今朝は、初めは涼しいと思っていたけど次第に蒸し暑さに(^_^;
こちらはにわか雨程度ですんでいるけど
「東・西日本中心 局地的に非常に激しい雨 浸水など十分注意」(NHK)九州・沖縄地方での放送だったので見られなかったけど
ザ・ライフ「~人生はジャズとともに 齋藤悌子87歳~」
14日(木)午後2時5分からと
18日(月)午前5時10分にも放送されます(^^)/
雨のこと、風のこと
「厄(やく)」という字には、見ただけで気分が消沈する雰囲気があります。
苦しみ、わざわい、災難などを表す言葉が「厄」で、この字を使った厄年、厄回り、厄払い、厄除(よ)けなど、できれば逃れたい、そんなおもいに駆られる言葉が連想されるからでしょう。
そんな「厄」のつく厄日とは、災いの日、災難の日のことです。
よほど災難に見舞われた過去の体験があってのこと、そこから「この日はろくでもない日」だよと名づけたものだということがわかります。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年) 暦でいう厄日とは、二百十日(にひゃくとおか)、二百二十日(はつか)のこと。
暦に雑節(ざつせつ<土用、彼岸など二十四節気以外の季節の移り変わりを示す暦日>)として記載されています。
この日は立春から数えて二百十日目、二百二十日目、ということで、天候の荒れる二百十日は新暦のおよそ九月の一日か二日になり、それから十日後が二百二十日です。
この日にかならず空が荒れるというのではなく、このころに荒れる日、つまり「野分(のわき)」「台風」が日本列島に到来することが多いということです。
「野分」は野の草を吹き分けるほどの暴風のことで古典などにもよくもち用いられていますが、今では「台風」を用いることのほうが多くなっています。
雑節である「二百十日」は、歳時記の「秋」の時候の部に立項されています。
「二百十日」はその傍題です。
ところが「野分」のほうは「秋」の天文の季語となっています。 この列島に住むわれわれの先祖たちは、経験則で台風の襲来をだいたいこの時期と知り、それなりの覚悟と対策を講じたのです。
現代のように台風の進路なり規模を科学的に予測することがなかった時代、個々に判断してゆかねばならなかった時代、その目安になったのが二百十日、二百二十日で、これを「厄日」と呼び、大変ですよという意識を喚起したのでしょう。
…後略…
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)日本で「厄」と言えば、私からすれば原発だと思っている。
原発は活断層を避けて建設されているそうだけど、信じていいのでしょうか。
アメリカなど広大な大陸では、避けることができるかもしれない。
そして現在の科学ではまだ知られていない活断層も地震を引き起こす。
モロッコの地震は活断層によって起きている。
モロッコ中部は比較的活動の頻度が低いそうだ。
〝モロッコ地震 死者2000人超に 「震度5強~6弱に相当」専門家〟(NHK 9月10日) 活断層について
阪神大震災は、活断層に沿った直下型の地震ということでとくに話題を呼んだ。
それに対して、原発は一般に活断層のない場所を選び、しっかりした岩盤の上に建設することになっているから、阪神大震災の例は当てはまらない、というのが国や事業者側の主張で、前述の「原発は安全」の根拠になっている。
しかし、活断層の有無についても、柏崎・刈羽、敦賀、六ヶ所(核燃料サイクル施設)などではとかく議論があるところで、たとえば敦賀原発の敷地内を通る浦底断層は、『新編 日本の活断層』(*)においても確実度Ⅰの活断層とされている(図3「敦賀原発と浦底断層」省略)。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年) また、阪神大震災の後から活断層が多く発見されていることからみても、活断層がどれだけの確実さで発見されうるかについても大いに疑問が残るところで、「活断層がない所」が選ばれているというより、「活断層がまだ知られていない所」という方が正しい。 ちなみに、現在の設計指針においても、万が一を考えてマグニチュード6.5の直下型地震が想定されている。
しかし、なぜ6.5に設定すれば足りるのかの説得力ある言い分は、ついぞ聞けない。
阪神大震災は震源深さ13キロメートル、マグニチュード7.2であった。
実際に、原発の安全審査で採用されている金井式にしたがって、阪神大震災規模の地震が原発の敷地直下で起きた場合の最大加速度を計算してみると、硬い岩盤上でも条件によっては600ガルを超える。
このような地震の発生源となる活断層が隠れていないとはとても断言できない。
* 活断層研究会編『新編 日本の活断層』(東京大学出版会、1991年)71頁。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年)
雨のこと、風のこと
「厄(やく)」という字には、見ただけで気分が消沈する雰囲気があります。
苦しみ、わざわい、災難などを表す言葉が「厄」で、この字を使った厄年、厄回り、厄払い、厄除(よ)けなど、できれば逃れたい、そんなおもいに駆られる言葉が連想されるからでしょう。
そんな「厄」のつく厄日とは、災いの日、災難の日のことです。
よほど災難に見舞われた過去の体験があってのこと、そこから「この日はろくでもない日」だよと名づけたものだということがわかります。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年) 暦でいう厄日とは、二百十日(にひゃくとおか)、二百二十日(はつか)のこと。
暦に雑節(ざつせつ<土用、彼岸など二十四節気以外の季節の移り変わりを示す暦日>)として記載されています。
この日は立春から数えて二百十日目、二百二十日目、ということで、天候の荒れる二百十日は新暦のおよそ九月の一日か二日になり、それから十日後が二百二十日です。
この日にかならず空が荒れるというのではなく、このころに荒れる日、つまり「野分(のわき)」「台風」が日本列島に到来することが多いということです。
「野分」は野の草を吹き分けるほどの暴風のことで古典などにもよくもち用いられていますが、今では「台風」を用いることのほうが多くなっています。
雑節である「二百十日」は、歳時記の「秋」の時候の部に立項されています。
「二百十日」はその傍題です。
ところが「野分」のほうは「秋」の天文の季語となっています。 この列島に住むわれわれの先祖たちは、経験則で台風の襲来をだいたいこの時期と知り、それなりの覚悟と対策を講じたのです。
現代のように台風の進路なり規模を科学的に予測することがなかった時代、個々に判断してゆかねばならなかった時代、その目安になったのが二百十日、二百二十日で、これを「厄日」と呼び、大変ですよという意識を喚起したのでしょう。
…後略…
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)日本で「厄」と言えば、私からすれば原発だと思っている。
原発は活断層を避けて建設されているそうだけど、信じていいのでしょうか。
アメリカなど広大な大陸では、避けることができるかもしれない。
そして現在の科学ではまだ知られていない活断層も地震を引き起こす。
モロッコの地震は活断層によって起きている。
モロッコ中部は比較的活動の頻度が低いそうだ。
〝モロッコ地震 死者2000人超に 「震度5強~6弱に相当」専門家〟(NHK 9月10日) 活断層について
阪神大震災は、活断層に沿った直下型の地震ということでとくに話題を呼んだ。
それに対して、原発は一般に活断層のない場所を選び、しっかりした岩盤の上に建設することになっているから、阪神大震災の例は当てはまらない、というのが国や事業者側の主張で、前述の「原発は安全」の根拠になっている。
しかし、活断層の有無についても、柏崎・刈羽、敦賀、六ヶ所(核燃料サイクル施設)などではとかく議論があるところで、たとえば敦賀原発の敷地内を通る浦底断層は、『新編 日本の活断層』(*)においても確実度Ⅰの活断層とされている(図3「敦賀原発と浦底断層」省略)。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年) また、阪神大震災の後から活断層が多く発見されていることからみても、活断層がどれだけの確実さで発見されうるかについても大いに疑問が残るところで、「活断層がない所」が選ばれているというより、「活断層がまだ知られていない所」という方が正しい。 ちなみに、現在の設計指針においても、万が一を考えてマグニチュード6.5の直下型地震が想定されている。
しかし、なぜ6.5に設定すれば足りるのかの説得力ある言い分は、ついぞ聞けない。
阪神大震災は震源深さ13キロメートル、マグニチュード7.2であった。
実際に、原発の安全審査で採用されている金井式にしたがって、阪神大震災規模の地震が原発の敷地直下で起きた場合の最大加速度を計算してみると、硬い岩盤上でも条件によっては600ガルを超える。
このような地震の発生源となる活断層が隠れていないとはとても断言できない。
* 活断層研究会編『新編 日本の活断層』(東京大学出版会、1991年)71頁。
(『高木仁三郎セレクション』佐高信、中里英章 編 岩波現代文庫 2012年)
…つづく…
今朝の父の一枚です(^^)/
何を見つめているのかな?
第2章 世界はどのようにしてできたのか
2 この世界はわたしたち夫婦の子 イザナキとイザナミ
…前略…
また、最初にイザナキとイザナミは天の浮橋から矛を海の中に入れ、海をかき回し、引き上げたときに滴った塩が積もり、淤能碁呂嶋(おのごろしま)が形成されたされています。
(中略)
もちろん、神話上の島で、実際の島だと考えるべきではないのかもしれませんが、古くから紀伊水道の沼島や紀淡海峡の友ヶ島、淡路島南方、南あわじ市の自凝島(おのごろじま)神社のあるあたりや、同じく淡路島の絵島などが候補とされてきました。
このうち、自凝島神社に出かけてみると、境内にはイザナキとイザナミに男女の交わりを教えたセキレイが止ったという「せきれい石」を見つけることができます。
現在は、最初の結婚が行われた場所ということで、縁結びを願いにくる人が多いようです。
ここが世界のはじまりの場所かも、と思って訪れてみるのもいいですね。
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年)
「鶺鴒石(せきれいいし)」(おのころ島神社)
今朝の父の一枚です(^^)/
何を見つめているのかな?
第2章 世界はどのようにしてできたのか
2 この世界はわたしたち夫婦の子 イザナキとイザナミ
…前略…
また、最初にイザナキとイザナミは天の浮橋から矛を海の中に入れ、海をかき回し、引き上げたときに滴った塩が積もり、淤能碁呂嶋(おのごろしま)が形成されたされています。
(中略)
もちろん、神話上の島で、実際の島だと考えるべきではないのかもしれませんが、古くから紀伊水道の沼島や紀淡海峡の友ヶ島、淡路島南方、南あわじ市の自凝島(おのごろじま)神社のあるあたりや、同じく淡路島の絵島などが候補とされてきました。
このうち、自凝島神社に出かけてみると、境内にはイザナキとイザナミに男女の交わりを教えたセキレイが止ったという「せきれい石」を見つけることができます。
現在は、最初の結婚が行われた場所ということで、縁結びを願いにくる人が多いようです。
ここが世界のはじまりの場所かも、と思って訪れてみるのもいいですね。
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年)
「鶺鴒石(せきれいいし)」(おのころ島神社)