2019年2月25日月曜日

暖かい朝…

今朝もいい天気で暖かかったです(^。^)
暖かすぎて途中でウィンドブレーカーを脱いだくらいです(;'∀')
昨日の沖縄の県民投票の結果を見て意外だったのは
「どちらでもない」が5万2682票に留まったこと
初め県民投票に反対だった市町村が参加に傾いたのは
政府も含めて「どちらでもない」が多くなることを期待したのではないかな?
こん回の結果が出ても政府は埋め立てを中断しようとしない
県民の意思を無視しても内閣の支持率は変わらないと読んでいるのでしょうね。
『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』より
竹内理三氏と大原 富枝氏の対談などを転記しますφ(..)
●六波羅という土地
 平家一族の居宅は、清盛の祖父正盛(まさもり)が館をかまえて以来、
京都六波羅(ろくはら)に集中していた。
六波羅とは鴨川(かもがわ)の東、五条から七条を言い、
もとは死体を遺棄(いき)する鳥辺野(とりべの)の一部であった。
だが、清盛のころには、鳥辺野はずっと東に後退しており、
平家集落の南には、後白河の法住寺殿(ほうじゅうじどの)などが営まれていた。
 正盛がここに領していたのは方(ほう)一町(ちょう)(約1ヘクタール)であったが、
清盛のころには二十余町となり、
一族郎党(ろうとう)が五千余の家屋敷を構えていたという。
(『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』
  学習研究社 1978年)
竹内理三
 わたくしは最近、大学の講義でもちょっとやったのですが、
平家が六波羅に屋敷を構えたのはなぜだろうか、
ということを考えてみたのですよ。
いろいろ調べてみました。
そうすると、あの六波羅というのは昔の鳥辺野なんですね。
鳥辺野には火葬に従事していた人がたくさん住みついていて、
あの時分には聖(ひじり)という市井(しせい)の僧がたくさん住んでいたのです。

大原 富枝 ええ。
(『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』
  学習研究社 1978年)
竹内
 こういった人たちは、いわば疎外者(そがいしゃ)ですね。
六波羅というのは、そういう者が住みついた鳥辺野付近なんですね。
 平家がなんで普通の人ならいやがる所に屋敷を構えたかということを、
いろいろ考えてみたんですが、まだうまい解答は出ないのです。
 ちょっと我田引水なんだけれども、
まず聖というのは諸国を乞食(こつじき)してまわるわけです。
だから天下の情報網なのですね。
それからもう一つは、聖というのは諸国を回遊するときに武装するのですね。
武装といったって、いわゆる武装ではなくて、
鉄の杖(つえ)をつくのだけれども、杖が武器になっているのですね。
いわゆる高野聖(こうやひじり)というのがおりますが、
あの時分、六波羅なんていのうは高野聖がたむろしておったところですね。
 このことは雑誌論文に書いたことがあるのですが、それを読んだ人が、
乞食が平家琵琶をかついで『平家物語』を好んで語った理由がわかったというのです。
やっぱり平家のそういう態度が
聖、乞食などの共感を呼ぶ大きな一つの原因になったんだろうと。
これは、ぼくは学生に教えてもらったんだけれどね。(笑い)
しかし、そんなことはだれも書いていないし、証拠はないわけだけれども、
やっぱり平家時代に対する共感がなければ、
琵琶法師(びわほうし)といえども全国に平家の唱導をやらないと思うのですよ。
(『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』
  学習研究社 1978年)
大原 いくら平家の一大悲劇であったとしてもですね。

竹内
 『平家物語』の中に、禿童(かむろ)をスパイに使い、
市街に放って平家の悪口を言うやつをどんどん捕らえる話がありますね。
この禿童というのは、わたくしはそういう疎外者的な連中だと思いますね。
まあ禿童というのは大体若い子供だということになっておりますけれども、
賤民(せんみん)は大人(おとな)になっても大人の名前が名乗れないんですよ。
大人にってもなんとか丸(まる)とかなんとか、小さい時分の名前を使っているわけです。
だから、禿童の話が伝えられているが、なにも子どもではないのですね。
そういう連中を平家が使ったわけです。

大原 そうなのですか。
(『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』
  学習研究社 1978年)
竹内
 わたくしはやっぱり平家というのは、そういう点でも好きなんだな。
源氏のように将軍になっておさまってしまわないから……。

大原 そう、非常にそこのところが違いますね。

竹内 ええ、非常に庶民的ですね。
その点は後白河とも共通しますね。

大原
 やはり清盛は、伊勢から出て来た先祖からの田舎(いなか)出のよさというものを、
いろいろの面に生かしていますね。
(『人物群像・日本の歴史 第5巻 源平の争乱』
  学習研究社 1978年)
昨日の「天皇陛下御在位三十年記念式典」でのお言葉の中に
美智子さまの歌を引用されていました。

ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)

陛下は「諸人」の言葉に耳を傾けて
憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道」を常に考えてこられました。
憲法を尊重し平和を願うお気持ちは皇太子にも引き継がれてゆくと思います。
一方、国民の声を聞くことができる指導者がいると思えないのです。
今朝の父の一枚です。
撮影しているときに通りすがりの人に聞かれて
コゲラ」と答えていました(^^)v

追伸)こんなCMを流すメーカーもあるのですね(◎_◎;)
日本のメーカーのように政治的なメッセージをしたと
クレームをつけるのと大違いだな…
Nike - Dream Crazier
字幕を付けてくださった方がいる!(^^)!
藤井美穂/女優プラスサイズモデル」(2月25日)