モモは古来、中国で仙果、長寿の果物とされ、
一個食べると齢(よわい)千年保つという。
この思想が日本へも伝わって、
古事記の黄泉の国の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が桃の子三つを投げて
黄泉醜女(よもつしこめ)(死の邪鬼)を追い払う話に現れ、
またモモで邪鬼を払う信仰が現在も各地に残っている。
桃太郎のお伽話にしても、老夫婦に子宝、つまり長寿と若返りを意味し、
鬼退治もモモの神通力を寓話にしたものと解釈されるわけである。
(星川清親)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/ 朝日文庫1988年)
一個食べると齢(よわい)千年保つという。
この思想が日本へも伝わって、
古事記の黄泉の国の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が桃の子三つを投げて
黄泉醜女(よもつしこめ)(死の邪鬼)を追い払う話に現れ、
またモモで邪鬼を払う信仰が現在も各地に残っている。
桃太郎のお伽話にしても、老夫婦に子宝、つまり長寿と若返りを意味し、
鬼退治もモモの神通力を寓話にしたものと解釈されるわけである。
(星川清親)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/ 朝日文庫1988年)
なんか厳しい目つきですね(*´∀`*)
ジョウビタキ♀が朝ご飯を探していましたp(^-^)q
巻第八 1423
中納言阿部広庭卿(あべのひろにはのまへつきみ)の歌一首
去年(こぞ)の春い掘(こ)じて植ゑしわが屋外(やど)の若樹(わかき)の梅は花咲きにけり
去年の春には根を掘って移し植えたのだったが、
中納言阿部広庭卿(あべのひろにはのまへつきみ)の歌一首
去年(こぞ)の春い掘(こ)じて植ゑしわが屋外(やど)の若樹(わかき)の梅は花咲きにけり
去年の春には根を掘って移し植えたのだったが、
ジョウビタキ♂
人間がカワラバトを伝書鳩あるいはレース鳩として品種改良し、
それが逃げ出して、野生に戻ったものがドバトです。
しかし、元となったカワラバトは日本に生息してはいません。
つまり、海外で品種改良された伝書鳩やレース鳩が日本に輸入され、
それが日本国内で逃げ出して野生化したのが現在のドバトなのです。
では、このドバト、いつごろ日本に持ちこまれたのでしょうか。
少なくとも平安時代の文献には、
それが逃げ出して、野生に戻ったものがドバトです。
しかし、元となったカワラバトは日本に生息してはいません。
つまり、海外で品種改良された伝書鳩やレース鳩が日本に輸入され、
それが日本国内で逃げ出して野生化したのが現在のドバトなのです。
では、このドバト、いつごろ日本に持ちこまれたのでしょうか。
少なくとも平安時代の文献には、
今のドバトだと思われるものが書かれていますので、
そのころにはいたと思われます。
当時は、ドバトではなく、ドウバトと呼んだようです。
漢字で書くと、堂鳩。
つまり、お堂によくいるからということなのでしょう。
ヨーロッパでも寺院などでドバトが飼われていました。
その風習が日本にも伝わって、
当時は、ドバトではなく、ドウバトと呼んだようです。
漢字で書くと、堂鳩。
つまり、お堂によくいるからということなのでしょう。
ヨーロッパでも寺院などでドバトが飼われていました。
その風習が日本にも伝わって、
久しぶりに会えました♪
ヤマガラは鎮守の森や雑木林の減少とともに首都圏で一時期大きく数が減り、
たとえば東京23区で生き続けてこられたのは、明治神宮の森だけであったという。
ようやく近年になって、首都圏でも周辺部から回復の兆しがみられている。
いつも2羽連れで森を移動し、他のカラ類の群れにも入るが、
家族でいる時期を除いてヤマガラだけで大きな群れをつくることはない。
(『鳥のおもしろ私生活』)
たとえば東京23区で生き続けてこられたのは、明治神宮の森だけであったという。
ようやく近年になって、首都圏でも周辺部から回復の兆しがみられている。
いつも2羽連れで森を移動し、他のカラ類の群れにも入るが、
家族でいる時期を除いてヤマガラだけで大きな群れをつくることはない。
(『鳥のおもしろ私生活』)
巻第二十 4418
我(わ)が門(かど)の片山椿(かたやまつばき)
まこと汝我(なれわ)が手触(ふ)れなな地(つち)に落ちもかも
右の一首は、荏原郡(えばらのこほり)の上丁物部広足(じやうちやうもののべのひろたり)。
門前の片山の椿よ、ほんとうにお前は、
我(わ)が門(かど)の片山椿(かたやまつばき)
まこと汝我(なれわ)が手触(ふ)れなな地(つち)に落ちもかも
右の一首は、荏原郡(えばらのこほり)の上丁物部広足(じやうちやうもののべのひろたり)。
門前の片山の椿よ、ほんとうにお前は、
私が手を触れないうちに土に落ちて了うのだろうか。
▽意中の女性を得られぬままに出征する男の嘆きであろう。
椿は花びらを散らすのではなく、花全体がぽたりと落ちる。
自分が触れもしなかった女性が、
▽意中の女性を得られぬままに出征する男の嘆きであろう。
椿は花びらを散らすのではなく、花全体がぽたりと落ちる。
自分が触れもしなかった女性が、
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後から父と二人で家具店に行って父のベッドを購入しました。
母には介護ベッドを用意するので
そのそばにベッドを置くためです。
カーペットなども買った後、病院へ母を見舞いました。
夕方、もう一度くるからねと声をかけて帰りました。
母には介護ベッドを用意するので
そのそばにベッドを置くためです。
カーペットなども買った後、病院へ母を見舞いました。
夕方、もう一度くるからねと声をかけて帰りました。
夕方、父と妹と三人で見舞いに行きました。
昨日もそうでしたが、冷たい風と小雨が降っていて
春の足音ではなく、冬の雄叫びのような風が吹いていました(°°;)
昨日もそうでしたが、冷たい風と小雨が降っていて
春の足音ではなく、冬の雄叫びのような風が吹いていました(°°;)
夕食の前に看護師さんのMさんが来てくれて
これからのことを聞いてくれました。
今の状態(高栄養の点滴など)では、転院しないといけないのだけど
家族の願いは、母を家に連れて帰ることだと返事をしました。
家に連れて帰りたいという気持ちをそばで聞いてくれていた母は
食べた量は、まだまだ少ないですが母なりに頑張ってくれたと思います。
看護師のMさんは、Kazeが6年前に集中治療室にいたときにも
これからのことを聞いてくれました。
今の状態(高栄養の点滴など)では、転院しないといけないのだけど
家族の願いは、母を家に連れて帰ることだと返事をしました。
家に連れて帰りたいという気持ちをそばで聞いてくれていた母は
食べた量は、まだまだ少ないですが母なりに頑張ってくれたと思います。
看護師のMさんは、Kazeが6年前に集中治療室にいたときにも
お世話になり、励ましてもらいましたp(^-^)q
KAZEさん
返信削除こんばんは
風が冷たい1日でしたね
お母様の退院準備お疲れ様でした
自宅に帰られると
きっと気分も変わって
食べたいものも出てくるでしょう
お父様の負担は
介護保険を使って軽減できるといいですね
becoさんおはようございます(*^O^*)/
削除風が冷たい日が続いていますね…
>きっと気分も変わって
母の「家に帰りたい」という言葉に希望を持っています。
Mさんは、母の容態と私たちのことを心配して
話を聞きに来てくれました。
その時のやりとりを聞いていた母は
熱があり、腰や点滴を挿入している喉の痛みをこらえながら食べてくれていました。
転院するとショックからなおさら食べる意欲がなくなると思っています。
介護の再認定をするには、容態の安定が必要みたいです。
介護調査員の方などと連絡をとりあっています。