2017年3月29日水曜日

曇り空からしだいに晴れ間が(^。^)

花言葉は「約束を守って下さい」(^_-)


連翹(れんげう)の黄のことさらや宿酔
(『鈴木真砂女全句集』)
春にはと思う心に早い桜
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
女らしき虚無僧見たり山櫻
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
お行儀のいい子が鎮座していました(o^^o)
    律(りつ)土筆取にさそはれて行けるに
家を出でゝ土筆摘むのも何年目
(『子規句集』)
ここにもお行儀がいい子が( ^-^)
キュウリグサ
花は巻き貝のようにくるりと巻いているのですが、これはサソリの尾のように見えるので、「サソリ状花序」と呼ばれています。
(『花のおもしろフィールド図鑑(春)』)
今朝もアンズで出会えました♪

 明治時代になると、新たに現れた‘染井吉野’がその後の花見の様式をすっかり変えた。
‘染井吉野’は江戸時代の終わりに「吉野桜(よしのざくら)」として江戸の染井村から広まった栽培品種で、明治時代に爆発的に全国に広がり、今では北海道の南部から鹿児島まで日本全国に無数に植えられている。
こうして流行した理由はいくつかあるが、そのひとつに、理想とする花見に様式に都合が良かったことが考えられる。
江戸時代におこなわれるようになった庶民的な花見において、満開の花の木の下で飲食をすることは理想的な姿であった。
多くの花見客がこうした花見をおこなうためには、花つきがよい、木が早く大きく育つ、一斉に咲くなどの条件が必要である。
それまで花見の中心であったヤマザクラはこうした条件にあわず、遠くから眺めることに適している。
一方、‘染井吉野’はこれらを兼ね備えた特徴をもっており、庶民が理想とするお花見の桜であったからこそ、爆発的に広がったと考えられる。
そして、‘染井吉野’が広がることで、現代の我々がおこなっているお花見の様式も定着したといえるだろうか。

(『』)
このナズナの風情は日本の早春の田畑に実によく似合います。
しかし、写真でこのナズナを撮ろうとすると意外にもいつも苦労させられます。
まずはその時期の短さです。
ナズナの花は下から咲き上がっていくのですが、そのスピードはなかなかのものです。
1週間も油断しているとすっかり大きくなってしまって、ひょろひょろになってしまいます。
写真に撮るにはやはり程々の大きさころのものが画面にまとまりやすいので、タイミングが重要です。
また、花自体は小さいので、普通に撮ると背景にまぎれてしまって、何が写っている写真なのかわからなくなってしまいます。

(『花のおもしろフィールド図鑑(春)』)
↑何が写っているか分からないのでアップで(^^ゞ
アオジ♀がクヌギに止まっていました(^。^)

◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇

 夕方、父と妹の三人で母を見舞いました。
着いた時は、熱で苦しそうにしていましたが
しばらくして主治医の先生が首からカテーテルを抜いて下さった。
母は、ホッとしたのか穏やかな顔になりました。
というのか、見ている私たちの方がホッとしたというのが正直な気持ちです。
でも、それだけに母には、少しでも多く食べてもらいたいのですが…

2 件のコメント:

  1. KAZEさん

    こんばんは
    毎日お見舞い頭が下がります
    私は病院に行くだけで緊張してしまい
    疲れてしまいます
    今日はどんな様子だろうかと
    病室に入るのが怖かったです
    お母様の様子に一喜一憂されると思いますが
    KAZEさんが倒れてしまわれないように
    気をつけてくださいね


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    1. becoさんおはようございます(*^O^*)/

      もし心筋梗塞を発症していなかったら
      嘱託など仕事をしていたと思います。
      妹も仕事をしていませんので
      父と妹、σ(^_^;は、母の見舞いに毎日出かけることができます。
      また、σ(^_^;が心筋梗塞や腸からの出血で入院した時
      父と母は毎日、見舞いにきてくれました。
      老齢の両親には、毎日、見舞いに来なくてもいいよと言っても
      「顔を見ると安心できるから」と来てくれていました。
      その時の、両親の気持ちがよく分かります。
      Kazeが発病して仕事ができなくなったことは
      母のために神様が時間を下さったのだと思っています。

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m