2026年1月12日月曜日

成人の日

昨日よりも気温が低いのに
暖かく感じたのは風があまり吹かなかったからかな?
「成人式」が今日で良かったですね(^_^)v
先日、約150段の石段でも大変だと思ったけど
若者たちは地下1階から60階まで1637段の階段も上がったんだ(°0°)

「大人の階段をのぼろう」20歳が60階まで歩きあがる 大阪〟(関西NHK)
もうこういう習俗は残っていないようですが

 第三章 人生の節目に現われる神仏
 世間を知るための娘組


 若者組への加入の多くが一定年齢に達したことをもってなされるのに対し、娘組へは女児の生理的変化、すなわち、初潮のころをもって加入資格とするところが多かった。
 しかし、娘組入りの儀式や娘宿での教育は、若者宿でのそれほど厳しくはなかった。
 若者組が自警消防や祭礼参加などの実務的存在としてムラ社会内で果たす機能をもっているのに比べ、娘組は、ムラ社会のなかで組織的に活動する必要がなかったからである。
したがって、娘組の機能は、結婚までの一時期、嫁入り前の娘としての振舞や作法を習得することを主としていた。
そこでは、年齢的な成長よりも、子を産める一人前の女であるか否かの方が重視された、とみてよかろう。
 また、結婚前に、一度は郷里を離れて巡礼に出ることもあった。
そこでは、初老の経験者が引率して日々の教育をすることの意味が大きかった。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年)
 若者宿と同様、娘仲間で宿をもつこともあった。
そこでも、年上の娘から裁縫を習ったり、ヤドオヤの畑を手伝ったりするなかで、嫁入り前のたしなみを覚えていったのである。
 娘宿には、時々若者が遊びに来たことが知られている。
そうしたなかで、結婚相手をみつけること、その選び方などを娘仲間同士で学んでいく。
どのような結婚相手を選ぶかは、娘にとってその後の生活を左右するきわめて重要なことであり、家庭教育からだけでは学べない社会生活の知恵を、同齢の娘仲間や若者たちとのつきあいを通して学ぶ。
それは、貴重な経験だったのである。
村落社会は、封建的にして閉鎖的である、という印象もあろう。
そうでもあったが、こうした「風通し」もあった。
それが、後の青年団活動にもつながってゆく、とみることもできるであろう。
 こうした娘組の習俗は、若者組以上にたどりにくくなっている。
以上の概略も、『民俗学辞典』(柳田國男監修)と『人生儀礼事典』(倉石あつこ他編)を参考にしたことを付記しておく。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年)
私は、成人式に出席しませんでした(^^ゞ
私の時代は、成人式と言えば1月15日でした。
この15日にいっぷう変わった行事があり、
『枕草子』を読んだ時に平安時代の人たちもこんな遊び(?)をしていたんだと身近に感じました。

 第一章 正月とその意味
 2 小正月の習俗
 新嫁の尻叩き


 正月の行事でいっぷう変わった行事が、平安時代から貴族の社会でも行われていた望粥(もちがゆ)の行事です。
小正月に粥を炊いてその粥をつけた粥杖で女性の尻を叩いて子授けのまじないにするという奇妙な習俗でした。
『枕草子』第三段には次のようにあります。
(『春夏秋冬の年中行事 日本の暮らしと伝統』新谷尚紀 吉川弘文館 2025年)
  十五日望粥の節供(せく)まゐりすゑ、粥の木ひきかくして、家の御達(ごたち)女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心づかひしたるけしきもいとおかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるはいとはへばへし
 十五日は望粥の節供で、粥を食べる日ですが、その粥を掻(か)き交ぜた木で他の人物のお尻を叩くという行事であり、その粥の木をひきかくして男子も女子もおたがいに叩かれないようにうかがっている中で、誰かが上手に打ち当てると、それがおもしろくみんなで大笑いしてはえばえしくはなやいでいると書かれています。
また、『狭衣物語(さごろもものがたり)』巻四には、
  十五日には若き人々群れ居つゝ、おかしげなるかゆ杖引かくしつつ、かたみにうかゞひ、打たれじと用意したるゐずまゐ・思はくどもも、各々おかしう見るを、大将殿は見給ひて「麻呂を集まりて打て、さらばこそおのれらも子はもうけん、誠にしるしあることならば痛うとも念じてあらむ」なとのたまへば皆打わらひたる
とあります。
当時の貴族社会では正月十五日には粥杖で男女の尻を打つことが行われており、それは遊戯化していた行事であったことがわかります。
そしてそれは子どもを授かるまじないとも考えられていたことがわかります。
 その後、中世の公家の社会でもこの行事が行われていたことが、『建武年中行事(けんむねんちゅうぎょうじ)』の「十五日 御かゆなどまいる外、ことなることなし、わかき人々杖にてうちあふ事あり」という記事や、『下紐(したひも)』(里村紹巴<さとむらじょうは>、1590)の「十五の粥杖にて打つ古事可勘、禁中も粥杖にて女房を打てば男子を生すとて打つ也」などという記事によってわかります。
 近世後期の文化年間(1804~18)の屋代弘賢(やしろひろかた)の質問調査「諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)」の対する答書にも、日本各地の尻叩きや地面叩きの行事が小正月だけでなく五月節供の行事としても記されています。
つまり、そのような女性の尻叩きの習俗というのは非常に長い歴史をもつものだったのですが、戦後の高度経済成長期(1955~73)を経る中で、農林水産業中心から重化学工業を中心とする製造業や商品流通業や金融業などの企業中心へという大きな生業変化とそれにともなう社会生活の変化とともに、その尻叩きの習俗は消滅していったのでした。
しかし、その後の民俗学の調査と研究によって、日本各地の事例情報の収集と整理から次の①~⑤の点を指摘するこができています。
 ①小正月に粥杖などの祝い棒のたぐいで新嫁の尻を叩くという事例は、東北地方の岩手県下から関東、中部、近畿、中国、四国から九州地方の鹿児島県下にまで広く各地に伝えられており、新嫁に限らず女性や男女とも叩くという遊戯化された事例も東北の秋田県下から九州の鹿児島県下まで広く各地に点々と伝えられていた。
 ②小正月ではなく、田植の季節の五月節供に菖蒲の束で女性や男女ともその尻を叩くという事例が、北陸の富山県下から近畿、中国の山口県下まで日本海沿岸地方の各地に点々と伝えられていた。
 ③小正月の事例では、多くが子孕みや子授けのまじないだと考えられていた。
 ④五月節供の事例では、子孕みや子授けとはまったく考えられていなかった。
 そして、嫁の尻叩きがなぜ小正月では子孕みや子授けのまじないとなっているのか、という点については、折口信夫の「月および槻の文学」(折口信夫「月および槻の文学」『折口信夫全集』ノート編第二巻、中央公論社、1970)という論文から、『古事記』の倭建命(やまとたけるのみこと)と尾張の美夜受比売(びやずひめ)との神婚と月経をめぐる神話が注目されました。
そこから、「月立ち」朝日の新月と満月の月経との関係、つまり女性の満月の日と排卵という生理の周期とその生殖能力に連動する万物豊穣への類似連想的な観念が、古くから満月の日の行事に底流しているのではないかという仮説が導き出されました。
小正月の行事にさまざまな予祝の儀礼が集中しているその背景には、月の満ち欠けと女性の生理のリズムに連動した満月と万物豊穣へおちう祈願の観念が古代から長く底流し伝承されてきているのではないかということでした。
一方、五月節供の尻叩きは、おもに早乙女を対象としており、田植えを前にした祓え清めの意味をもつものだということでした(新谷尚紀「消滅する民俗-嫁叩き習俗の深層」『柳田民俗学の継承と発展』吉川弘文館、2005)。

(『春夏秋冬の年中行事 日本の暮らしと伝統』新谷尚紀 吉川弘文館 2025年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カワラヒワに出会っていました。
成人式を迎えた若者たちはどんな青春を過ごしているのでしょうか?

 せいしゅん【青春】

「青い」という言葉に、若い、未熟な、といった意味があることから分かるように、人生の若い一時期が青春期である。

 …中略…

 ぼろぼろの青春をみんなが生きてゐる寮舎の片隅にわれをいたはる  石川不二子

 大学の寮生活の一断面である。
青春はその渦中にいる者にとっては特別まぶしいものでも甘美でもない。
むしろ青春のアンバランスな面ばかりが実感される。
だから<ぼろぼろの青春>は、当事者の声が反映された表現として説得力がある。

 …後略…

   (三枝昻之)
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)