。

押領使 反乱の鎮圧や盗賊の追討のために置かれていた官。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

 九州の筑紫に、誰それという押領使(おうりょうし)がいた。
土大根(つちおおね)、つまり大根(だいこん)を万能薬として、
毎朝2本ずつ焼いて食べることが、長年の習慣だった。
ある時、館の中に誰もいない隙を狙って、
敵が来襲し、館の周囲を囲んで攻めてきた。
ところが、誰もいないはずの館に、
突如として二人の兵(つわもの)が現れて、
命を惜しまず戦って、敵をすっかり追い返してしまった。
 とても不思議に思った押領使が、
「普段、この館におられるとも見えないお二人が、
 このように戦って下さったのは、そもそも、どなた様ですか」
と尋ねると、
「私どもは、長い間、あなたが頼りにして、毎朝毎朝、
 召し上がってこられた土大根(つちおおね)どもでございます」と言って、
かき消すように消えてしまった。
 深く信心していると、本当に、こんな徳もあるものなのだ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

 徒然草には珍しく、戦闘場面が出て来るが、
まるで夢の中の出来事のようで、
どこかしら、ほのかなユーモアさえ感じられる。
ちなみに、江戸時代には、徒然草の流行の反映として、
徒然草を脚色した謡曲がいくつも作られた。
それらの多くは、徒然草の名文・名句を綴り合わせながら、
徒然草の内容を教える啓蒙的な謡曲である。
その中にあって、『土大根(つちおおね)』は、
この段以外からの引用はなく、
第六十八段それ自体の面白さを脚色して創作された謡曲である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 話がやや横道に逸れるが、この第六十八段とちょっと似た話が、
徳川家康の伝記『松平崇宗開運録(まつだいらすうそうかいうんろく)』の中に出てくる。
大坂夏の陣の激戦で、徳川軍が形勢不利に陥っていた時、
突然に黒装束の武者が現れて、敵を全滅させた。
不思議に思って持仏の厨子(ずし)を開けてみると、
大黒天の姿が見えなかったので、
日頃信心していた大黒天が助けてくれたのだと納得した、という話である。
こうなると、英雄の生涯を彩る堂々たる話である。
それと比べて徒然草のこの段は、
都から遠く離れた土地での無名の武官の不思議な話にすぎないが、
それがまた親しみ深い。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

 前段末尾の、今出川院の近衛の歌徳説話的な繋がりから
呼び起こされた大根の徳の話であろう。
あるいは、『近衛』からの連想で、
警固に当たる「押領使」の話が出て来たのかもしれない。
さらに徳の話として、次段の仏徳も導き出されていて、
このあたりの続き具合は、
まさに「心にうつりゆく由無(よしな)し事(ごと)」を
書き留めるスタイルならではの魅力的な展開である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年) 
   梅の花
見ても猶(なほ)あかぬにほひはつゝめども袖にたまらぬ梅(むめ)のした風
(『中世和歌集 室町編 新日本古典文学大系47』
  「兼好法師集」伊藤敬他校注 岩波書店 1990年)
いくら見ても飽きることのない梅の香りを袖につつもうとしても、
梅の下を吹いてきたかぐわしい風は袖にたまらないことよ。

本歌「つつめども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬ目の涙なりけり
(古今集・恋二・安部清行)から三・四句を構成、
包み隠せぬ白玉を梅の芳香に転じた。
(『中世和歌集 室町編 新日本古典文学大系47』
  「兼好法師集」伊藤敬他校注 岩波書店 1990年)