2019年2月14日木曜日

曇り空で…

今朝は、曇り空で風が冷たかったです。
池江璃花子さんの
私は、神様は乗り越えられない試練を与えない、」に
渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』を思い出していました。

ふぁりさんの息子さんの言葉もいいな
今朝、小3の男の子が言ったことです。
「池江璃花子さん、大変やな。でも、早くわかってラッキーやったわ。
 オリンピックには『
ゲーム』ってつくやん?
 ゲームより命やん?池江さんは、あと82年生きなあかんのやし!」
  男ではなくて大人の返事をする君にチョコレート革命を起こす  俵 万智

(…略…)

 司馬遼太郎さんの講演録を読んでいて、
「チャイルド」と「アダルト」という言葉に出会った。
人間は大人(アダルト)になっても、子ども(チャイルド)の部分を持ち続けるという。
「チャイルドの部分が芸術を生み、学問を生む。
 チャイルドの部分の少ない人は大人のなかでいちばんつまらない。
 (中略)人間はその生涯において、子供に、親に、女房に、近所に、
 アダルトの部分で接することが多い。
 しかしアダルトな部分だけだと、これはもう俗物であります。
 もっともチャイルドの部分があまり豊富でも困りますが。
 ある心理学の本には、人間にはその調節弁があると書いてありました」
 掲出歌にある「大人の返事は」、「アダルト」のほうに調節弁がはたらいている。
私は、「チャイルド」の部分で君に向き合っているのに……
 という苛立(いらだ)ちが、上の句にあるだろう。
 考えてみれば、人間の心のなかで恋を担当しているのは、「チャイルド」の部分だ。
だから、ここで期待されている「男の返事」というのは、
つまり「チャイルド」の返事なのである。
 もちろん「君」は、そんなこと百も承知で、調節弁を動かしている。
「アダルト」は、摩擦を避ける知恵であり、自分を守る方便であり、
また相手を傷つけないための優しさでもある。
――そうせざるを得ない辛さをすべて察しながらも、
私はなお抵抗せずにはいられない。
だってこれは恋なのだから。
あなたもチャイルドになるべきなのだ。
甘さと苦さをあわせもつ反旗を、私はひるがえした。
チョコレート革命とは、そんな気分をとらえた言葉だった。
(『あなたと読む恋の歌 百首』俵 万智 朝日文庫 2001年)
 『平家物語』より「女院死去(にょいんしきょ)」を転記しますφ(..)
女院死去(にょいんしきょ)

 そのうちに寂光院(じゃっこういん)の鐘の音が響き、今日も暮れたと知られ、
夕日が西に傾くと、法皇もお名残り惜しくは思われたが、
御涙をこらえて御所へお帰りになされた。
女院は今更昔を思い出されて、こらえきれずに流れる御涙のために、
袖で涙をせきとめる事もおできにならない。
ずっと遠くまでお見送りなさって、お帰りの行列もしだいに遠ざかられたので、
ご本尊に向かって、
「先帝聖霊(せんていしょうりょう)、一門亡魂、成等正覚(じょうとうしょうがく)、頓証菩提(とんしょうぼだい)」、
と泣く泣くお祈りになった。
昔、内裏で東に向かわれて、
「伊勢大神宮、正八幡大菩薩、天子宝算(てんしほうさん)、千秋万歳(せんしゅうばんぜい)
と申されたのに、今はうって変わって、西に向かい手を合わせて、
「過去聖霊、一仏浄土へ」と祈られるのは悲しい事であった。
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
 御寝所の襖に、次のように歌を書いておかれた。

  このごろはいつならひてかわがこころ大宮人(おほみやびと)のこひしかるらん
 (仏道に入って後は昔の華やかな生活などは忘れていたのに、
  この頃は宮中の人たちが恋しく思われるが、
  これはいつ習いおぼえて恋しいのだろうか)

  いにしへも夢になりにし事なれば柴(しば)のあみ戸もひさしからじな
 (昔の栄華も夢になってしまった事だから、
  柴で編んだ戸の中のわびしい草庵生活も久しくはないだろうな)
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
法皇の御幸のお供をしておられた徳大寺左大臣実定公は、
次の歌を御庵室の柱の書きつけられたとかいうことだ。

  いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺(みやまべ)の里
 (昔宮中におられた時は月にたとえて仰いだ君―女院―であるが、
  今大原の深い山辺の里ではその光もなく、
  暗いわびしい生活をしておられる)


これまでの事、将来の事など思い続けられて、御涙にむせんでおられるちょうどその時、
山郭公(やまほととぎす)が鳴いて通ったので、女院は次のように詠まれた。

  いざさらばなみだくらべん時鳥(ほととぎす)われもうき世にねをのみぞ鳴く
 (時鳥よ、さあそれなら互いに涙を比べよう、
  私もお前と同様にこの憂き世に生きて、鳴いてばかりいるのだ)
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
 そもそも壇浦で生け捕られた人々は、京都の大通りを引き回して首をはねられたり、
妻子と離れて遠い地方に流された。
池の大納言のほかは、一人も命を生かされず、都に置かれなかった。
けれども四十人余人の女房たちの御事については、
特別の処分もなかったので、親類に従い、縁者を頼っておられた。
上は立派な御殿の御簾(みす)の中に至るまで、風の吹かない平穏な家もなく、
下は柴の戸のわびしい住居に至るまで、塵(ちり)の立たない静かな家もない。
枕を並べて寝た夫婦も、空のかなたに別れ別れになってしまった。
養い育てた親と子も、どこへ行ったかもわからず別れた。
互いに慕う思いは尽きなかったが、嘆きながらそのまま過ごしておられた。
これは全く入道相国清盛が、天下を掌中におさめて、上は天子御一人をも恐れず、
下は万民の事を顧みないで、死罪・流罪を思うように行い、
世間も人もはばからずふるまわれたのが招いた結果である。
父祖の罪業は、子孫に報いるという事は疑いない事と思われた。
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
こうして年月を過ごしておられるうちに、女院はご病気にかかられたので、
中央の阿弥陀如来の御手にかけた五色の糸をお持ちになって、
「南無西方極楽世界の教主阿弥陀如来、必ず極楽浄土へお引き取りください」
といって、お念仏を唱えられたので、
大納言佐の局と阿波内侍は女院の左右に付き添って、
今が最期という悲しさに、声も惜しまず泣き叫んだ。
お念仏を申される声がしだいにお弱りになったところ、
西に紫の雲がたなびいてなんとも言いようのないすばらしい香りが室内にみち、
音楽が空の方で聞こえる。
寿命は限りのある事なので、建久二年二月の中旬にご生涯がとうとうお終わりになった。
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
大納言佐・阿波内侍は、女院が中宮の御位の時から片時もお離れしないで、
お側に付き添っておられたので、ご臨終の御時、別れの悲しみにとり乱したが、
それでもなんとも悲しみの晴らしようがなく思われた。
この女房たちは昔の縁者もすっかり亡くなってしまって、寄るべもない身であるが、
命日命日の御仏事を営まれるのは感慨深く哀れな事であった。
そしてこれらの人々は、龍女(りゅうにょ)が悟りを開いたという先例にならい、
韋提希夫人(いだいけぶにん)が釈迦の説教を聞いて往生したように、
みなついに往生したいというかねての望みを遂げたという事であった。
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
池の大納言 平頼盛(たいらのよりもり)
 母の池の禅尼(ぜんに)が頼朝の助命に関して力があったので、
 一門の中で、彼だけが後に好遇された。
(『平家物語二 日本古典文学全集30』
   市古貞次 校注・訳 小学館 昭和50年)
以上で『平家物語』「灌頂の巻」を終わります。