なんか今年は、台風が次々とやってくるように思ってしまうのだけど…
「台風13号 あすにも東日本に上陸のおそれ きょうのうちに備えを」(NHK)ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪「国立歴史民俗博物館」
箱﨑真隆さんの研究によると
(木の年輪の)細胞に含まれる僅かな放射性炭素の量を調べることで太陽フレアがいつ起こったのか過去数千年に遡りわかるといいます。
「木の年輪から従来観測されてきた最大の太陽フレアの数10倍~100倍規模のの太陽フレアが西暦775年(奈良時代後期)に起きたかもしれないと。
……
世界33ヵ所以上の異なる種類の木で775年の年輪のみ炭素の濃度が跳ね上がる。
そのあとに西暦994年(平安時代中期)とか紀元前660年、紀元前5410年(縄文時代)に似た巨大フレアが年輪から明らかになって、太陽の巨大フレアはまれな現象ではないと…」
……
(江戸時代中頃の日本各地でとても不思議な絵が描かれています。
1770年京都の風景。京都や愛知でオーロラが現れた。)
巨大フレアの現代人への影響は?
「通信障害。後は停電ですね。もしかすると2~3年にわたり地球全体で停電が起きる可能性。
あとは原子力発電所の電源喪失。
(通信障害のため)どこで起きているかわからない。
原子力災害が地球全体に及んでしまう可能性があるので破滅的な状態になってしまいます。」当然、太陽フレアに対する対策は、検討されています。
「太陽フレアが電力系統に及ぼす影響について」(東京電力パワーグリッド 2022年2月4日)
「太陽フレアが原子力発電所に及ぼす影響に関して(案)」(原子力規制委員会 令和4年9月29日)
「これまでに観測された程度の太陽フレアにより原子力発電所に影響が及ぶ可能性は低いと考えられるが、
稀に非常に大きな GMD が発生する可能性は否定できない。」
東電の報告は、「想定外」の太陽フレアが発生することを考慮に入れているのかな?折々のことば 鷲田清一
理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。
パスカル
人類(ホモ・サピエンス)はその知によって他の動物から区別されるといわれるが、17世紀フランスの思想家は人知には限界があることを知ることが大切だと言う。
その思い上がり、傲慢(ごうまん)を直視すること。
理性は自らそうした限界を熟知するところまで行ってはじめて固有の働きをなしうると。
『パンセ』(前田陽一・由木康訳)から。
(朝日新聞 2023・9・2)第四章 信仰の手段について
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理性の最後の歩みは、理性を超(こ)えるものが無限にあるということを認めることにある。
それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない。
――
自然的な事物が理性を超えているならば、超自然的な事物については、なんと言ったらいいのだろう。
(『パンセ』パスカル著 前田陽一 由木康 訳 中公文庫 1973年)アナザーストーリーズ「『復活の日』の衝撃 ~コロナ“予言の書”~」
小松左京の『復活の日』と『日本沈没』が取り上げられていました。
福島第一原発事故の予言の書といわれているのが
高木仁三郎さんの「核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に」だと思います。
これを読んでいると、東京電力が原発を安全だと言い続けた「安全神話」がどのような結果を引き起こしたのか
今、処理水放出については、中国のおかげで内閣の支持率が上がっているようですし
漁民の不安を表明できない状況があるように思います。
中国は、失政を誤魔化すために国民の不満を外(日本)に向けてガス抜きしようとしている。
今回の処理水の根本の原因を求めると高木さんの批判を国や東電がまともに受けとめなかったために原発事故が起こった。
これから危惧されるのが原発の老朽化です。
文章が収められている本は、現在品切れになっているので重版してほしいと思っています。
転記にさいして図などを省略していますが、全文は物理学会誌でダウンロードできます。Ⅰ 原発事故と安全神話
4 核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に(『日本物理学会誌』50巻10号、1995年)
私は耐震建築の専門家でも地質学の専門家でもないが、電力会社や政府の委員会に属する専門家の人たちが「原発は地震に対して絶対に安全」と断言することに、かねがね疑問を抱いてきた。
新たな地震が起こるたびに従来の認識や対策方法の変更を迫られたりするような状況の下では、地震学も耐震建築学も未だ現象論的な経験学の領域をでず、大自然相手ではそれも当然で、とても「絶対」などを主張できるものではないと考えられたからである。
阪神大震災は、絶対を主張する専門家の過信の根拠のなさを天下に明らかにしたと思われたので、この大きな不幸が技術過信へのよい反省材料になるだろうと、報道に接しながら確信した。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年) ところがである。
阪神大震災後に行われた、耐震設計に関するいくつかの討論(政府・電力事業者側との論争)に出席してみてわかったことだが、行政側にも事業者側にも原発の安全性を見直して、この大災害をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった。
いや、非公式には、私は現場の人たちから多くの不安や「安全神話」の過信に対する反省の声を聞いたが、それらは少しも公式の場に現れなかった。
そのことにショックを受けた。 公式の場では、相も変わらぬ「原発は大丈夫」の大合唱である。
たとえば「通販生活」1995年夏号の討論(*)で、次のようなやりとりがあった。
小森(東京電力) ……建て前というかもしれませんが、設計とはそうことです。われわれはちゃんとやっています。
田原(司会) じゃあ、神戸の高速道路や新幹線を設計した連中はバカだったということになるわけですか? 学者たちは、今になって、大丈夫というものはない。壊れない建物などないんだ。それでうまく壊れるためにはどうすればいいのかという議論になっているわけです。ところが、原発はいまだに壊れないの一点張り。そこがわからないんですが。
岸(東京電力) 基本的には、良い(筆者注 壊れないの意)方はこれだ、悪い方はこれだと、仕分けできているわけですよ。
……
田原 いや、だから、(神戸の地震で)学ぶべき点はあったのか、なかったのか、どっちですか。
藤富(通産省) 今のところ、従来の安全設計のやり方を改善しなければいけないような問題はなかったと思っています。 「学ぶべきことは何もなかった」と言われると、そこから先に議論は一歩も出なくなるが、彼らの言い分を検討してみても、「原発だけは大丈夫」とはとても納得することはできない。
また、彼らにとっては、「原発は壊れない」建て前になっているため、今のような機会を生かして、原発が被災した場合の緊急時体制や老朽化原発対策を真剣に考えるという姿勢もまったくみられない。
これは、筆者にはまったく不誠実な対応と考えるが、本稿ではそれらの点も含めて原子力施設と非常事態の問題を考えてみたい。
* 藤富正晴、岸清、小森明生、萩野晃也、高木仁三郎、田原総一朗(司会)『通販生活』1995年夏号(カタログハウス社)「徹底検証 大震災! どうなる原子力発電所」。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年)
…つづく…読んでいると国や東京電力が「想定外」という言葉で言い逃れをしていたのがわかる。
吉村昭さんは三陸海岸を襲った大津波について1970(昭和45)年に発表しています。
〝第1章 「三陸海岸大津波」―取材と調査―〟(吉村昭記念文学館)
ニュースを見ていると
「大阪IR 開業時期2030年秋ごろに延期 初期投資増額へ」(関西NHK 9月5日)
だそうですが、2021年12月21日の記事で紹介した鎌田浩毅さんの本に
「確率として2030年から起きる可能性がきわめて高いことを念頭において準備してください、と私たち専門家はメッセージを発しているのです。」
(『地震はなぜ起きる?』鎌田浩毅 岩波ジュニアスタートブックス 2021年)
すごいギャンブルだなと思うのですが、それでも大阪府・市や業者は、投資した以上の儲けが出ると試算しているのでしょう。