今朝も春の陽気といった暖かさで
神戸の南京町では「春節祭」が始まったそうです。
立春のまだ垂れつけぬ白だんご 中山純子
暦の上では立春から春になる。
けれども気象の上からはまだ厳しい寒さがつづく。
唱歌『早春賦(ふ)』では「春は名のみの 風の寒さや」とうたわれる。
景色が整うのはまだ先のことだ。
そんな気分をぴったり象徴するのが<白だんご>かもしれない。
ごまやくるみの垂れをつけて仕上げる直前のさまだ。
団子は庶民に人気のある菓子で、行事のある特別の日につくることが多い。
つくる途中でふと思い浮かんだ嘱目吟か。
垂れをつければ団子の白さは消えてしまう。
白は最初に存在する色で、明るく澄んで美しい。
爽(さわ)やかな気分を反映しての作である。
1927~ 石川県生まれ。「万象」同人。
句集『沙羅(さら)』『華鬘(けまん)』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
『徒然草』を時々読み返しています。
すると、今まで読み過ごしていた段に心がひかれることがあります。
【第六十八段】
筑紫(つくし)に、某(なにがし)の押領使(あふりやうし)など
言ふ様(やう)なる者の有(あ)りけるが、
土大根(つちおほね)を万(よろづ)にいみじき薬とて、
朝(あさ)ごとに二つづつ、焼きて食(く)ひける事、年久しくなりぬ。
或(あ)る時、館(たち)の中(うち)に
人も無(な)かりける隙(ひま)を計(はか)りて、
敵襲(かたきおそ)ひ来(きた)りて囲み攻めけるに、
館(たち)の中(うち)に、兵(つはもの)二人出(い)で来(き)て、
命を惜しまず戦ひて、皆、追ひ返して(ン)げり。
いと不思議に覚えて、
「日頃(ひごろ)、ここに物(もの)し給ふとも見ぬ人々の、
かく戦ひし給(たま)ふは、如何(いかな)る人ぞ」
と問ひければ、
「年頃頼(たの)みて、朝な朝な召しつる土大根(つちおほね)らに候(さうらふ)」
と言ひて、失(う)せにけり。
深く信(しん)を致(いた)しぬれば、かかる徳(とく)も有(あ)りけるにこそ。
押領使 反乱の鎮圧や盗賊の追討のために置かれていた官。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
訳
九州の筑紫に、誰それという押領使(おうりょうし)がいた。
土大根(つちおおね)、つまり大根(だいこん)を万能薬として、
毎朝2本ずつ焼いて食べることが、長年の習慣だった。
ある時、館の中に誰もいない隙を狙って、
敵が来襲し、館の周囲を囲んで攻めてきた。
ところが、誰もいないはずの館に、
突如として二人の兵(つわもの)が現れて、
命を惜しまず戦って、敵をすっかり追い返してしまった。
とても不思議に思った押領使が、
「普段、この館におられるとも見えないお二人が、
このように戦って下さったのは、そもそも、どなた様ですか」
と尋ねると、
「私どもは、長い間、あなたが頼りにして、毎朝毎朝、
召し上がってこられた土大根(つちおおね)どもでございます」と言って、
かき消すように消えてしまった。
深く信心していると、本当に、こんな徳もあるものなのだ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
評
徒然草には珍しく、戦闘場面が出て来るが、
まるで夢の中の出来事のようで、
どこかしら、ほのかなユーモアさえ感じられる。
ちなみに、江戸時代には、徒然草の流行の反映として、
徒然草を脚色した謡曲がいくつも作られた。
それらの多くは、徒然草の名文・名句を綴り合わせながら、
徒然草の内容を教える啓蒙的な謡曲である。
その中にあって、『土大根(つちおおね)』は、
この段以外からの引用はなく、
第六十八段それ自体の面白さを脚色して創作された謡曲である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
話がやや横道に逸れるが、この第六十八段とちょっと似た話が、
徳川家康の伝記『松平崇宗開運録(まつだいらすうそうかいうんろく)』の中に出てくる。
大坂夏の陣の激戦で、徳川軍が形勢不利に陥っていた時、
突然に黒装束の武者が現れて、敵を全滅させた。
不思議に思って持仏の厨子(ずし)を開けてみると、
大黒天の姿が見えなかったので、
日頃信心していた大黒天が助けてくれたのだと納得した、という話である。
こうなると、英雄の生涯を彩る堂々たる話である。
それと比べて徒然草のこの段は、
都から遠く離れた土地での無名の武官の不思議な話にすぎないが、
それがまた親しみ深い。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
前段末尾の、今出川院の近衛の歌徳説話的な繋がりから 呼び起こされた大根の徳の話であろう。 あるいは、『近衛』からの連想で、 警固に当たる「押領使」の話が出て来たのかもしれない。 さらに徳の話として、次段の仏徳も導き出されていて、 このあたりの続き具合は、 まさに「心にうつりゆく由無(よしな)し事(ごと)」を 書き留めるスタイルならではの魅力的な展開である。 |
見ても猶(なほ)あかぬにほひはつゝめども袖にたまらぬ梅(むめ)のした風
(『中世和歌集 室町編 新日本古典文学大系47』
「兼好法師集」伊藤敬他校注 岩波書店 1990年)
いくら見ても飽きることのない梅の香りを袖につつもうとしても、
梅の下を吹いてきたかぐわしい風は袖にたまらないことよ。
本歌「つつめども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬ目の涙なりけり」
(古今集・恋二・安部清行)から三・四句を構成、
包み隠せぬ白玉を梅の芳香に転じた。
(『中世和歌集 室町編 新日本古典文学大系47』
「兼好法師集」伊藤敬他校注 岩波書店 1990年)