2026年1月9日金曜日

風がないので…

今朝は薄曇りでしたが、風があまり吹かなかったので助かりました。
帰る頃には青空が見えたのですが

あすからの3連休 大雪や猛吹雪に警戒 最新の気象情報に注意を」(NHK)
 「山梨 山林火災 火の不始末などから燃え広がったか」(NHK)

雨が少なく乾燥注意報が出ていたうえに強風が吹いている。

歴史探偵「火災都市江戸のヒーローたち」に出演していた

国際日本文化研究センター教授のフレデリック・クレインスさんの本には、
伊藤若冲の生活を脅かした天明の大火についても書かれています。
図は、転記できませんので
花洛一覧図 [文化5年(1808)]」(国立歴史民俗博物館)を参照してください。
 第五章 商館長ファン・レーデが記した京都天明の大火
 京都大火の猛威


 前述したように、ファン・レーデは江戸参府のために1788年2月21日に長崎から出発した。
瀬戸内海を通る船上で過ごした最初の2週間は、特記するようなことはほとんど書かれていない。
ところが、兵庫に辿り着いた時に、ファン・レーデは「数日前に京都という町がほぼ完全に焼失した」という知らせを受けた。
(『オランダ商館長が見た 江戸の災害』フレデリック・クレインス・著、磯田道史・解説 講談社現代新書 2019年)
 この「とてつもなく恐ろしい火災」に関する情報は、その直後に大坂の宿主から届いた書状によって裏付けられた。
書状に記されていた内容によると、「火事は和暦の正月二十九日すなわち西暦三月六日の朝三時に五条川の東側で始まった」。
ファン・レーデの日記に綴られている「五条川」は、京都の東側を南北方向に流れている「鴨川」を指している。
通詞がファン・レーデのために書状を口頭で翻訳する際、聞きまちがえたのかもしれない。
 また、本書の第三章で説明したとおり、当時の人びとは早朝を前の日として認識する場合もしばしばあった。
京都大火の発生日について、ファン・レーデの日記では正月二十九日と記されているが、正確には三十日(西暦1788年3月7日)である。
これは、ファン・レーデが兵庫に到着する三日前であった。
 日記では京都での火災に関する情報が次のように記されている。
「風は東から強く吹いて、炎は瞬く間に前述の川および五条大橋を越えて、西方向に東本願寺および東寺という大きな寺院にまで及んだ。風がこのように西に向かっていたので、町の中心部は灰と化してしまった。その後に風向きが南東に変わり、二条城や京都所司代の屋敷、両奉行所を含む北西の全域を焼き尽くした。そして風が三度目にふたたび北西へ向けてさらに強く吹き、数えきれない場所に延焼し、天皇の城〔御所〕およびすべての宮殿〔公家屋敷〕を含む、それまで助かっていたところまでも瓦礫と化した。さらに、〔炎は〕五条川をふたたび越えながら、そこでもまたいくつかの破壊をもたらした。その後、この恐ろしい火災は、三日も続けて猛威をふるった後に二月一日つまり西暦の三月八日に鎮火した」。
 ここで、江戸後期の画家横山華山(よこやまかざん)によって描かれた京都の鳥瞰図「花洛一覧図」を参照してみる(図27 天明の大火を示す範囲。中央の団栗辻子、右上に大仏殿、右下に東寺、中央左下に二条城、中央左端に御所が見える:省略)。
これは、華山の生没年(1784~1837)および同図で描かれている建物から推定すると、ファンが京都を訪れた時期の少し後に作成されたものであろう。
 ファン・レーデの日記によると、京都の大火は鴨川の東側から出火した。
日本側史料で確認すると、火事の発生場所は、確かに鴨川の東側の団栗辻子(どんぐりのずし)という小路である。
「花洛一覧図」では、右上に描かれているひときわ大きな建物(大仏殿)から少し北(図では左)へ行くと、大きな橋が見える。
それが五条大橋である。
さらに北へ行くと、四条通りの近くに住宅の密集した地区が見える。
その地区に団栗辻子がある。
 ファン・レーデの日記には、強風のため火が五条大橋を越え、東本願寺および東寺にまで及んだと記されている。
一方、「花洛一覧図」には東寺は図の右下に見え、東寺京都の町の最南端に位置した。
ここからわかるとおり、鴨川以西の南地区が完全に焼失したことになる。
 火は次に二条城、その北側に位置する京都所司代の屋敷および二条城の南西に位置する東西両奉行所を含む全域を焼き尽くした。
「花洛一覧図」の中央左下部分に描かれている城が二条城である。
図で見られるように、二条城は当時町の最西端に位置していたので、火災がいかに広範囲にわたったかがわかる。
 その後、火は延焼地域を拡大し、御所およびその周辺の公家屋敷をも飲み込んだ。
御所は「花洛一覧図」において図の中央左端に描かれている建物群である。
御所は京都の最北端に位置していた。
ファン・レーデの日記の記述に沿って、火の延焼経過を「花洛一覧図」の図上で辿っていくと、火災は当時の京都の町の隅から隅までほぼ全域に及び、すべてを破壊したことがよくわかる。
(『オランダ商館長が見た 江戸の災害』フレデリック・クレインス・著、磯田道史・解説 講談社現代新書 2019年)

天明の大火(てんめいのたいか)」(フィールド・ミュージアム京都)
今朝の父の一枚です(^^)/
モズの会えたので大喜びでした!
モズの句ではありませんが(^_-)

 ねこに来る賀状や猫のくすしより 久保より江 

『ホトトギス雑詠選集 冬之部』(昭18)所収。
「くすし」は医師。
ふだん飼い猫がかかっている医師から、猫あてに年賀状が来たのである。
大正15年の作。
70余年前の日本人の生活情景である。
今では動物医院からカレンダーが届くことはあるが、年賀状となると、さていかが。
作者は松山の生まれ。
彼女が少女期を過ごした伯母の上野家では、松山中学教師夏目漱石が下宿していたため、彼女は漱石やその友で松山出身の子規にかわいがられた。

 …後略…

(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)
 昨日から学校は、三学期が始まっています。
私は、今日から「心臓リハビリ」が始まりましたρ(^^)q
30分間、エルゴメーター(自転車)を漕ぎながら心電図などを撮ってもらいました。
消費カロリーは、16.59kcal
回転回数は、1555回でした。