門前の小家(こいへ)もあそぶ冬至哉 野沢凡兆
冬至には一日業を休む習慣のある禅寺の門前と解してよく,
小家は参詣客相手とする小さな店であろう。
冬至を迎えて,禅寺では一日業を休んで祝っている。
衆僧も暇を与えられて,思い思いに一日の暇を楽しんでいる。
門前の小店に人たちものんびりとくつろいでいることだ,との句意である。
閑散とした禅寺のさまを、門前の小家を描くことによって暗示した手法で,
庶民生活によせる作者のやさしいまなざしは
「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」の句にも示されたとおりである。
季語は「冬至」で冬。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
冬至には一日業を休む習慣のある禅寺の門前と解してよく,
小家は参詣客相手とする小さな店であろう。
冬至を迎えて,禅寺では一日業を休んで祝っている。
衆僧も暇を与えられて,思い思いに一日の暇を楽しんでいる。
門前の小店に人たちものんびりとくつろいでいることだ,との句意である。
閑散とした禅寺のさまを、門前の小家を描くことによって暗示した手法で,
庶民生活によせる作者のやさしいまなざしは
「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」の句にも示されたとおりである。
季語は「冬至」で冬。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
モズ♀に会えたけど,近付く前に…
メジロにも会えたけど…
(;_;)/~~~
また会えたけど…
鵙去て木葉飛ぶ事しきりかな 篠原温亭
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
ガマの穂が綿あめになっている(^。^)
金槐和歌集 巻之上 冬部
野霜
花すゝき枯れたる野べにおく霜の結(むす)ぼゝれつゝ冬は來にけり
結ぼゝれつゝ―霜が結晶しつつの意にわが心も欝結(うっけつ)しながらの意をかねさせた。
(『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』
風巻景次郎・小島吉雄校注 岩波書店 昭和36年)
野霜
花すゝき枯れたる野べにおく霜の結(むす)ぼゝれつゝ冬は來にけり
結ぼゝれつゝ―霜が結晶しつつの意にわが心も欝結(うっけつ)しながらの意をかねさせた。
(『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』
風巻景次郎・小島吉雄校注 岩波書店 昭和36年)
落葉して遠くなりけり臼(うす)の音 蕪村
秋のころはあちこちに農家に庭にすえた籾(もみ)すりの臼の音がにぎやかに聞こえていた。
しかし,落葉の降るころにもなると,納屋の中などで臼をひくようになるので,
遠くの物音に聞こえる、との句意。
農家を囲む木立が落葉すれば,隣は今までよりも近々と見えるものだが,
臼をひく音はかえって遠くなったという着想であろう。
季語は「落葉」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
秋のころはあちこちに農家に庭にすえた籾(もみ)すりの臼の音がにぎやかに聞こえていた。
しかし,落葉の降るころにもなると,納屋の中などで臼をひくようになるので,
遠くの物音に聞こえる、との句意。
農家を囲む木立が落葉すれば,隣は今までよりも近々と見えるものだが,
臼をひく音はかえって遠くなったという着想であろう。
季語は「落葉」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
梅の蕾が膨らんでいました♪
ソシンロウバイは今にも開き出しそう♪
午後からやって来ましたが,オオイヌノフグリが咲いていたのかな?